数あるマンガ本の西遊記の中でも、藤原カムイさんの『西遊記』が絵も話もよかったのだけど、短命でしたね。
ドラマの『西遊記』は、やっぱりマチャアキ悟空!
旅々話が単調だったけれど、三人のアドリブ掛け合いや女性三蔵法師を根付かせたのもこのドラマでしたね。
哲学史は貫さん。あるいは熊野さんから入るといいかと思います。
哲学者は永井さん。哲学史上初の問題提起をされたと思います。生涯考え続けられる問題を発見されたところがうらやましい。あの問題がわたしの問題でなくてよかったー。考えたいことなくなったーってぜつぼうしたかもしれないから。
思想・哲学関係の本を読むときに警戒するのは「深い」という言葉を使う人。←あまりいないけれど。大森荘蔵さんだっけ?だれか「深いとか言うやつに気をつけろ!」って言ってたよね?
もうひとつは、造語を使いたがる人。
発見者の栄誉に浴したいという気持ちの表れなのか、若い方に多く見受けられる傾向です。
年をいってもその傾向がみられる人が苦手。
なのでハイデガーやフッサールや西田幾多郎やあのへんが苦手。
永井さんの若い頃の著書にも造語がちらほらと見受けられましたが、今ではもう。
表紙やタイトルがポップですが、結局これ(『翔太と猫のインサイトの夏休みー哲学的諸問題へのいざない』)↓が一番えぐっている優れた著書だと思います。
それか『なぜ意識は実在しないのか』ね。(講義録音も聞いたけど、それは聞かなくてもいいかな~)
『<私>のメタフィジックス』とか初期のものは気負った感じでツンケンしちゃってなんかねぇ…。
そこそこ読んできたと思うけれど、90年代後半から肩の力ぬけてシンプルになったぶんエッジきいてるーって感じ。
永井さんの問題意識はみんな見てるはずなのに見えてなかったこと、間隙を縫うような針の穴を通すような鋭さ!薄皮一枚でデカルトさんの問題意識と隔てられてて読み手が問題を変質しちゃうあやうさがあるから、永井さん自身もすごいけど、永井さんを見出したひともすごい。もっと知られていてもいいと思うんだけど…。
私の狭い範囲の問題に限定して言えば(←ここの表現はわかるひとにしかわからないんだなぁ~「わかるひとにしか」って、あたりまえだけど。簡単にいうと政治哲学とかはぬきにして、いわゆる自我問題一点に限ればってことね)、史上最高にして孤高の哲学者だと思うんだけどな~。世間の認知と温度差あるんだよなー。
新たな分野に手を出そうかどうか迷ったときは、ナツメ社の図解雑学シリーズから入ろうとします。あたりはずれが極端で、むしろ図がジャマなものもありますが、あたれば大きい。
「神は死んだ」というセリフは日本では衝撃を起こさないだろうと思っていたのですが、すこし前にブームがきたニーチェは、結果コレ(『図解雑学 ニーチェ』)が最小限にまとまっている隠れた良書だと思います。
あれだけの量をよくこれだけコンパクトにしたものです。イラストが意外にも印象に残ってしまいました。
「哲学をするなら、他の哲学者の言葉を聞かないことだ」みたいなことを聞いたので、それを頑なに守り、避けてきたのですが、ひょんなことから手を出したのがコレ(『学識ある無知について』)↓でした。
神を信じていないから占いもさっぱり当たらないのでしょうが、神の導きか、クザーヌスはキリスト者っぽくない!
いくら枢機卿でも教皇とお友達でなければ異端とみなされたのではないかと心配してしまうほど、ガリレオやヘーゲルやハイデガーみたいに時代が明言を許さなかったのか、「あなたキリスト信じてる?」と疑いたくなるような、そんな印象を受けました。
どうりでブルーノが影響を受けるわけだ。
なにか時代背景に似合わない軽みを感じます。
この人キレ者でどちらかといえば快活陽気だったんだろうな〜と勝手な妄想がふくらみます。
ガンツフェルトのことはここ(『図解雑学 脳のはたらき 知覚と錯覚』)ではじめて知りました。ピンポン球を半分に切って、光を当ててみたけれど……マヌケな姿をさらして終わりましたとさ。
脳科学の本ではコレ(『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』)。
各章各研究者が執筆するという形式の本なので、「そこのところもっと詳しく教えて」というところもあれば、「それはあまり興味がないな」というところもありますが、総じておもしろかったという印象があります。
こちらもいかが?