あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

昨今の指導者の”指導力不足"に触れておもうところ

マネジメント能力の欠けた敏腕経営者

 昭和中期以降のいわゆる「成功者」といわれる経営者の大半は、生産力や製造技術がまだ未熟で、かつ人口が拡大局面にあったため、ある程度つくればつくるほど売れるという供給力が需要を牽引することができた近代の主流派経済学が夢想・想定した理論にほぼ適うような状況・環境にあったからという場合が少なくない…

 

今のままでは少子化対策は種々の問題を解決しないばかりか出生率の改善が逆にリスクを高めてしまう - あめみか

 

…にも関わらず、製造技術が高まり人口が縮小局面に入って久しく、なおかつ稼ぎ頭が二次産業から三次、そして四次産業が台頭し、さらには第四次産業革命到来か?という時期(とき)にありながらも今だ前時代、前前時代、前前前時代を引きずって過去の栄光に頭までずっぽり浸ってしまっているものだから、企業の業績悪化等の打開策として、これまた前前前時代の手法、つまりは根性論や精神論等で切り抜けようとするものだからさらにこじらせて…。

 

 そもそも前時代にあっても根性論や精神論によって成功してきたわけではなく、いわばその時代の恩寵によってたまたま救われてきたというだけなこともあるというのに、それをみずからの経営手腕が長けていたと錯覚・曲解していつまでもトップの座に居座り続けて現在ではもうとっくに通用しなくなっている手法やマインドを駆使して「現代はスピードが命」「スリム化を進めていく必要がある」「効率化が…」などと言ってることとやってることが見事に乖離した訓辞をだらだらたらたらと遅々として垂れ流す。

 

 いつまでも自分がトップの座に居座り続けるというのは、経営手腕には長けていたのかもしれないけれど、すくなくとも後進を育てる能力、マネジメント力は決定的に欠けていることを目に見える形で対外的にも示しているのだという意識は皆無なようです。

 これを"無能の見える化"とでも呼びましょうかね。

ルールを守る必要のないひとがつくるルール - あめみか

 

指導者の指導力

 指導的立場にある方々(特に手腕に長け名声を得ている指導者)に今一度、省みていただきたいのは、どれだけの成功者を出したかではなく、どれだけの若者を潰してきたかということ。

 教え子や目をかけていた部下が活躍すれば彼ら彼女らに当てられる強烈なスポットライトの明かりの余波を受けて、脇にいても十二分に眩しいほどの光を受ける指導者は失敗例が見えづらくなっていくのではないかとおもう。

 

 進学校や進学塾の"実績"と称する「〇〇校〇〇人合格!」の裏でどれだけの人が落ちて・落とされてきたのか?

 「〇〇校を〇〇人受けて〇〇人が合格しました!」って数字を挙げて言えないのはそういうことなんじゃあないのかな?

 反省材料ではなくただの広告効果を狙ってのものにすぎないのではないかな?

情報の固定資産税 - あめみか

 

 有名なお医者さん、なかでも外科医でゴッドハンドと呼ばれる方々の口からよく聞かれるのは、名声を得ることにつながったこれまでに救ってきた多くの命のことではなく、むしろこれまでに救えなかった命について。

 ゴッドハンドは次の失敗を招かないように成功よりも失敗に学び、失敗ほど覚えている謙虚さを有しているようにおもう。

 またそうであるからこそ、ネガティブな記憶ほど蓄積されていくために神の苦悩はひとにはわからないものなのではないかともおもったわ。

 

考えなしにどれだけ潰してきたことか

 前時代には成功した…と、実際にはそう思い込んでいるだけのやり方を続けて若者を潰している例があまりにも多いと感じる今日この頃。

 人並外れた才能を有していた者がたまたま一時期そのひとの指導下にあったというだけでそのひとの"指導力"が評価されてしまうことがあります。

 たとえその指導と称して行われていたことが体よく”伝統”と言い換えられたいつまでも変わらない練習メニュー・教育プランであっても、それでもそんな中からでもわずかに有能なひとは生まれるものです。

 

 こうなるとその指導プランに疑義を呈される機会が失われます。

 たとえば真夏であっても練習中には一切水を飲んではならないという環境であったこともそれに似た状況の一つに挙げられるとおもう。

 水を飲まず我慢や忍耐力、精神力を鍛えてきたから強くなったんだといわれてきた裏で、どれだけの成長や才能や命が奪われてきたことか。

 

 日本ではこんな非科学的で害悪でさえあった状況が何十年続いてきたことか…。

 この一例だけでも日本の指導者、日本の指導力についてもっとちゃんと考えなければならない、考えてこなければならなかったと猛省させるものでしょう。

 

 水を飲んではいけないだとか練習メニューが更新されないだとか理不尽な伝統だとか、それってどれも指導者が自分の頭で考えていないことの証左のひとつ。

 自分の頭で考えていないから進歩もない。

 試合に負けても精神論しか出て来やしない。

 そのくせ偉そうで高圧的な態度。

 間違いをあれだけ堂々と声高に主張できるというのは狂気 - それはひとには恐怖。

理屈よりもイメージが尊重され先行する指導 - あめみか

こどもは授かりもの。若者は預かりもの。 - あめみか

 

不幸な土壌

 日本の不幸は優れた経営者が少ないこと。

 日本の失敗は優れた指導者を生み出す土壌を醸成してこなかったこと。

 

 その原因の1つ(それも大きな大きな1つ)には、伝統を重んじ(年功)序列を過度に尊重し(指導者が)自ら考え行動するということをしてこなかったということがあるでしょう。

 

 学校や会社では「自ら考え行動しましょう」と教えられますが、そのような学びの場、教育現場で実際に適用・運用されているのは自ら考えず伝統を重んじて練習メニュー・教育プランは変えない、あるいは考えはあっても序列を崩さないように口をつぐんでいる大人の姿。

 そんなダブルスタンダードな大人の背中を見て「自ら考え行動する」という土壌が根付くわけがない。

 「自ら考え行動しましょう」と言っている本人がそうしていないのですから。

 

 経済大国の1つに数えられるにも関わらず世界に通用するMBA、ビジネススクールがないということも指導者育成土壌が不良であることの1つの証ではなかろうか。