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あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

奴隷は死なず。悪人と自由人はよく眠る。


自由人思考

 「今の仕事がそんなにいやなら辞めればいい」と言えるのは金銭的余裕を手にした労働から解放された人。

 もう労働から解放されているので労働に煩わされず、すでに労働から解放されているのでさらに労働について考えることがない自由人。

 

 古代ギリシアの自由人なら政治にもうすこし熱心だったかもしれないけれど、分断されて個人主義のすすんだ現代ではその傾向はあまりみられない。産業革命期のエンジンを分業流れ作業で組み立てていくたくさんの労働者がいるイラスト

 

 自由人はめんどうな労働運動をしない。自分の問題ではもうないから。

 時間を手にした自由人は労働問題から離脱していき、時間に追われる労働者は労働運動にまで手が回らず、しかして労働問題は留保されつづけて進展をみない。

 

自由人の経済活動

 「働き方を選ぶ」といってセミナーに勧誘するのは、その方法が普遍的なものではなく、既存システムに乗っかった画期ではありません。リニューアルされた踏襲といったところでしょうか。

 

 「誰にでもできる!労働から解放します」といってメルマガ登録を促すのは、そのひとのビジネスであって社会運動ではありません。

 労働からの解放運動ならその情報を拡散して社会変革を目指すことでしょう。

 拡散しようとしないのは需要と供給の関係の内にあり、みながそれをやりだすと利ざやが薄くなって、そのシステムを維持できなくなるからではないでしょうか。

 結局集客・収益のための企業活動であって社会運動ではありません。

 

労働の奴隷色

 マルクスさんにしてもアーレントさんにしてもプルードンさんにしても、こちら方面の方の文をみますと、奴隷貿易や黒人や黒船の黒でもなく、バナナや機械油の黄色でもなく、共産主義や激情の赤でもなく、これらどの色にも属していないのに、これらどの色でもあるような…絵の具のようにすべて混ぜた黒でも、光のようにすべて混ぜた白でもないのに、それらすべてでもあるような、なにかそんなような臙脂。寂れたトタンのエンジ。長い航海を経てフジツボをたくわえた船底のエンジが見えて、その色に包まれてしまいます。

 これがわたしの奴隷色

 

 なぜエンジ色が見えてしまうのか?

 理由はありません。なぜかそうだというだけの、ただの生理現象です。

 

 勤労賛美は近代の発明品

 『三年B組金八先生』見ていないのですが、いつだったかCMで「親だったら黙って働け」というシーンが流れていました。

 前後の話がわからないのでめったなことはいえないのですけれども、あれにはゾッとしました。

 勤労意識と無意識の隷従。奴隷が奴隷であることを自覚できない、それを隠蔽する認識の刷り込みか?と。こうして奴隷問題は横たわり続けてきたのではなかったか?と。

 

 このセリフで検索していましたら、言葉の隠れ家というサイトにいくつか金八先生の名言が紹介されていたのですが、そこでは、さきほどの「親だったら、黙って働け!それが親だ!」の次に「道はいくらでもある。でもな、逃げ出せば、道は1つしかない。逃げ道という道だ」という言葉が紹介されていました。

 

人を呪わば穴二つ。子をなせば道二つ。

 逃げれば逃げ道1つ。

 親になれば逃げ道と労働(道)の2つ。

 道が1本増えますけれど、どっちもねぇ…。

 黙って働いていても政治が自由人の手中では、奴隷の系譜、奴隷の遺伝は断ち切れないのでは?と、都市化の進展で教育機関が産業労働者育成・製造機関になるとみたウェーバーさんやフーコーさんや今村さんを、エンジ色とともに思い起こしました。

 

次回予告

 と、まあそんなことを言ってきましたが、次回、試しにゴリゴリのアフィリエイト記事を投稿する予定でいます。

 なんだかんだいってただ「お金持ちの自由人」を羨んでいるだけなのでしょうね。

 

 ということですので、この手の話題が苦手な方は、次回記事更新の通知があっても無視してください。