あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

ひどく狭量な多様性


外来ダイバー

 外来種には天敵がいないため猛スピードで繁殖し在来種を追いやって勢力を拡大します。そして生態系に重篤な影響を及ぼします。

 生態系を乱すことはとても簡単なことで、ほんの数匹の外来種を放てば事足ります。反対にそれまで安定していた生態系を維持するのは、人や物のグローバルな移動が容易になった昨今では非常に難しいものです。一度壊れてしまった生態系を再びもとにもどすには何十年、何百年という膨大な時と費用を要します。どれだけ手を尽くしても二度とふたたびもとにはもどらないということも少なくはないのです。

 

 安易に"多様性"を求め、安易な手を打てば、思わぬしっぺ返し、致命傷ともなりかねないしっぺをくらうこともあるのです。

 

 "多様性"、すこしわかりづらくしてダイバーシティ。この呪文を唱えればすべて正当化されるかのように、なにかあればすぐ「多様性」を口にして、ほらまた「ダイバーシティ」とか言ってる。

 規制緩和も働き方も選択も自由も、その論拠に"多様性"だけを、多様性だけを目的とした多様性のない考えで強引に押し通そうとするのやめにしませんか?生態系と人間活動とをあまりにも乖離させて眺めているようにおもいます。

 

 多様性を求めて外来種ばんばん放ってみたら?意図したこととはちょうど正反対に単一に向かっていくから。

 多様性は説得の決定打にはならない。

 最近の風潮にのってダイバーシティとばかり、ダイバーシティだけしかおっしゃらない方にお気をつけ下さい。

 

猪突イノベート

 年々上場企業の数が増えています。しかしそれで景気がよくなっているでしょうか?一時よりはたしかによいでしょう。でもまだデフレ脱せず、景気がよくなったという実感もそれほどないでしょう。でも上場企業は増えている。どういうこと?

 

 上場企業が増えている一方で着実に減らしてきたのが企業数。上場企業数も企業数もそのどちらも大きくおお〜きくっ見れば景気変動にあまり左右されず一方は徐々に着々と伸び、他方は徐々に着々と下ってきました。

 すると事業が集約されていき経済活動が効率化されて資金移動の枝葉が刈られ、地面に陽の光を通し森林を健全に保ち、建築材などに利用しやすい間伐材をつくってきて、その成果が現れているということではないのでしょうか。

 ですからこの流れはよいのだとおもいます。ただしかし、それで多くのひとの生活が楽になっているかというとそうではないところが問題であってね。

 

 政府は多様な働き方を推進していますが、それなら4時間労働にしませんか?1社にだけ依存するのではリスクヘッジの観点からいっても危ういですし、多様性を阻害する主因でもあるでしょう。4時間労働(+できれば原則残業の禁止)にして2・3社に務めるようにしたらいいのに。労働の流動性も多様性も弾力性もいろいろ性がつくでセウ?

 

 これが現実的でない案に留まるのが社内機密の取り扱いや社会保障費、忘れちゃならない賃金についてなど、ざっくりと言って情報と金の強情さや硬直性、その融通の利かなさに気の利かなさといったところがあるから。

 

 イノベート、イノベーションという語も最近つとに耳にいたしますが、これもダイバーシティ然り、変えること、変わることを是としすぎているところがあるように感じます。

 イノベーションをおこして「どのように変えるか」を目指していたものがいつしか「変える」こと、ただそのことにだけ耽溺してしまっているのではないかと見えてしまうのです。

 「どのように変えるか」ということの肝は「どのように」の方にあるのであって「変える」の方に重心を置くようなものではないでしょうに、やれイノベートだ、そらイノベーションだと、それってとってもアンバランスでふらふら危うかありませんか?いつ落ち着くの?

 

 座禅が心や身体、脳波を整えるといってブームらしいですが、とりあえず落ち着こうって本能が求めている現れなのかもしれませんねぇ。

 一旦、落ち着きましょっ。まあまぁお茶でも一杯はいどうぞ。

 

革命予防

 民主主義では抜本的な変革がなされることは少ない。既得権をもつ者が力をもち変革を阻むから。絶大な権力を掌握する専制政治であれば、その為政者の一声で一夜にして変革はなされます。為政者が誰の目にも疑いなく清廉潔白、高潔、高徳、高い政治手腕をもつ、もうここまでくると人を超えちゃってるでしょうから超人であるのなら、専制政治は政治形態のなかでもはもっともすぐれた政体です。

 でもそうではない。仮にそんなひとがいたとしても次代はどうだか知れたものではない。

 畢竟、政治のあり方の根本に変更を加えるとなると革命しか方法がなくなってしまう。あの頃も、そしてまた数百年前のあのときも、こうして革命志向渦巻き飲み込まれていったのでした。

 

 革命は嫌々ながら仕方なく起きるもの、するもの。だからだれにとっても気持ちのいいものではない。力や上からの圧力ではなく革命を阻止すること、そもそもそんな気さえ起きないような政治を設計することが肝要であり、またこれがその政体を評価する一つの指標となるのではないかとおもうのです。

 

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