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あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

『秘密』のコメントについて考えてみました。

思考 思考-遊戯

わたしの言い訳コメンタリー

 美女(みめい)さんに『秘密の力』というエントリにコメントを頂きました。

パブリックでも秘密は必要なんじゃないかな。暴力でしか暴けないかな?病名を秘密にすること、衝撃をなるべく低くするための秘密について考えて

 まとまりのない長文にも関わらず思いの外ちゃんと読んでくださる方がいらっしゃったことに驚きとともによろこびを感じております。

 そこでこちらのコメントに返信しようと書きはじめましたら…案の定また長くなってしまいましたので、以下考えたことを綴ります。

 

パブリックでも秘密は必要

 既存の秘密社会において秘密は必須ですが、秘密のないことがベースの秘密無社会ではまったく弊害がないとは言い切れないでしょうけれども、より誤解が少なく争いのすくない社会になるのではないかとおもいます。

 

 たとえば外交交渉などにおいて、ある国に対する経済制裁については一切話し合われなかったとしても、当国はそれを警戒して武装解除するかもしれません。しかし秘密無社会では経済制裁については話し合われていないという秘密も公開しなければなりませんから、ブラフやモーションによる牽制といったこれまでの常套手段は使えません。

 けれども、秘密無社会がベースとなったとき、そのときはきっと秘密を開示することでメッセージを送るという新たな手法が開発されているはずです。

 

 これは現実社会では比較できませんが、人工知能かなにかで秘密社会と秘密無社会の時間発展モデルをシミュレートして比較できたら明らかとなり、おもしろいだろうなぁとおもうところです。

 

秘密なしにはなくせない?

 秘密無社会は秘密社会なしには立ち現れないものだとおもいます。

 これはおそらく量子的で多世界なのだとしてもそのいずれの世界においても秘密無社会からはじまることはなく、秘密無社会だけでは立ち上がらない世界だとおもいます。

 というのは、それだけ秘密は生存に有利だからです。

 秘密を開示する生物と秘密を巧みに利用する生物とでは圧倒的に後者の方が生存に適しています。

 ですから一度世界まるごとリセットしてはじめから秘密のない状態を(条件ではなく)初期状態にしてやり直したとしても、秘密無社会に持続性はなく秘密社会に侵食されることでしょう。また、仮に実現できたとしても、それは秘密社会を乗り越えたすえのものでしょう。

 

 思考や発想の過程は異なるにしても「秘密は生存等に有利にはたらくから必要」というようなところがみめいさんが「パブリックでも秘密は必要」とおっしゃられるところなのではないかとおもいます。

 

 ですがわたしがなんとかごまかして勢いで乗り切って想像してみて頂きたかったのは、秘密社会から秘密無社会への越境前後の「秘密をなくしていく」ところではなく、過渡の後の秘密無社会において「秘密のないことを維持」するところです。だったとおもいます。すみません。前のエントリを書いているときにはここまで考えてなかったと思います。だからこれ後付けです。

 

ニュータイプとの齟齬

 過渡期を想うことと過渡後を想うこととはまったくの別物です。相転移やパラダイムシフトの前後では発想がまったく異なってしまうように。

 

 そんなことを思いながら昨日こちらの記事を目にしました。

 

 秘密の少なさは誤解の少なさにつながり、誤解が少ないといえばニュータイプ?ということと、まさにそのニュータイプが意図したように理解されず誤解を生むというようなことにむりくりこじつけますと、なんだか『ガンダム』のシャアさんのようではないかとおもいました。

 ちゃんと『ガンダム』見たことないのでわからないですけれども。

 

 シャアさんは過渡後の世界を夢みて社会を、そして人類を強制的に越境させようと行動した(り暴走したりした)のではないかと思いました(↑の記事を読んだ感想です)。

 

 決して「わたしはニュータイプだ!」と言いたいわけではありませんよ。それはあまりにもイタイタしいですから。さすがにそこまで飛んではいないと自分ではおもっています。地に足はついていなくとも、今日もまたお尻はまだ椅子についておりますから。

 

不可能な越境者の発想

 秘密社会の目をもってしてはパラダイムシフト後のことははかりかねます。といってこれをもって反論しているわけではありません。だってねぇ~秘密社会に生きているわたしが秘密無社会をちゃんと記述できているという保障はないわけですし、そんなんじゃあどこまでいっても空想の域をでませんもの。越境者の目は越境しないともてないですから。

 

 この点もちゃんと白旗挙げておいた方がいいと思うので言っておきますが、過渡期の目と過渡後の目では、過渡期の目の方が現実的で実践的で困難にして重要だとおもいます。というのはいくら理想を掲げても今現在の現実とその理想とをつなげられなければ妄想でしかありませんから。現実と理想との間に橋を架けなければ掬いようも救いようもないものですから。

 

 わたしの頭のつくりは基本メルヘン仕様になっていて現実社会に疎いものですから、それでこんな夢見がちな発想になってしまうんですよねぇ。そんなわたしはそう変態。

 この前の項で「相転移やパラダイムシフトの…」と、意味上あまり適切ではない「相転移」という単語を無理にここで使ったのは、ただこれを言いたかったがためです。相転移=相変態→そう変態。

相転移 - Wikipedia

 

 ここのところはできれば『歴史秘話ヒストリア あしたは動物園に行こう』で紹介されていたハーゲンベック動物園やベルリン動物園、上野動物園や東山動物園の錯覚を利用した展示のようにうまく見せかけて切り抜けたかったところでした。手前にシマウマのいる丘、奥にライオンのいる丘、その間には水場があって相互に行き来はできないようになっている状況を横から見た図

正面から見るとシマウマとライオンが同じ土地で近距離で向き合っているように見える図

 仮にわたしが橋を架けられたとして、きっとそれはタコマナローズ橋。危なっかしくて仕様がない。実用(現実社会)にたえない。

 

 もしみめいさんが、またはどなたか過渡期ではなく「越境後の秘密なしがベースの社会においてもやはり秘密は必要だ」「秘密無社会は秘密社会よりもひどいものだ」と思われる方がいらっしゃいましたらそれはどのようなところかご指摘いただきたいです。おもしろそうなので考えてみたいところなので。

 

秘密は暴力なしには暴かれないか

 秘密が価値をもつ社会において自発的に秘密が明かされるときというのは、その秘密を明かした方が有益だと判断したときか、あるいは良心につき動かされたかのどちらかくらいでしょう。

 そしてまたそのどちらも現実的ではありません。

 であるなら、秘密を表に出す手立ては暴力によるのではないかなあ?

 

 わたしの言う暴力の範疇は一般的な認識よりも広く、「~しなければならない・してはならない」「~したほうがよい・望ましい」といった常識や良識、法や慣習、規制や規則、はては意識や個人の思い込みまでも含む曖昧な力一般、強いものも弱いものもある強制力という(内発的というよりも外圧的な)圧力全般を暴力と呼んでいます。

 もっと簡単に言いますと、「世間的には言った方がいいかな?」というゆる~い認識も暴力に含めちゃっています。

 ここまで広く曖昧ですと暴力という言葉はなじまないですよね。

 

衝撃緩和の秘密

 衝撃緩和のための病名の秘匿については正直わかりません。わたしが「あなたは明日死にます」と言われても「はいそうですか」で済んでしまうような者ですから。

 また、衝撃の緩和は病名宣告のタイミングで対処できるのではないかともおもうのです。ただし秘密を一時も保持してはならないという厳格なルールを敷くのであればこの逃げ道使えませんけれども。

 

 それになんといっても病名の秘匿は秘密よりは死生観に依拠するものではないかとおもうところが強いのです。

 

 「あなたの病気は1年生存率20%、5年生存率はわずか3%に満たないものです。でもこれは統計上の平均値であって10年20年と生きておられる方はいます。」といったように告げるとき、言い方や捉え方によって衝撃の度合いは変わるのではないでしょうか?

 

突かれると弱い急所

 『秘密の力』では他にも指摘されると窮するところが多々あります。たとえばパブリックとプライベートの境界。 暴力の範囲。秘密の変域。白い嘘といわれる相手のことを想ってのいい嘘。秘密と嘘の境界線。嘘を秘密に含めるかなどなど。

 

 幼いこどもに「サンタさんはいるの?」と聞かれてしまうと困る方が多いのではないかと思います。意外に思われるかもしれませんがわたしは「いる」と答えます。「オゾンホールの影響でお引っ越ししたけれど…」とどこまで話すかが問題となるところですが、秘密のない社会ではすべて吐き出すことが原則だとするとこどもの夢を打ち砕き、望む答えを提示してあげられませんからどうしたものかと…。

 近年持ち込まれた観念ですし、はじめから事実を告げられて育った方を何人か見てきましたが、(ややひねくれた性格の方が多いですけれども)ちゃんと育ってますから「想像力が…」「健やかな成長が…」といったことはそれほど気にする必要はないのかもしれませんけれども。

 

 有名どころの例を挙げるならカントさんのものもあります。

 友人の命を奪いにきた者にその友人の居所を教えてしまっていいものか?そもそも秘密無社会ですと誰でも誰の居場所も知れているのかもしれませんからわざわざ匿っている者が言う必要もなく、匿うことも意味をなさないことになっていそうですけれども。

 でもこれだと倫理による乗り越えではなく仕組みによる回避策なので、迂回しているだけで倫理の発見でも普遍との邂逅でもないんですよねぇ)

 

越境をうながす

 こちらの『可処分オーダー』もそうなのですが、既存の枠内で問題解決を図る現実的な考えや試みについては地に足のついたちゃんとした方にお任せするとして、枠内では解決困難なことや、思考の枠組みを超えてはいけないということはないのではないか?というようなことを、大げさにいいますと喚起したいというところがありまして、それでわたしのブログでは架橋よりも対岸のお話が多くなっております。

 

 以上今回は苦しい言い訳ドキュメンタリーをお届け致しました。

 

 美女(みめい)さん。高度なコメントをありがとうございました。