あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

このブログのサイトデザインのあれこれ


こだわりはなくても好みはあるの

 当ブログではじめに使わせていただいていたテーマは『Written』でした。

 このとき見た目を「雨といちご」をイメージしてつくっていました。

 なのでリンク色は岩波文庫の赤のようなピンク(#f03)で、マウスオンhover時の色は若葉のような緑(#0c0)にしていました。

 

 「よしっ!そこそこできた」とおもっていましたら、本来改変してはならないcssがあるということを知りまして、あわてて改変OKな『Innocent』へと変えました。

 そして見た目のイメージもほんのちょびっとだけ変更して「明るい小雨」でいこう!と決めました。

 

 ですからグローバルメニューがうっすらグレーなのは、明るい雨雲の雰囲気を出したかったから。

 

 リンク色を前回のように赤くしていると赤みが多すぎてしまうので青くして、かわりにhoverを赤くして、前回のイメージの名残を継承した地続きのものにしたつもりです。

 

 と、このようなことを書こうとずっと放置していましたら、気づいたらもう3ヵ月もたっていました。そこそこの文量でしたので、このまま消してしまうのも(貧乏性なものですから)ワンガリ・マータイさんだとおもい、公開してしまうことにしました。

 興味はないとはおもいますが、備忘録といいますか過去の記念として、以下に当ブログの見た目について記します。

 

ヘッダー画像に小雨をまぶす

 「明るい小雨」な感じをヘッダーで醸しだしてみようと『ぱくたそ』さんで「雨」と入力して検索してみました。

 そしてそこで見つけました「雨上がりの静かな朝(バラ)」を使わせていただきました。

 

 この画像をベースに、雨でにじんだような文字を入れようと、こちら(GIMPで文字をふわっと縁取る方法)を参考に、フォントは「あいでぃーぽっぷまる」でつくってみました。

 

 GIMPを使いこなせず(今なお使いこなせませんが…)だいぶ苦戦しましたが、出来は見ての通りです。画像やフォントの素材がいいのでなんとか助けられています。

 

文字色虹色

 今は記事内のリンク色は#00fの青にしていますが、はじめほんの一時だけサイドバーのリンク色もすべて#00fにしていました。

 なぜほんの一時だけだったかと申しますと、この青があまりにもきつかったから…。

 

脳に刻み込まれる青

 みなさんにはどのように見えていらっしゃるのかわかりませんが、わたしには残像が残るほど、脳に焼き付いてしまったのではないかと感じるほど強烈なのです。

 サイドバーにはハイパーリンクがたくさんありますから、ここに#00fを適用しますとレーザー照射の域を超えて、真っ青なレーザー砲のようでしたので、一時間とおかずにすぐ変えました。

 

 ただその反面、とても強烈鮮烈な青ですから、ポイントポイントであればとても効果的なのではないかと(なんの効果をねらっているのか自分でもわからないところではありますが)おもいましたので、それで記事内なんかでは#00fを使っております。

 

 青が「きつい」と感じるのは、昨今言われておりますブルーライトと関わりがあるのですかねぇ?波長的なものが。

 

角がない造

 わたしのセンスは壊滅的ですので「あっ、これいい!」というサイトデザインを発見しますと、それを拝借いたします。こうして寄せ集めているだけですので、とくにこだわっているところはないのです。

 ただ、こだわりというわけではなく、色味以外で「きつい」ということに関しまして、ただ1つだけ、そこかしこに手を入れているところがあります。

 それはカド

 

 角の立った物だけでなく角の立つ関係も遠慮いたしたいものですから、わたし、カドがすこし苦手なんです。

 できるだけ面取ってアールだしたいんです。

 ですからこのブログで使われているパーツの多くに「boder-radius」がかけてあるのです。

 

憧れはあれども…

 「ぐっさん」こと山口智充さんは、ピタッ。とおさまる感じがお好きで、四角フェチを公言されています。

 

 たしかに、ピタッ。とおさまる感じ好きです。好きですが、そのピタッとおさめたもの・外箱の外形の縁はほんのすこしでも丸くなっていただいていると、わたくしとしましては助かるのです。

 

 わたしにとっては赤を身につけるということと同じように、角の立った、エッジのきいた、あのキリッとして洗練されたシャープな感じに憧れはありますが、ダメ、できない。

 

M聖人

 SとMでは断然Sの方が臆病。

 Sは痛みを(加えることを)好む反面、痛みを斥け避けます。

 対してMは積極的にみずから痛みを得ようと人を促したり、要求したり、状況をつくったりします。

 

 こうしてMは巧みにSをコントロールして主導権を握ります。おそろしいほどの痛みへの渇望と執念。

 人間に限らず生物が忌避するものを積極的に望む存在は、正直こわいです。こわいといって畏怖に近いもの。

 殉教者を崇める心理には、教理に殉じるということだけでなく、このような、生物なら望まず、喜びともならず、自然と回避行動をとってしまうような事柄に対して、尻込みせず、すすんで、とまどいもなくすすみでていく姿勢に、畏敬と崇高さをみるからではないかと、ちょっぴりおもいました。

 

 臆病なわたしにはやはりカドは遠慮したいものです。

 あと気になるのはブログカードのサムネイル画像。あのカド落とせないかなぁ~。

 

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