『フランケンシュタインの誘惑「ドクター・デス 死を処方する医師」』
表題からしてこれは今までのシリーズ中でももっとも科学の闇が垣間見られそうだと思っていたのですが、実際はシリーズ中もっとも論証の弱いものでした。
それはおそらく生きることの尊さを強調したかったか、またはそのために編集されてしまったからなのだと思うのです。というよりそう思いたい。
番組中「死に魅せられた」や「万能感を持っていた」といったような感想がなんどか繰り返し述べられていたのですが、なぜそのように思うのか、その前後の説明がないので説得力がまるでない。
『フランケンシュタインの誘惑』は、科学の明と暗、人類への寄与と災厄の二面を見せるというテイストだと感じていたのですが、この回では終始暗部。功罪のうち罪ばかりをとりあげて功らしい功についてはふれられませんでした。
かといって「死の処方箋」に功はなさそうというか、あっても電波にのせるのは難しく、人間性疑われそうでなかなか言えたものではないでしょうけれどもね。
それでも尊厳死の啓蒙活動の部分をもうすこし取り上げてもよかったと思うのね。そこのところのゲストのコメントもなかったですし、最後に大学での講演の様子をちょっと流しただけなんですもの。今までになく明暗のバランスがわるく暗に偏りすぎていたように感じました。
前提として忘れてはならないのは、ジャック・キボキアンさんをたずねたひとは死の処方箋を自ら望んだ当時では完治しそうにない末期患者の方々だったということです。
それでも後に医師自ら手を下すようになってしまったところは、たしかによろしくないところでした。
はじめのうちは自ら定めたルールを厳密に守り、医師自ら手を下すことはなかったのですが、後にその禁を犯してしまったことは「ナチスドイツの人体実験は対象者の同意を得ていなかったこと以外は正しかった」といういつかの彼の言を「キボキアンさんの死の処方は対象者の同意を得てはいたものの医師が直接手を下してしまったこと以外は正しかった」と言っては言い過ぎですが、行く末を暗示していたかのように思われました。
仮にキボキアンさんが万能感に支配されていたとしても、たとえある種の恍惚感に浸っているところがわずかでもあったとして、あのような番組構成ではむしろキボキアンさんに共感してしまう、彼の考えもわからなくはないという、おそらくは番組制作者の意図とは正反対の考えをもってしまう人を増やしてしまうものではないかと感じました。
わたしは、彼がもっとも興味をもち、心を砕いて苦心していたことは、終始、生涯「みずからの死」だったのではないかと思いました。
まだ来ぬ、そしていつか必ずやってくる自らの不可避な死の苦しみ。
まだ想像しかできない死の苦痛がこわかったのではないかと思います。
だというのに、彼の最期は生涯求めていたものとはちょうど反対の、もっともおそれていたことを強制されてしまったのではないかと思うのです。
こんな拷問ってある?
だれかの理想のために自分の人生かけた希望を踏みにじられるなんてそんな酷い仕打ちってある?
自分の清廉潔白さを保ちたいひとによる他者の思想や信念をつぶそうとする行為が、わたしには気持ち悪くてなりません。
偽善を否定しないばかりか、むしろ肯定する方ですが、それでもあまりに独善的なそれには(それでも否定はしませんけれども)嫌悪感を抱いてしまいます。