置き換えたら異様さが際立つ「異次元のなんちゃら」や「だれだれドクトリン」、「○○改革」や「○○をぶっ壊す」などなどのスローガン。
家電製品だったら…
駆動中にドクトリン見直して異次元の回路を組み込んで改革してみたらぶっ壊れちゃった。
食品だったら…
絶えざる改革のなかから発見されたドクトリンをベースに生み出された異次元の味覚があなたの舌をぶっ壊す。
何でもかでもおしりに「ぶっ壊す」をつければたちまち不良品になってしまうというだけのことなのですけれども…
…ですけれども、「異次元」や「改革」という非日常に姿を見せるはずの言葉が日常的に紙面に踊る状態は順風満帆な日和でないことを否が応にも物語っています。
すでに、つねに、ずーっと、苦しく追い詰められていて、切り札は投売り安売り叩き売り、手元にはもう手札がないものだから、新たに引いたそうでもない札でも切れるだけで切り札あつかいとなってしまう苦境つづき。
平穏な日常はいずこ?
機械を動かす電気についてはまだ解明されていないところがあります。でもその電気がある日突然物理法則を打ち破って大暴走し、人に禍をもたらすというようなことはいまだかつてありませんし、これからもありはしないのです。にも関わらず経済というヤツは…つねづねインフレやデフレを気にして恐慌を避けるように配慮してもたびたび恐怖の大王、恐慌の大王がやってくるのです。
経済は人工物の製品に比べひとびとの活動や思惑、情念に大きく左右される自然物のごときもの。複雑怪奇で読み解きがたいものであることはたしかではありますが、それにしたっても不安定すぎやしませんかい?
これだけ不安定ですともうすでにリコール対象ではありませんか?
こうなると考えるべきは「経済成長」ではなく、より根本的な「金融システム」や経済状況を数値におこして方針や情操を決定する「経済指標」の見直しなのではないでしょうか。
なにをもって「成長」とするのか。どうであれば「繁栄」「安定」を見なせるか。どうすればより望ましい資源の分配が達成されたと言いうるのか。
現在の経済指標よりも公正公平でありながらも効率的で強力なためただの理想論だと棄却されない現実的な指標、そんな「価値の指標」とも言いうる経済指標の開発・発見が必要なのではないかなぁ~とおもいます。