芸術というか美そのものとはなにか?
ということに興味をもちはじめたころ、エッシャーさんや北斎さんの版画の印刷物や范寛さんの工芸画(日本の一般的なお軸より幅広で床の間を埋め尽くしてしまうのでほとんど掛けることはありませんが…しかも不気味がられる)、写真やレコードのジャケット、花や器などを飾っては満足していたのですが、はじめて美術館を訪ねホンモノと対峙したとき、はやくかえって飾ってあるものをしまいたいと痛感させられました。
ゴッホさんのマチエールはなにかを介してみては(とくに白黒テレビでは…)わからない迫力!(なぜみんなして近づいてしか見ないのか?ちょっと遠ざかった方がいいのに…)印象派の筆跡!
そのときは印象派(モネさんの蓮がなぜあれほど人気なのかはわからないけれど、水を描かせたら古今東西右に出るものはないと思う(晩年より前期の水ね)。
浮世絵の雨や川はいいけれど、滝とか水しぶきがざんねんなんだよなぁ~。
北斎さん・広重さん・巴水さんなどみんなそうだから、ここが浮世絵の限界なのかな?
ちなみに巴水さんは初期の大正期のものの方が好みです)目当てだったのですが、魅せられたのは日本画。
岩絵具のよさは画面越しではわからない。
これでますますわからなくなったのが現代アート。
ますます、やや技術をないがしろにして発想を偏重しているようにみえてしまうようになっちゃいました。
昔はアーティストではなく職人だしね。
それからいくつかの美術館を訪れるようになり、そのたびに発見があります。
金屏風や水墨画、魁夷さんやピカソさんやブラックさんやマティスさんやミロさんやシャガールさんや……み~んなっ苦手でした、実際に出会うまでは。
コピーでも画面越しでもないホンモノをみると圧倒されます。
「墨に五彩あり」なんてことないない!と思っていたのに色鮮やかで「色を塗らないのではなく塗る必要がない」と言い切る意味が、ただの強がりではないことを知らされ、キュビスムの時間描いた動画感、縄文土器のむき出しのエネルギー(岡本さんが賞賛するわけだよ)と弥生土器のあやういまでの薄さとの対比。御舟さんの金屏風など、画面越しでも隠し切れない迫力が溢れてしまっているものもありますが、実際目にしたらどれほどのものか!とタウマゼイン!
残念ながら反対の印象をもってしまうことが多いのが現代の作家さんのものです。
博さんや晃さん。もっと「どぅぉぉぉおん!」とか「ずしぃぃぃいん!」とくるとおもっていたのですが…出会いたくなかったなぁ。
近づいても遠のいても、決闘のように振り返って見ても、どうにもこうにも…。
全作ではないですよ。
半々ぐらい。
全作すべてがいいというひとはないと思うんです。
カイユボットさんの作品を好むのではなくて「床を削る人々」を一番のお気に入りに選ぶひとのように。
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