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あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

人権のベネフィット


 わたしは「パイの拡大」「パイを奪う」「ペイする」「それじゃあペイできない」とパイパイペイペイヘイヘイホー言う方を好みません。

 パイやペイと名指されたものがモノではなくヒト・人格を指しているときなどはとくに嫌悪感が湧出します。間欠泉です。

 

人権擁護のインセンティブ

 高齢者や障害者は一般的な生産年齢の方々と比べれば非生産的です。

 

 そこへきての超高齢化社会の進展に「障害者や移民への手当を厚くしましょう」といった声などなどは、時として高齢者や障害者、移民・難民といった生活困窮者に対し「生産開発に寄与せずカネ喰うだけの金食い虫」かの如くみなす冷たい視線を一部で養成してしまいます。

 また現代はそのような感覚が醸成されやすい環境が整っているようにみえます。

 

 概ねモノやサービスが出揃って、モノやサービスで溢れて需要が縮小していくなか、生産ベースで社会貢献や存在意義をはかるのは時代錯誤の風味が漂いかび臭くなりつつある感覚のようにおもえてしかたありません。

 

 賃金見直しなど介護の現場の充実は大切ではありますが、それを主力とするのは根本的に何かの開発や進展というものではないので国力が低下します。

 だからダメということではなく、それでは生きていけない、それを成長とは言えないしくみはどこか変なのではないでしょうか。

 

 ますますの少子高齢化の進展で確実にいやます生産者を凌駕する消費(一辺倒)者数。体がいうことをきかず生産に寄与できず消費ばかりの高齢者や障害者。

 少子高齢化で生産者数・生産力が落ちるのであればそれを補う生産者数・生産力は希少性を増し、これからますます希少な戦力となってゆくのだから、これまで通り生産ベースで社会貢献や存在意義をはかることは妥当なことではないかとおもわれるでしょう。

 

 たしかにその通りです。しかしそれは社会の至上命題は経済活動の活発化、経済指標の数値を上げることであり、人権よりも生産力を上位においた場合という但し書きを付した上でのことです。

 

 生産力ベースでは、ますますオートメーション化して生産面において人の出る幕がなくなってくると、人権も人命もますます値崩れしていくばかり。

 保護すべきもの一つ取り違うだけで、「ひとつ曲がり角 ひとつ間違えて」ってだけで自滅の道をくねくねひた走ることになります。

 

必然の無意味

 先に挙げましたリンク先の記事に寄せられたKoh Iwasakiさんのコメントにあるように、わたしもなにものにも意味はない、「意味に意味はないのだから意味はない」と「貨幣は貨幣であるから貨幣である」をもじったような考えをもっておりますが、意味はなくとも、意味の有無に関わらずあらゆるものが必然であるとも考えております。

 

 ただしかし、この意味のない必然を、意味がないからといって無視しようとは考えません。この必然の意味のなさを抱擁できるぐらいの余裕はあってもいいのではないか、わたしは意味がないと思ってはいますが、意味があると思っている誰かの想いを受容できるぐらいのおおらかさがあってもいいのではないかとおもうものです。

 どうせ無意味なのならすこしでも自由で楽しい無意味の方がいいじゃない。と想うのです。

 

意味のない境地で意味は語れない

 それに「なにも意味がない」という境地では言いうることはなく、なにも言えません。解脱して涅槃に至ったように「無」とも言えない「無」となりなにものでもなくなりますから。

 

 その世界はこの世界でありながらもうこの世界ではない世界であり、そのときその人はすでにありながら消え、消えながらあるその世界となっています。

 

 つまり要約すれば、無をもちだすなら「沈黙しなければならない」のです。沈黙でさえない、沈黙をも超越した無なのですから。

いみをもとめてさまようひと。

修行

 

必要なベネフィット

 意味についてはこれくらいにしまして、みなにとってよい社会、それぞれの天国を社会に近づけることについて考えてみたいのです。

 

 いったい誰が決めたのでしょう?この世は苦しくなくてはいけないと。

 

 いったい誰が知っているのでしょう?あの世は苦しくないと。

 

 この世もあの世も、天国も地獄もうれしたのし大好きだけでもいいじゃない。地獄はひどいところだって誰が決めたの?地獄が極楽でもいいじゃない。

 

人権の泣き所

 国益や経済学の観点からすれば必然的にお荷物あつかいされてしまう存在。

 このような見方に対して感情的な泣き落としで攻めたところで泣き落ちず。へたをすれば激昂を誘因しかねません。

 このような耳目に対して理知的に人権の盾で守り通そうにも防ぎきれず。へたをすれば夢見がちな理想論と見なされて相手にされないことでしょう。

 

 なぜ良心に訴えても聞き届けられず棄却されてしまうのでしょう?

 それは良心をもっていないからではなく、良心で景気は回復しないからです。

 むしろ良心を捨ててしまったほうが生きやすいこともたびたび。そのため良心に従いたくとも泣く泣く手放さざるをえない(なかには嬉々として唾棄される方もありますが…)ことがあります。

 

 なぜ世界的にも唱えられている人権に訴えてもそれで動く国や企業、人は少ないのでしょう?

 それは人権に准じたところでそれでカネが増えるわけではなく裕福になるということがないからです。

 人権に反したからといってそれで罰せられるということが他の権利に比して少ないからです。

 人権の崇高さが声高に唱えられる割にその現実的・実質的なインセンティブが極端に低く、それへの配慮もおろそかです。

 

 金融ビックバンや通貨膨張・インフレーションは起こされても人権ビックバンや人権インフレーションはその予兆すら見られず、ほとんど省みられたことがありません。

 徳性も政府債務のように膨れ上がりません。

 

 カネが回れば需要や生産が素直に上がるのか?消費性向の高い社会がはたして豊かな社会であると言えるのか?

 両端から同じくらいの声の大きさで説得されるものですから、畢竟一向にどちらがいいのかわからない。

 

 一寸もわからないのですが、ちょっとだけわかることは、現状で現実的な人権の地位向上をなそうと考えるのなら、お金は無視できないということ。

弁慶の泣き所

 

人権勧進帳

 生産にはあまり関われなくとも経済活動に参加できるように、寝たきりで人の手を借りなければ生きてはいけない状態であったとしても生きているだけで安心安全に生存できるよう消費し、所得を得てみずからの生活をまかなえるように、たとえ意識はなくとも生きているだけで経済活動に関わり社会に貢献できるようにしたらいいのではないでしょうか。

 そうしなければいつまでたっても人権はイニシアチブをとれないとおもうのです。

 

 それで試みにこんなことを放言してみたいと思います。

 「財源どうするの?」問題が常につきまといますが、ヘリコプターマネーやBIとかやってみたら?

 人権のデフレ状態脱却にも効果を発揮するかもしれないでしょう?

 

 今がインフレ下だったらまだしも、ながく続くデフレ下にあるのですし、それに生産力や需要が充分にあるのなら、お金をたくさん刷ってもそれを飲みこむだけの消化力・消費力、その余力と欲は補って余りあるぐらいあるのではないでしょうかねぇ?

 中国人富裕者の爆買風景や、その爆買に当初は対応できなくてもすぐに在庫を調達できてしまうだけの生産・物流能力を見せつけられるとそう思うのです。

 

 但し!もしほんとうにそれをするとしたら一時のことではいけません。

 期日を決めたり「デフレを脱し景気が上向くまで」といったようにゴールを決めてしまうとそのときまでのつなぎ、ただのバラマキ政策でしかなくなってしまいます。

 一過性のものだったら「生産に参与せず社会に寄生しなければ生きられないお荷物」といったように、さらにひどいことになりかねません。人権を援護射撃するつもりが誤射してとどめを刺してしまうことになるかもしれませんからね。

 

 人権に市場の矢面に立っても倒れない存在感を。

 でないと四條の南で「人権が肝心。人権超肝心、超肝心、超々肝心。肝心超」と勧進帳ぶっても見向きもされず、そのうちお隣さんに「今日も精が出ますなぁ」と、「もう堪忍。もう堪忍、堪忍堪忍、堪忍もう」と呆れられてしまいますよ。

 

 人権にベネフィットを。

 でないとそのうち人権「往生しまっせぇ」。

弁慶の立ち往生