あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

このブログのだいたい1年をふりかえってみる


 ブログをはじめておよそ1年と1ヵ月と11日…ぐらい。たぶん。

 

 このキリがわるくなんの特別の日でもないこの時期に、これまでをふりかえってみようとおもいます。

 

 はじめは遺言のようなもののつもりではじめました。それから間もなく「ブログマネタイズ」というものを小耳に挟み、欲がひょっこり顔を出してしまい、そっち方向に向かいかかりましたが、結果が0円どころかややマイナスだったことや「がっつりアフィリエイトするぞ~!」という気力は湧かず、とりあえずアドセンス張っとくといった感じにおわりました。

 

 まったく使っていないデジカメがあったので写真をとったり動画を撮って貼り付けてみたりした時期や、お勉強を教えていたときに思いついたこと、生活の中で思い浮かんでしまったことなどを書き書き日々を過ごしていましたら、なにやらやにわにブログを連続更新することが習慣化しはじめてきてしまったので、強制不トウコウすることにしました。あやうく新たな強迫神経症のタネを芽吹かせるところでした。

 これで"継続"執着心がすっぱりさっぱり断ち切れまして、ほどよく「どうでもいい」状態となりました。

 

 最近はJavaやcssをこねくりまわしてページの読み込みを遅くする遊びの時期のようです。

 それで思ったのが、わたしはこれまで所謂「ハマる」とそればっかり、ずーーーーっとそれしかしないということがあったのですが、それはずーーーーっとそれをやることではやく飽きたいのではないか?いっぺんにそれをやってしまって以後二度とそれをしなくていいように消化したかったのではないか?と思いました。

 飽き性といわれる人の中には「飽きやすい」の他に、「もう飽きるまでやってしまった」という人も含まれているのかもしれませんね。習熟度に関わらず。

 

 ということで、「プログラムでわしゃわしゃ期」はそろそろ脱しそうです。

 

 ただこれまで一貫していることがあります。それは「みなさん」とは呼びかけても「読者のみなさん」とは呼びかけないことです。そもそもわたしには「読者」と発することに抵抗があるのです。

 1つは代名詞で呼ぶことが苦手であること。もう1つは読者をほぼ意識していないから。自分へのメモ書きというのが一番近い。だから気が楽。それだから「ブログ運営」という言葉も(あるカテゴリを除いては)あまり使っていません。

 サイドバーに検索ボックス残しているのも自分のためだしね。←語尾の「〜だしね。」も使わないようにしています。なぜなら音が「〜だ死ね。」に通じてちょっとねぇ…。

 

 またこのブログの特徴はなんだろう?今meta detaにブログの説明を書くとしたら?どんなブログなのかをひとに説明するとしたらわたしはなんと応えるだろう?(そんなこと聞かれることないというのに)そうおもったちょうどそのとき、こちらのツイートに会いました。

 ー8%って、ありそうでないでしょう?

 それが真面目に考えられたものでも冗談のおもいつきであっても、「ありそうでない」「なさそうである」「ちょうどなさそうでない」世界像がすきだったんだね〜あんた。と、このときおもいました。

 

 そしてそのとき、このブログを特徴づける「これ!…っぽい」と思われる言葉がふいに降り落ちてきました。

 それはこんな言葉です。

 「ありそうでない世界。なさそうで……やっぱりない世界。

 こんな世界やあんな世界、いろんな世界像を自分に見せたい知らせたい教えたいつくりたいのではなかろうか?と。

 「世界、世界」と大きなことを言っておりますが、しょせんは妄想。それも壮大な妄想。ゆえに誇大妄想。※多分に被害妄想含む。

 

 だいたい1年して見出されたこのブログの特徴はだいたいこんなところです。

 

 サッと振り返ってみますと、3日坊主ではなく髪が伸び出してそろそろ切ろうかしら?と考える3ヵ月坊主ぐらいの周期で興味を持つものがかわり話題が移り変わってしまう傾向があるようです。

 「次の3ヵ月はなにに飽きて、なにに興味を惹かれていることやら。」と書くと未来志向のように見えてしまうかもしれませんが、それでもこれでもやっぱり明日はいらない。理由もなく消えたい。なにかあるというワケではないのに明日がめんどくさい。

 

 ちいさいのでかまいません、それでじゅうぶん、わたしに星をください。コメントよりも小メットちょうだい。

 

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