あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

カントの雑な道徳伝言ゲーム

羊, 悲しそうな声, 通信, 話, 話し合う, 協議, 主張する, おかしい

「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」

 ↓異訳

「あなたの道徳がいついかなるときも絶対的な道徳に適うように生きなさい」

 ↓異訳

「あなたにとっての正しさがどんなときでも万人の正しさと合致するように行動しなければならない」

 ↓異訳

「あなたの正義が状況や環境や時代に関わらず全人類にとっての正義と違わない言動をせよ」

 ↓異訳

「あなたが正しいと疑わないことがだれにとっても正しいことと同一であるようなふるまいをしなさい」

 ↓異訳

「正しいことをしなさい」

 ↓異訳

「(倫理的に世間に)恥ずかしいことをすなっ!」

 

 最後の方は伝言ゲームのように飛躍して原形からだいぶ変質した俗っぽい言葉に出来ました。

 これを反対に、「恥ずかしいことをすなっ!」から遡っていったところにカントの道徳法則・定言命法がひかえていようとはだれもおもいはしますまい。

政治家にすこしは見習ってもらいたい情報発信力

 『新世代が解く!日本のジレンマ 2018元日スペシャル 「根拠なき不安」を越えて』で望月優大さんが「不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」という若手次官の作成したパンフレットについて触れていて気になったのでちょっとのぞいてみました。

 半年ほど前にネット上に公開されていっとき世間をにぎわせていたんですってね。知らなかったわぁ…。

 

試みへの私的評価…のようなもの

 後半に行くにつれ主張の重複が目立ち、内容もそう大したものではなく、「現代日本の問題点まとめサイト」的なもので、これを作成したのが若手官僚からなるチームによるものではなかったら、本人たちがインタビューで答えているように「ネットに埋もれて読まれな」かったことでしょう。

(このパンフレットが経産省からではなく外務省や財務省から出てきたのなら、その影響はもっと大きかったでしょうね~。)

 

 特に「んっ!?」とおもったのがp.44の「大統領選で最も信頼しているメディアは?」という米国の18歳以上3760人にインターネットを利用しておこなったアンケート調査の結果資料をあげているところ。信頼しているメディアについてたずねる調査をネットでおこなうような、そんな意見に"偏り"が出そうなちょっとあやしい資料をあげているところ残念だわ~。

 

汝の意志の格率はいずこに?

 たいした内容ではなかったといいましたが、官僚もちゃんと問題意識もっていたんだねぇ~、利己的なだけでなくちゃんとなんとか日本をよくしようと苦悩苦悶奮闘している官僚がいたんだねぇ~、ということを確認できたという点では"いい内容"であったし新奇性のあるおもしろい試みであったとおもいます。

 

 ただ、昔から入庁まもないころは意欲的だけど、そのうち変わらない・変えられないということを思い知らされ諦観をもつに至り、と同時に中堅または幹部への階段を上がっていくにつれ徐々に染まっていき、気づけば自らが若手の頃に批判的に冷ややかな視線を送っていた当の者になっていたというのがパターンだっていうからねぇ~。

 そんな昔から脈々と言われ続けていることではあるけれど、それでも方々から聞こえてくるのは「今の40代は〇〇(ピー:自重)だ」という声。もしかしたら現代はこれまでにもましてひどくヤバい状態なのかもしれませんね。

 

現代の政治家に必須のスキル!?

 内容は「現代日本の問題点まとめサイト」的なもので、よく知られた既知の問題でありますから、あらためて考えさせられたというところはあまりありませんでしたが、ただ一つ、「これって…」とおもうところがありました。それは…

 

 このような問題提起や論点整理(そしてさらには、できればその解決案や打開策)などをこのパンフレットのように視覚化して世に問うのは、ネット社会とさけばれるようになって久しい現代の政治家が本来になうことではないのかな?ということ。

 

 ネット社会・ソーシャルメディア台頭・席巻する今、政治家は最低限このパンフレットのように論旨や要旨をまとめてうまく視覚化し、世に広く提示できる能力やメディア戦略、アンテナ感度や時代性、情報発信力や自己演出力などなど…、そういったものが必要なのではないか。

 

情報発信力のボーダーライン

 このパンフレットはその基準というよりかボーダーライン。受験生の合否ラインのようなもので、最低限これぐらいのクオリティないとねっ!といったものだとおもうのです。

 

 このパンフレット以前に、このような「まとめスライド」的なものを公開している政治家がいらっしゃったとしたら、それは耳目を惹かないボーダーラインを割った完成度のものなんだとおもうよ。

 何千、何万もの票を得て当選している決して知名度も注目度も低い人物(←これはひとつの"メディア"といってもいいかもしれないね)というわけではないのに提示したものがなんの波風も立てないということは…やはりそういうことなんじゃあないのかい?

 

シルバー民主主義での忖度

 シルバー民主主義国ではそれさえもむずかしいのかなぁ…。

 

 「シルバー民主主義」なんて訴えたらシルバー世代の票を落として落選してしまうでしょうから"シルバー民主主義の中心でシルバー民主主義を叫ぶ"ことは自滅の道でしかなく、"サービス、サービス"の"ソンタク、ソンタク"で、選挙等には今なおソーシャルメディアなどのデジタル対策よりも街頭演説や地縁などのアナログ対策の方が今なお影響力があり効果的で優先されてしまうのでしょうかね。

 

 「シルバー民主主義」なんてことは口が裂けても言えないにしても、スマホやタブレットなど端末を使いこなすシルバーも増えてきていることですし、そうでなくても政治家がみずからの意見を広くわかりやすく提示することは責務のようなところがありますから、どうか政治家の皆々様におかれましてはこのパンフレット(の内容はおいといて、その形式)を参考にしていただきとうございます。

すでに完成していた!?パノプティコン

パノプティコン図面

現代に降誕したパノプティコン

 ジェレミー・ベンサムが考案し、そのおよそ150年後にミシェル・フーコーが『監獄の誕生-監視と処罰』にて取り上げた全方位監視システム「Panopticon(パノプティコン)」。

 

 ベンサム自身パノプティコン建設に私財を投じてその実現を目指し、また世界各地で全方位監視型施設がいくつか建てられはしたものの、それはパノプティコンの完成形ではなく、あくまでパノプティコン施設にとどまるものでした。

 

 しかし、パノプティコンが発案されてからおよそ200年後の現代、気づかないうちにそれは完成しており、すでに一部の人たちの生活のなかに入り込んでいたのでした。

 

パノプティコン概要

 パノプティコンは少数の監督者が多数の監視対象を監視できるように監視塔が中央に配された円形の建物で、いつ監視されているのか監視対象には知られることなく監視できるように監督者の姿がブラインド等により隠されるようになっている「最大多数の最大幸福」を標榜したベンサムらしいといえばらしい非常に功利的かつ効率的な施設です。

 

 パノプティコンの要諦は円形構造物であるということではなく、少数の監督者が多数の監視対象を監視対象にいつ見られているのか気づかれることなく監視できるというところにあり、「パノプティコンは構造物である」ということには固執する必要はないと考えます。そのうえで現代の私たちの生活環境を見回してみますと「これはパノプティコンなのではないか?」と思われるシステムがすでに稼働・運用されていることに気づくのです。

 

監視社会のパノプティコン

 現代ではレジからお金を抜き取る店員の監視のため、商店街や商業施設内の通路で起きる犯罪抑止のため、タクシーや運送業など運転者の安全を守るためなど、犯罪抑止や安全を守るために至るところに監視カメラが設置されています。

 

 ただしかし、先日テレビを見ていて驚いたのが、居眠り運転や運転中のスマホ操作防止(、そしてこれについてはテレビでは触れられていませんでしたがおそらくは勤怠管理)などのために管理者が運転者に気づかれることなく望むときにはいつでも監視できる常時車内を映し出す(またそれと同時に録画もされていて一定期間(その企業では過去1か月間でした)保存する)カメラシステムが設置されていたことです。

 

 商店街やコンビニ、タクシーや自家用車の車載カメラと同じようなもののように見えて違うところ、そしてその驚かされたところはどこにあるのかというと…商店街や、また押し広げて考えればスーパーやコンビニエンスストアは公共の場のことです。しかし車内というのはどうでしょう?とても私的な空間なのではないかとおもうのです。

 

就業中に私的空間は許容されないのか

 きっとこんなひとを見かけたことがあるのではないかとおもうのですが、熱唱するひと、ルームミラーを使って化粧するひと、耳かきするひと、助手席で足を投げ出しているひと、これは見えないけれど放屁するひとなんかもいて、車内は部屋の一部・一室ととらえているひとは少なくなくとっても私的な空間なのではないかとおもうのです。

 

 欧米人が不思議におもう日本人の特徴として、きれいに維持管理された高級車に乗っているのに自宅は小ぶりでお世辞にもきれいとはいえないというひとがいるということをあげる欧米の方がおりましたが、ひとによっては家よりも車を上位の一室として扱っているひともいて、そのひとにとっては車内というのはより私的空間という意識が強いものでしょう。(車は外を走るもので不特定多数の人目にさらされるからというただの見栄っ張りというひともいる、というかそのようなひとの方が多いのでしょうけれどもね)

 

他者の地獄目

 また最近ではニュース番組でもたびたび取り上げられるタクシー車内での客の乱暴行為や危険運転や事件事故の決定的瞬間を映し出した車載カメラと異なる点は、常時撮影・リアルタイム監視ということです。

 一般的に車載カメラは車の前方や後方を映すもので車内を撮るものではありません。

 加えて、撮影した、または撮影されている映像を見ることができるのは他者ではありません。

 また録画映像は事件事故の起きる(衝撃の起きた)前後1分ほどを含めた間のことであったり、あるいは運転者が記録しておこうと意図して録画ボタンを押したときです。

 

 ほんの少しの差であるようにみえてまったく違う、似ているようで似ていない、似て非なる監視カメラシステム。

 

 サルトルは他者のまなざしを地獄だと言います。(より正確には…対自存在【私】のまなざしは他者をも即自存在【モノ】としてしまうが、他者は他の即自存在とは異なりこちらを見つめ返し私を即自存在へと陥れ私をある種所有できるモノへと変えてしまう特殊な存在で、私と他者のまなざし、互いに互いを即自存在とするまなざしの応酬、互いに互いを所有しようとするまなざしの拮抗、このような他者との在り方をして他者のまなざしを地獄と、また『出口なし』において「地獄とは他人のことだ」と言わしめたのでした…と、こんな感じだったとおもいますが、ここではそんな細かいことは置いといて雰囲気、語感のノリだけ借用いたしまして…)「地獄耳」という言葉がありますが、こちらは「地獄目」、あるいは監視カメラシステムには映像だけでなく音声も録ることができるものもありますから「地獄耳目」とでも呼びたくなるような代物です。

 

「監視」へのまなざし

 「監視しているぞ!」と警告するだけで実際には監視していなくても不正等を抑止できるというホーソン効果というものがあることですから「監視しているぞ!」と言うだけで実際には平時は監視まではしないでもいいのに…。

 

 現在取り入れられている車内を映すカメラシステムにおいては運転者が一方的に他者のまなざしに、他者の灼熱視線にさらされます。このような一方的な他者のまなざしに抵抗する案を一つ提案したいとおもいます。それは…運転者の側も任意のときにカメラ映像を確認しているひとやデスクワークをしているひと、会社役員や経営陣を見られるように(監視できるように)社内等にカメラを設置しカメラシステムを稼働させることです。そうでもしないとなんというかフェアでない感じがするのです。といっても好き好んで自らの姿を監視させたいとおもうようなひとはいないでしょうからアンフェア状態がながく続いていくのでしょうけれどもね。

 

 とはいえとはいえ、超えてはならない一線があるとおもうのです。このラインを越えてしまうと、それは監視(カメラ)ではなく盗撮(カメラ)と違わないものとなるでしょう。いや、すでにそうなってしまっているものもあるでしょう。

 

 わたしはこの現代版パノプティコンの完成とそれが普及しつつあることを知りとても気持ち悪くなりました。

 

 そう遠くない将来、監視カメラ(システム)と盗撮カメラ(システム)の境界線や監視カメラ(システム)と人権の問題が今以上に高騰・尖鋭化することでしょう。

 

 監視・管理社会はどこまですすむのか。またそれがいきすぎたときにはふたたび一線のこちら側、境界内に引き戻せるよう「監視」への監視、「管理」への管理ということについてもうすこしセンシティブでいなければならないのではないかとおもいました。

 

 こういったことは個人の力ではなんにもなりません。ですから個々人の集合、社会において注視していく必要があります。