ベーシックインカムは人間の家畜化を進めると懸念される方がちらほらおりますが、そうおっしゃる方の多くは比較的現状に不満のない状況にあるからなのではないかとおもうのです。
おのが生活の「現状維持」や「安定」のためのバイアスがかかっているのではないかなぁ〜?
家畜の言葉
昨今「社畜」という言葉が飛び交っております。
ベーシックインカム賛成・推進の声は社畜の方々の中では多数派をなすのではないでしょうか。「隠れトランプ」ならぬ「隠れ(ベーシック)インカム」なんてかたちでね。
「人間の家畜化」なんてものの前にすでに「社畜」が増えているというのなら、人間の家畜化なんてものは随分と前から進んでおり、相当浸透してしまっているというのに、なにを今更といったところではないでしょうか?
産業革命以降、労働集約がすすみ都市部への人口流入が加速しました。
この人口移動の様子を眺め、またその状況の中に巻き込まれ流されながら、人々の姿を、また自らの姿をも柵に囲まれた寝床へと帰るブタやウシ、ケージに押し込められたブロイラーと重ねたひともきっといらっしゃったことでしょう。
「生(者)はよりいっそう生を意志しない」(「よりよく生きる」というようなことではないですよ)というのとは違いますが、「家畜はよりいっそう家畜たろうと意志しない」でしょう。
言葉をもたない家畜は家畜であることを知ることはありません。
言葉をもつ家畜は家畜であることを認識します。
どちらの家畜の方が幸せなのでしょう?
あぁ、なんと無情。
この苦しみからその身を守るため、自己防衛本能がはたらくのか、社畜の中には考えることをやめ、そうして言葉をなくしてしまわれた方もおられるのではないでしょうか。
働かせたいバイブス
社会主義(もどき)は失敗しました。
「失敗したからダメなのだ」という極論・暴論が横行していますが、一方で「(まだ)失敗していないから資本主義はヨイのだ」は正しいでしょうか?
正否は良し悪しとは別のもの。
常に大恐慌の可能性を内包し、不正も未だ横行、貧困も是正できぬままにあるというのに、失敗したといわれる社会主義とどれほどの違いがあるというのでしょう。
「ベーシックインカムは人間の家畜化を進める」というのと同様に「社会主義のもとでひとは働かなくなったから失敗したのだ」というものがありますが、どうしても偏執的なまでにひとを働かせたいと考える人たちがいるようです。こうなると働かなくても家畜、働いても家畜、どちらに転んでもひとは家畜化することから逃れられないようです。
家畜の特徴
ジャレド・ダイアモンド『銃、病原菌、鉄』に家畜化に適した大型哺乳類の条件として、以下の6つがあげられています。
- 飼料の量
- 速い成長速度
- 飼育下での繁殖能力
- 穏やかな気性
- パニックを起こさない性格
- 序列性のある集団を形成する
これに続けてWikipediaの『家畜化』では、「家畜化に伴う変化」があげられています。
- 気性がおとなしくなり、人間に服従しやすくなる。
- 脳が縮小する。
- 人間にとって有用な部位が肥大化する。
- 繁殖時期が幅広くなる。
- 斑紋など外形の多様性が大きくなる。
- 病気等に弱くなる。
- 生活環を全うするのに人間の手助けが必要になる。
ここにあげられているものや、またその説明のところにある「人間」という言葉を、なにか人間よりも知性が高く他の生物を支配している生物を想定して置き換えてみますと、人間というのもだいぶ"家畜化"しているとおもわれるでしょう?
たとえば先の「条件」であげられたものうち、1と3を少しだけ言い換えると人間のことを言っているようではありませんか?
- 雑食(広食性)
- 速い成長速度
- 管理下での繁殖能力
- 穏やかな気性
- パニックを起こさない性格
- 序列性のある集団を形成する
また先の「変化」であげられているものを言い換えますと…
- 気性がおとなしく服従しやすくなる。
- 脳が縮小する。
- 雇用主は肥大化し自らは萎縮する。
- 繁殖時期が幅広くなろうとその意欲がない。
- ストレスなどで病状の多様性が大きくなる。
- 病気等に弱くなる。
- 生活を全うするのに依存が必要になる。
社畜への過程のようではありませんか?
…って、そうおもえるように言い換えているんですけれどもね。
野性味あふれる反論
ところで、"家畜化"はそれほど望ましくないものでしょうか?なんとしてでも阻止しなくてはならないものでしょうか?
家畜の対義語は野獣ですが、家畜化を否定するというのは(極端にいうと)野獣化に賛成しているということなのでしょうか?
そんなことはないですよね。
バランスの問題でしょう?
みんな野獣だったら随分と荒々しい殺伐とした社会ですよ。
「人間の家畜化」を主軸においた批判は野性味の強すぎる荒っぽい反論となってしまいます。
キヅタ属AIBIヘデラ
人間の家畜化を懸念する声はBIだけに限らず、AI、人工知能の進化についてもいわれます。
人工知能の飛躍的発展により人間は与えられるばかりの存在となり、身の回りに機械は増えても自ら考える機会は減っていき、ついには餌を与えられ生殖や生命など生殺与奪の権を喪失した家畜と堕すのだというように。
いくら憂いてもAIもBIも今後、進展浸透していくでしょう。その時、「人間の家畜化」論議についてはどうなっているでしょうねぇ。
家畜化問題は移民排斥運動やラッダイト運動同様「仕事が奪われる」という意識に根をもっているようです。
移民も機械も仕事を減らすため、仕事を奪うために入れるものなのに、それでも減らない長時間労働に労使間の隔絶。
所得だけでなく草食系と肉食系のように、家畜化と野獣化の二極化、格差もすすんでいるようです。