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あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

ケンホウあそび

思考 思考-遊戯

 今日はみんな大好き『ケンホウあそび』について。

 えっ?知らないって?

 そんなことないよ~みんな知らず知らずのうちに一度は見たことあるって。もしかしたら今もプレイ中かもしれないし。

 

 それではどんなゲームだったかおさらいしてみましょう!

 

ゲームルール

 まずはゲームの参加人数について。

 参加人数について決まりはありません。というよりも参加人数を決めるところからもうすでにゲームははじまっていますよね?

 

 このゲームでは参加人数や参加資格など実にたくさんのことを決めるところからゲームははじまっています。むしろそれ自体がこのゲームの核心!だったよね~。

 

 あるルールでは参加資格がとっても厳しかったり、また他のゲームではとてもゆるかったり。参加人数も無制限であっても1人であってもいい。とっても自由度の高いゲーム。

 ただそれだけにゲーム設定を設計するのがまあたいへん。たいへんだからこそここにこのゲームのはじめの関門であり醍醐味があるんだけどね。

 

 このゲームに心当たりなぁい?

 

設定が肝!

 1人プレイの場合はどんどんルールを決めていってしまいましょうね。

 多人数プレイの場合は話し合いなり殴り合いなりなんでもいいですけど、その決め方から決めましょうね。

 あらかた基本設定ができあがったら今度はその設定を基にしてさらに設定を積み上げていきましょう!

 

 どんな設定をつくればいいかって?それを考えるのがこのゲームでしょうがぁもうまったく~。

 例えば、どんなきまりをつくればプレイヤーが安心安全快適にプレイできるかを追求することをゲームクリア条件として、その実現のためにプレイヤーにはどんな自由や権限があるのかを決める。だったり、このゲームを理想的なゲームにするために運営にどんなことを要求し、どんなことを制限するのかを決めるだったり、そういったゲーム全体の方向性を決めて、ゲームを支配する考えを決めること。

 

 もっと細かいところでは、意見が割れた場合には3分の2の多数決で決めるだとか、話し合いはいつどこでどんなときに行うかであったり、持っていてもいいものや持参してはいけないものなどなど、大きなことから細微なことまで、大切だとおもうことなら際限なく挙げていってもいい。

 ただ200個も300個も挙げるのは一般的でなく最近ではあまり見られない手ですね。

 

 どう?わかった?

 

ゲームの歴史

 このゲームの原形発祥は実に4,000年あるいは5,000年前のメソポタミアだといわれています。

 それから3,000年もの間このゲームはほぼ王侯貴族や特権階級にだけ許されたものでした。

 そして13世紀から17世紀にかけて徐々に、また時に急速に参加資格が緩和され、現代のゲーム形式の直接の祖となる近代のゲーム形式が整っていきました。

 近代におきた二つの戦禍をもくぐりぬけさまざまに形を変え、いくつものローカルルールを生み出しながら、今なお紆余曲折蛇行退行なんでもござれをつづけながら今に至っています。

 

 ゲームの性格上おそらくは"完成"を見ることはない世にも希有な歴史とルールをもつ特異なゲーム。

 

ロールプレイ

 ゲーム設定ができあがったらその設定を文字に起こしてプレイヤーに発表しましょう。

 ルール設定してもだれもそのルールを知らないのではプレイもなにもないからね。

 

 さらにこのゲームでは他のチームのルールをのぞき見たり参考にしたり、さらには条件次第では他チームに移籍したり潜入して妨害できたり、ルールが大切だというのにルール無視もお構いなしのなんでもありな破天荒高難易度ゲーム。

 

 同時対戦、協力プレイ、殺伐とした世界観などなど、オンラインゲームの誕生するはるか以前から多くのファンを虜にし、内に含んだ問題や闇の部分においてさえ先行していた古くも新しいゲーム。

 

 成文化して発表して適用して、しばらく運用してみて修整が必要なら修整して、また成文化して発表して適用して…をくり返すのがこのゲームのすべて。

 

 もうわかったよね?ケンホウあそび。

 

みんなのケンホウゲーム

 ケンホウを漢字にしたら憲法。

 

 「あそび」といってしまってはたいへん不謹慎ではございますが、あの味も素っ気もない堅っ苦しい憲法条文であっても遊具にしようとおもえばできるものです。

 

デリケートゾーン

 サブブログを(結果的に)立ち上げるにあたり、さまざまな憲法、憲法案をみてきておもったことは、字面だけを追っているとわりあい大差なくみえたということ。

 条数の多寡に関わらず、また時代にもよらず、当たり前のことなのでしょうがどれも一通り大事なことについては触れられているのですから。

 

 しかし部分部分では親和性が非常に高いにも関わらず全体では対極に対置されるような憲法案があったりします。ほぼ言っていることは同じでもこの一条、この項目があるがために性格が一変するという、そんな強く広い影響力をもった一条、項目があったりするのです。

 これがまたおもしろいところでもあり、おそろしくおそろしいところでもあります。

 それだけに憲法はとってもデリケートなものなのだなぁと感じました。

 

私議憲法立案は妄想世界造遊び

 ある理念に向かって人や国が動くようにこんな規則を定めたらあんな世界になるのではないか?と妄想してみると、憲法がなんだか色づいて色めいてきませんか?

 

 それにほんの一条が他の条項との兼ね合いで矛盾や破綻をきたしてとんでもないものになってしまったりする非常に繊細なものですから、部分と全体の調整をとって憲法つくってみようとすると、ときめく仕分けが必要となり、これまた不謹慎ながら色づいて色めいてときめいて楽しそうな感じがしてきませんか?

 

 憲法学者のなかには自分なりの理想的な「世界づくり」構築の基礎となる「私議憲法づくり」遊びしている方が1人ぐらいはいらっしゃるのではないでしょうか?

 そんな風に考えるとあの鹿爪らしくいっつも眉間に皺寄せている(ただのイメージです。)高名高齢学者の姿がちょっとだけ幼く微笑ましく見えてきませんか?

 

 こどもが海岸で、砂場で、積み木で、ブロックで、お人形さんで、フィギュアで、落書きで、人や家や街並みを創造して戯れている姿のように。

 

 この建築(お遊戯)様式を寝殿造り、書院造り、数寄屋造り次ぐ妄想造りとでも名付けましょうか。

 

 ケンホウあそび、ご一緒にいかが?

 一足お先にはじめさせていただきました。