あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

秘密の力

ながいです。まとまってないです。ごめんなさい。m(_ _)m

 

ひとには知らされない秘密の秘密

 秘密には力があります。

 秘密が力をもつのは秘密が秘密であるから。

 秘密であるというのは独占的であるということ。

 独占的であるというのは先進的であるということ。

 先進的であるというのは未来を手中にすること。

 

 先進的な技術や知識を得ることで相手を制することができます。

 反面先んじられれば制せられます。

 ですからこぞって秘密に覆いをかけて暗に暗にと押し込め隠します。

 

 こうして奥へ奥へと闇に移されていくほどにそれを知る者は少なくなっていき、情報は独占的になっていき、そうして機密の度合いが高まるほどに秘密の力が増し増してゆき、その情報へのアクセス権を握る者の未来コントロールの度合いが高まります。

 

 情報を管理・操作することは未来を管理・操作することに通じます。

 

未来の簒奪者

 なぜ秘密をもたなければならないのか?

 

 新技術は新たな未来を開きます。

 このような新たな未来を開く情報を秘匿して独占するというのは、未来に独走し未来を独占します。

 

 より強く速く正確な技術や知識を手にすれば、みずからの意見を通しやすく相手を御しやすいですから、予定や予測、未来展望がより現実に近い形で見通すことができるようになります。

 こうした未来予測の精度の高まりが意思と願望と、現在と未来とを近づけ、秘密を掌握する者は未来の簒奪者に近づいていきます。

 そうであるからこそ、みなこぞって技術を、未来を我先にと奪い合って争います。

 

未来を手にすることは過去をも手にすること

 『モーガン・フリーマン 時空を超えて 第六感は存在するのか?』で超心理学者のディーン・ラディンさんは実際にショッキングな映像が映し出されてそれを目にするほんの数秒前に生体反応が見られるとおっしゃり、これを「予知反応」と名づけておられました。

 他の科学分野においてもこの未来を予見しているような予知反応を実験結果から主張されておられる方もあります。

 

 また『SHERLOCK/シャーロック 忌まわしき花嫁』でホームズさんがマインドパレスを行き来し(仮想的に)過去と未来とを行き来している映像を見て、今現在の判断は数秒前にすでに決していたことだということの「数秒前」を延長すれば今現在の出来事はすでに遠い過去において決していたものとならないだろうか?とおもいました。

 

 さらにこれは『天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る』で、デミス・ハサビスさん率いるディープマインド社の開発した人工知能「Alph Go(アルファ碁)」に囲碁を教え強化するプロセスを見て思ったことです。

 Alpa Goは囲碁の腕前を高めるために3,000万局ものAlph Go同士の対局をこなしました。

 短時間の内に好敵手と3,000万局もこなすというのは生身の人間にはできないことですし、生涯の内に画期的な一手を見出すこともそうそうできるわけではないのですけれども、人工知能はそれが可能なのです。

 これって人間からしたら時間を短縮濃縮して時間を超えているようではありませんか?一旦未来に行ってきて再び現在に戻ってきて、未来で得た一手を現在で打つ!ようなものに見えませんか?

 3,000万局も経験した人工知能には"新手"がなくて驚かなそうですね。

 「人工知能は笑わない」のかもね。笑えないと言った方が正確なのかな?

 ↑これはただ「人工知能は笑わない」って本のタイトルかなにかにありそうでなんかかっこいい感じがしたから言ってみたかっただけ〜。

 

 ほんとうのところはどうなのかはわかりませんが、予知反応があるのだとしたら、そしてそれを延長して考えることができるのであれば、未来を制することは過去をも制していることになり、時の支配者のようではありませんか。

 

 と、すると、秘密を握っておきたい為政者の最終目標は時の支配者?

 

神様の感情

 全知全能の神は驚きを知らないことでしょう。未来を掌握する者もまた、その権能により驚きが極度に減少していくことでしょう。

 未来と驚きを失って、神や秘密の主は幸福でしょうか?

 未来と驚きの次になにを望むのでしょうか?

 そのとき望めるものがまだ残っているのでしょうか?

 

 ある分野で大成した方のなかには壮絶な体験をし、とても苦労して今日に至ったというのに、それでも若かりし日にもどりたいと願う方があります。

 そこには活力とともに驚愕力を取り戻したいという想いも含まれているのかな?

 未来をもう少し見えないもの、不明瞭なものにしたいと。

 

 あらゆるものを支配できたとしてもそれが幸福だとは限りません。得ることで失うこともあるでしょう。未来を得るほどに未来を失うように。

 でもそのようなことは行くところまで行かなければわからないことなのでしょうね。

 

 兎に角、秘密には未来をコントロールし他者をある程度は意のままに操ることのできる力があるという側面をもつようです。そしてどうもひとは支配欲が強いと言えそうです。

 

秘密は必要ですか?

 情報を隠し秘密にすることが平和を遠ざける一助となっています。

 なぜひとは秘密をもたなければならないのか?

 なぜ秘密をもちたがるのか?

 それは相手を制するため。牽制するため。先んじるため。支配するため…

 

 新技術の情報は企業においても国においても最重要機密として厳重に管理されます。

 秘密にすること、また秘密保持を是とする社会においては実際に秘密を握っていなくとも、ブラフであっても"秘密"の力が発揮されます。

 

国家機密を打ち明ける

 機密と言ってまず思い浮かぶのは国家機密、中でも国防、つまり兵站に関するものではないでしょうか。

 

 核兵器や細菌兵器、位置特定の衛星技術やプレデターのような遠隔自動操縦技術、さらにはそれら機密保護・漏洩防止策ともなる暗号技術。

 先進的であるほど相手には脅威となり、抑止力とも支配力ともなりますから、一歩でも先んじようと命がけ。実際に命が賭かっています。

 もちろんその情報が奪われればアドバンテージはなくなり、弱みとなるような情報を奪われればときに致命傷ともなります。

 

 機密について概観しただけでも秘密の重要性は十二分にわかることではあります、それでも問うてみたいのです。秘密は必要ですか?

 

過去でも未来でもやっていることはおなじ

 グローバリゼーションであらゆるものの移動がグローバル化しました。しかしグローバル視点はそれほど醸成されていないようにみえます。

 というのも、自国や自己を主語とするばかりで世界や地球を主語として話合われることが少ないからです。

 

 (和製英語ではありますが、)だからグローバル・スタンダードのスタンダードは押しつけにしかなっていないのではないかとおもうのです。

 やっていることは帝国主義と大差ないじゃない。

 言葉を変えただけで文明国と未開国と呼び分けて啓蒙・教化の名の下に行ってきたこととたいして変わらないじゃない?

 

思春期の世界

 資源の奪い合いで当のその資源を消費する戦争。

 分け合えば効率的だろうに、人材も含めて戦争で費やしたエネルギーやコストの方が圧倒的に多くロス(ト)してない?

 これでほんとうに資源もエネルギーも不足してるって言えるの?むしろエネルギーが有り余っちゃって戦争で発散しているんじゃあないの?

 世界は思春期なの?

 

 資源もエネルギーも不足している地域があることはたしかですが、一方で飽食だわモノであふれかえっているわでホーディング傾向示しているような国家があることもまたたしかなことです。

 このことから、問題は資源やエネルギーの絶対量ではなく、分配や配分のしくみにあるのではないかとおもうのです。

 地域ごとに見れば供給量の足りないところが点在していますが、全域で見ればトントンかやや余裕あるんじゃない?

 

 だとしたら、そろそろ第二次性徴脱して「みずから(自国・自己)の次の成長」しか見ない姿勢を改めませんか?

 

防衛力だけが抑止力の唯一の方策でも決定打でもない!

 攻撃力はもちろんのこと、防御力も力です。力を得るために資源の管理・運営・開発に勤しみ、それに関わる秘密も加わり、秘密が肥大化してゆくばかり。これじゃあいつまでも力比べに歯止めがかかりませんよね。

 

 (資本主義経済では、)独占は競争を斥け発展を妨げ公共の利益を損ないます。だから独占を禁ずる決まり事があるのでしょう?なのに(国は、政治は)独占志向なの?なにか心と体がちぐはぐなような感じがします。

 

 過去の歴史を振り返りますと兵站の量や質だけが戦争の勝敗を決するわけではないということを示しております。兵力に大差があってもそれを覆してしまった戦がいくつもあったわけですし、大国が小国に侵攻したところでそうやすやすと陥落することはなく、大国も甚大な被害を被りました。

 もちろんやすやすと陥落した城や国もありましたよ。ありましたけれどもそれほど多くはないでしょう?農民の蜂起でさえ楽々と鎮められたということはないですし、兵力や兵数が圧倒的に劣っていても気概ひとつで痛手を負わすことができるのですから。

 

 現代の軍事情勢下において軍事力というのは実際の戦闘力よりも牽制力・抑止力という意味合いの方が強いわけですが、にも関わらず牽制し合って軍事費を高めています。

 国家間の協定や協力関係によって軍事力に大きな開きがあってもそうやすやすとは侵攻も陥落もしません。

 SNSなどの個人メディアの発達により有事の際にも市井の人が国際世論に訴えかけてひとを動かし、国を動かし、もって侵略者に国際規模の圧力をかけることができるようになってきました。

 

 ときに武力や支配力をも凌駕する力が育ちつつあるなかで、それでもまだ秘密の握り合いをする必然性があるのでしょうか?

 

秘密の諍いをおさめられない不信心

 周辺各国みな現行のまま秘密を固く握りしめたままでいるなかで、一国だけが秘密を開放して手の内を見せるというのでは、その一国だけが食い物にされ、早晩、直接的にしろ間接的にしろ他国に未来を抑えられ、支配されてしまいます。

 

 このお互いがお互いに対する不信心、疑心暗鬼の牽制し合いが秘密の公開に対して二の足を踏ませるところであり、「国防のため」が確固とした正当妥当性を保持しつづけるところです。

 

 ですから秘密を放棄するためには多くの賛同協力国と法規制や意識改革などなどの入念な下準備が不可欠となります。

 こういったものなしで実現する可能性があるとするならば、それはSF的な全人類共通の危機に直面したようなときぐらいのものでしょう。

 それほど空想的な社会像ではありますが、この夢想に近づけないのであればこれからも激しい争いの現実を見つづけることでしょうね。

 

 外交官や大使館を相互におくのは監視より誤解を少なくすることが使命ではないですかねぇ?

 

 三十年戦争の講和条約、ヴェストファーレン条約を締結し、ヴェストファーレン体制を形成していったように、主権国家は激しい戦闘と多大なる犠牲の後に被害を抑える必要があるという認識を得て(平和のための←よりましな)体制を確立していきました。

 カネと秘密による激しい戦闘と多大なる犠牲をだして今に至る現在、新たに平和のための体制をつくることが必要なのではないでしょうか?

 

秘密に価値をもたせるな!

 ウィキリークス(WikiLeaks)が為政者に疎まれ民衆に歓迎されるのも秘密の力によるものでしょう。

ウィキリークスと情報流出の全貌

 

 パナマ文書が表に出たことでアイスランド首相が辞任に追いやられるなど、秘密が明かされれば評価は変わります。

 若者の政治離れが叫ばれますが「誰になってもおなじ」ですし、どの国もこんなんじゃあねぇ。

 

 候補者についてちゃんと調べたりしないといけないとはおもいますが、何千人と関わっているパナマ文書のような秘密に何十年もの間アクセスできないような状態で、差し障りのない情報だけを掴まされて候補者を選んでいる民主主義ってなんだか滑稽ね。

 パブリックな情報が秘されたままパブリックな判断を行う公人を選べというのは無謀というのか茶番というのか…。

 

 情報が秘された状態がデフォルト(初期)状態であることが疑われもせず前提となっているような社会。目隠ししたまま代表者や政策を選ばされていた大衆に向かって「誤った判断をした」と情報リテラシーを問うのはちょっと違うのではないのかな?とおもいます。

 

 国と時代にフリーライドで荒稼ぎして末はタックスヘイブン。いつしか国を越えていくつかの国を超えた私人・私企業。果たして今度のお話し合いで規制かけられるかな~。

 

秘密大公開!

 秘密保持社会のコストと秘密公開社会のコストでは、人類全体でみたとき、後者の方が圧倒的に効率がよいでしょう。抑止力や秘密の管理という観点からも、また倫理的な視点からしても、秘密の保持が公開に勝るところはどこにあるのでしょう?

 秘密の力による抑止力から公開の力による抑止力に移行していきましょうよ?

 

 意見がまとまらず決められず誰にも政治が動かせず混乱を招くのかもしれませんけれども、隠していることがないから深刻な疑心暗鬼に陥らず、言い争いにとどまるのではないでしょうか?

 

 「情報統制しなければパニックをおこす」と言われますが、それで情報隠蔽して起きたパニックの方がより多く、より重大な危機を招いていますでしょう?原発、戦争、密約、過去の過ち…数え上げればきりがない。

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 また「情報統制しなければ混乱を招き収拾がつかなくなる」と言われますが、パニックの原因を探ればやはりそこにも秘密が。つまり秘密の先の秘密があります。

 1つの嘘のように1つの秘密も肥大化していきます。何層にも折り重なった嘘のように何重もの壁を設けて頑なに厳重に秘密を守り通そうとします。

 抜け駆け先駆け虚栄心。保身とカネと自己正当化の方便と種々の欲のために。

 

 テロ行為は正当化できるものではありませんが、攻撃にあった国に非がないわけでもない。

 過去になにをしてきた?現在なにしてる?二枚舌ですり寄って利用し、ないものをあると言い張り、地雷や核廃棄物を撒き散らしておいてその国のひとたちには現在にもつづく問題を「過去は過去。これからのはなしをしよう。」と一方的にはなしをすすめる。謝罪や反省はなくともせめて隠し事をつまびらかにしてからの話じゃない?

 ほらまた。話が進まないからって恫喝してくる。それ対話って言いませんからっ!

 

 国益?巡り巡って国益損なってるでしょ?その国益は今の国益、あなた自身の利益のことでしょ?だから千畝さんよりアイヒマンさんの方が多くなっちゃったんでしょっ!

 

なしもなし!

 また、ここで一言しておきますと「言わなければ嘘にはならない」といって情報を秘匿してしまうかもしれませんから、いきなり全面適用ではいろいろ問題がありましょうから、まずはパブリックにおいて「言わなければ嘘にはならない」も晴れて正式に嘘や秘密に含めて「沈黙は金、誠実は希少金属」としますっ!

 

誤解のすくなさが争いのすくなさにつながる

 仕事中や学校の授業中に居眠りすると怒られることがあるでしょ?

 でもそのひとがナルコレプシーだったとしたら?

 何度言ってもなかなか覚えられない人がいるでしょ?

 でもそのひとが発達障害・学習障害だったとしたら?

 

 このような方々がいらっしゃり、思っているよりもまわりにたくさんいらっしゃるのだという知識の有無によってそのひとの態度や寛容さは変わるでしょう。

 つまり何を言いたいかといいますとぉ〜…、知識は寛容を醸成しないでしょうか?ということです。

 

 知は意思疎通における誤解を低減するものではないでしょうか?

 秘密だけが争いのもとではありませんし、誤解なくわかりあえればそれだけで争いが止むともおもいませんが、大半の戦闘は回避でき、また戦闘の火ぶたが切って落とされたとしても終息が早く被害を最小限にとどめられます。

 

 あけすけで情緒がなく、もしかしたら小競り合いは頻発するのかもしれませんが、誤解なく、さらにはお互い秘密もなかったとしたら、相手の立場になって考えることができ大惨事(の第三次)にまでは至りません。

 

 秘密が無用で不毛な甚大な被害をもたらしていることを否定できはしないでしょう?

 

育ってきた環境が違うから

 パブリックにおいて秘密がないというはいいのかもしれないけれど、それをプライベートにまで持ち込まれてしまうとプライバシーが…と、倦厭される方が大多数でしょう。

 それに、パブリックなことをプライベートなことと言い張って隠蔽されてしまう可能性を払拭できないと考える方もあるでしょう。

 

 他に懸念されるところとして、プライベートな秘密まで公開するような社会においてクレジットカードや社会保障番号、財産に関わる暗証番号などはどうするのかという問題が浮かぶでしょう。

 それは指紋や声や網膜や歩き方や皮膚組織や…こういった生体識別方式により代替可能です。むしろこちらの方が正確で確実ですから。

 そもそも情報が公開されて共有されていれば人も財もその動きが明確ですから管理が簡便になります。

 

 現行の常識は生まれ出た社会の慣習、植えつけられた観念によるところ大のものです。はじめから秘密のない社会でそれがふつうの世の中で生まれ育ったとしたら、そのひとたちからすれば「秘密があって当然」と思い込んでいるわたしたちの考え方こそふつうではなく不可解なものでしょう。

 「なぜわざわざ争いのもとになるようなことをしているの?争いたいの?好戦的だねぇ」とおもわれてしまっても不思議ではありませんよね?

 

 当ブログでは若(者)寄りの若人擁護の発言が散見されると思われるでしょうが、それはこんなところにあるのです。

 数十年前にはパソコンなど影も形もなかったのに今ではパソコンのない世界は考えられません。まだまだ先だとおもわれていた囲碁の世界での人工知能の勝利。地続きの時間と歴史と世界を辿ってはいますが、思考は世代と言っていいのか微妙なところですが、世代間で断絶して飛躍しています。常に求められてきたことは継承より断絶・飛躍だったのではないでしょうか?現代っぽく言えばこれをイノベーションと呼んでもいいのかもしれません。

 

 それで今、求められているのは経済学者ではなく経済思想家なのではないかとおもうところなのです。

YAMAZAKI MASAYOSHI the BEST/BLUE PERIOD

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秘密の放棄

 秘密は絶大な力をもちます。

 秘密が力をもつのは秘されているからです。

 公になれば効力を失う魔法です。

 ですから秘密の力を削ぐには光を当てることです。

 

 未来を奪い合うことをやめ、相手を支配する機会をうかがうことをやめ、独占しようとする姿勢を卑下する態度を敷衍し、秘密を探り握り利用しないことが当然であるという意識を養い秘密の力をなくすることが人類の課題なのではないでしょうか?

 

 交渉。とくに国家間の外交交渉は秘密を持ち寄り合う秘密の寄り合いになっています。そこで取り交わされた取り決めも、文章の黒塗りや密約、機密扱いに諜報合戦を駆使してまた機密。

 六波羅蜜に至らない秘密と機密の蜜月。

 お決まりの「相手のあることですから…」を盾に、盾の陰にしまい込まれる秘密。

 

秘密の力を無効化する

 秘密の力を削ぐのに必要だとおもわれることのいくつか列挙してみます。

  • 秘密を交渉カードに使用した場合、周囲から非難され、その交渉は強制的に無効とされるように取り決めておきます。
  • 秘密保持防止策として会議はオープンにし、各国が各国の情報にアクセスできるようにします。
  • すべての武器にGPSを搭載します。GPSのない武器の製造・販売・流通に関わった者は厳罰に処します。またこの位置情報は国家だけがアクセスできるのではなく、広く公に公開します。

など

 

 一つ目の「取り決め」は、当時、宣戦布告は必須ではなかったのに雄弁で銀に変えてえらい目にあったというようなこともございましたから、罪刑法定主義みたいににあらかじめ決めておいた方がよいでしょうということで挙げました。

 

 三つ目の「武器」は他の二つとはすこし毛色が違う感じがされるでしょうけれども、秘密裏に保持することで強力な交渉力をもち、秘密放棄を諦めさせてまた元通りにしてしまう強制力がありますので、ここに加えました。

 

平和の簒奪者

 秘密が平和を遠ざける一助となっています。

 であれば秘密を白日のもとにさらし、手札をすべて見せ合った状態で交渉することを前提としたらいいのではないでしょうか?

 

 国際規約で機密保護撤廃を約し、これまでの行いは不問とする(カンボジアか?ルワンダか?融和和解の第一歩として指導者が、被害者と加害者の双方を同席に付け、お互いの体験を語り合うことから国の再建を行ったということがあったかと思います)として過去の機密にも誰でもアクセスできるように開示し、諜報員もみんな引き上げさせてリスタートするという方向に舵を切ろうと強く主張する指導者が現れてもいいのではないかとおもうのですが、首脳にはすでに秘密が多すぎるのでしょうね?そんなことを言うひとは誰もいない。つぶやきすらしない。

 

 地球の大きさもわからず、生産力も、また分配能力もまだまだ未熟であった社会においては秘密を握り合っての牽制シアイも仕方のないところもあったかとはおもいますが、でもそろそろどうよ?

 

手札の見せ合い

 国政に限らず、民間においても秘密を手放していく方向に向かってゆくとよいのではないかとおもいます。

 

 治験や臨床などの実験データを人類共通の情報として誰もがアクセスできるアーカイブを作成すれば実験の重複がなくなりより効率のよいものとなるでしょう。

 

 なんにせよ現在の政治・経済・社会には無用な競争が多い!競争するところはそこではな~いっ!

 先進技術もオープンにして相互に協力し合えばより効率的で無駄のない、発展を加速させる社会となります。

 そのような思潮を阻害するのが独占欲や支配欲。そしてまたそれを目に見える形で助長しているのが富や価値。もっと直裁に言ってカネ。

 先進技術の開発競争ではなく経営手腕の発揮競争となっているところがあまりにも多すぎます。競争の主戦場が開発現場ではなく経営現場にありませんか?

プロダクトからプロセス。プロセスからマーケティング。

 1978年に発表されたウィリアム・アバナシーさんとジェームズ・アターバックさんの論文で「ドミナント(支配的)・デザイン」が確立すると「プロセス・イノベーション(工程革新)」が進む一方で「プロダクト・イノベー ション(製品革新)」が後退する「生産性のジレンマ」について指摘しています。ドミナント・デザインについて - BBIQモーニングビジネススクール

 

 また、つづくクレイトン・クリステンセンさんは1995年の共著論文や1997年の著書『イノベーションのジレンマ』において「破壊的技術」や「破壊的イノベーション」、「イノベーションのジレンマ」などについて指摘しています。

イノベーションのジレンマ - Wikipedia

 

 この流れに、さらに古くは1960年の「近視眼的マーケティング」について発表されたセオドア・レビットさんらハーバード・ビジネス・スクールの経済学者の思考を概観しただけでもプロダクトやプロセスの先のマーケティングに移行していくことが明示されています。

 

 何十年も前から主張されているのに、それを超克する抜本的な発想は提示されてはいないんですよねぇ~。

 人間性の破壊ということになると経済産業史上ではもう200年ほど前から(宗教史上では2000年以上前からですけれども)唱えつづけられていますのに、あれからずーっと「おカネ据え置き金利手数料金融屋もち」のままで変わりゃ~しない。

 

 流動性の罠?デフレの罠?道にも罠にも不案内ですけれども、なにかしらの罠に落ち込んだままだということは実感がありますからわかります。

 ここから抜け出るのに必要なものは期待感?それはもう通用しないとおもうのですよ。それなら(カネ)ハシゴ?それももう届かなくなったでしょ?「届け~っ届け~っ」ともともとだいぶ下げておいたのに届かず、さらにひっくり返るぐらい下げても届かないのですもの。

 

 もうこれは「既成のものの内での異次元」ではない異次元にシフトする時がきたということではないの?これは啓示か?

 

変わらないカネまわり

 資源の生産・開発・配分能力の乏しかった時代には金融が技術開発を促してきたという一面はあります。

 しかしだからといって技術力の向上したこれからもそうでありつづけると言えるでしょうか?

 金融は技術そのものでも発達そのものでもあったことはありません。金融で発達するのは実体のない金融技術です。

 「カネが食糧をつくってきた」と言ってもカネを食べられるわけではなく、カネがなければ食べられないというわけでもありません。

 「カネがモノを運ぶ」と言ってもそれはカネがモノを運んでいる社会に生きているということであって、カネがなくてもモノが回る社会はないということではありません。

 

 歳出割合を見ますと、時代と共に公共事業など形のあるものの割合は減っていき、社会保障費やそれに伴う国債などの形のないものの割合が増えています。

 形あるものは人間の手を離れつつありますが、形のないものは人の手を必要としています。

 まだまだ人の手を必要とする分野に人が集まらないのは選択できないからではないでしょうか?

 

 なぜか人の手を必要とする医療・介護・教育分野の報酬(カネ)は少なく、人の手を離れつつある製造・販売・物流分野の報酬(カネ)は高い。

 そこへ来て観光業はまだしも投資をすすめる不気味さ。

 カネを回してなにになる?モノを回すためのカネじゃあなかったかい?

 

 身体の自己所有から発し、モノに身体性を投射して身体を延長し、そうしてできた身体を切り売りする人身売買。財・富・カネに身体性を投影せず道具にもどすこと。カネは私有財産ではなく共有物・パブリックな道具だという意識にもどす必要があるのではないでしょうか?

 

分配法則の問題

 平和になるほど浮き彫りになる問題。それは人口と食糧の問題。平和になれば人口が増えるでしょうけれどもそれを賄う食糧生産力が追いつくかどうか。

 また、地球規模で見れば生産力は十分でも分配が追いつかなければ問題は解消されません。

 

 今現在の物流にしても熱量から考えれば物流会社は統合した方が断然エネルギー効率がいいでしょう。でもそうなることはありません。なぜならライスワーク社会だから。いくら無駄でも、どれほど非効率であったとしてもそれをしなければ食べられなくなってしまうのですからやむなくそれをするしかない。

 

 競争原理に飲みこまれているのではなく、競争原理という言葉に飲みこまれているのではないでしょうか?

 

命をつなぐLifework

 自家発電や自家菜園によってエネルギーや生存、最低限度の生活水準は保てるようになることでしょう。しかしそうなると、だれがなんのために働くのでしょう?

 広く機械化されてひとが労働に関わる機会が少なくなっていくでしょうけれども、その過程において、まだひとの手が必要とされる段階においてはどのようにしたらよいのでしょう?だれがなにをインセンティブとしてはたらくのでしょう?

 

 仮にこの問題をクリアできたとして、はたらく必要の無くなったひとはどのように生きればよいのでしょうか?

 ただ生きることはできるでしょうけれども豊かに生きることは困難となるのではないでしょうか?

 その場を動かずともすべてまかなえて生きてゆけるのであればそれを選択するひとも増えるでしょう。ひきこもりはいまとは比べものにならないほど多くなるでしょう。まあその分SNSによる関係が広まり強くなるのでしょうけれども。

 

 ひとが(ほとんど)なにもする必要の無い社会において生きる意味を提供してくれるのはlifeworkなのではないかとおもいます。それが実際に社会に貢献するかどうかは別として、それに使命感や面白みを感じて生涯を通してつづけられるようななにか。これを持てるかどうかが死活問題となるのではないかとおもいます。

 

空気の向け変え

 カネには資源分配能力もあり、だれもが無尽蔵に資源を使える状態を抑制する抑圧機能があります。だれもが自由にいくらでも資源を使えるようになってしまうと今よりももっと環境破壊が加速してしまうかもしれません。

 カネをなくそうと考えるのなら、カネに依らない資源の適性配分の仕組みを構築する必要があります。

 

 まずはみなが生きられるようにします。そのためのBIの普及はそう遠くない将来、地球の広域で実現するのではないかとおもわれます。

 

 カネをなくすだの前面機械化だの奇怪なことを申しておりますが不可能なことではないとおもうのです。

 適性分配が可能なら貨幣は不要じゃなぁい?

 「貨幣があるから適性分配が可能である」という前提と「適性分配を可能とするのは貨幣である」という前提とでは、つづく発想、後の方向はまったく別のものとなるでしょ?前者では貨幣ありきの条件が限定されたものになっていますけれども、後者では貨幣以外に適性分配を可能なさしめるものがあれば別にそれでもかまわないということじゃない?

 

 これまでさんざっぱら「景気回復には気が必要」だと説かれてきましたが、その「気」の向けどころを変える時期にさしかかったのではないでしょうか?つまり(借換ではなく)カネ変え・超えは可能だと気を向けること。

 

可能性を開く、可能性を見せる。

 人間の限界だとおもわれていた壁をだれかひとりが破るとそれはもう壁ではなくなります。そして数年後にはそこに壁があったことさえ忘れ去られます。

 ルービックキューブが世に出された当初、これを解くことは不可能だと喧伝されていましたのに、一度解かれたら堰を切ったように解かれるようになりましたよね?

 今では1分弱で解かれたり、目隠しでも解かれたり、当時の人からしたら奇跡のような出来事が見られるのです。

 

必要悪は逓減する

 秘密にしても分配にしても、それは「現実を見ろ!」だとか必要悪だとか言ってつっぱねられてきたところがあります。しかし必要悪なんてないのではないかとおもうのです。

 そのときの技術や状況ではたしかに解決困難であったことでしょう。しかしそれを後生の者が踏襲しなければならないなんて法はなく、環境や時期が揃えば積極的になくしていく、そんな先人が置き忘れていった課題が「必要悪」なのではないでしょうか。

 

 「必要悪」は、それが残っている内はまだまだ改善の余地があり、「必要悪」と言っている間は妥協の域を出ないものにとどまるでしょう。

 きっと「必要悪」は未熟さの指標ね。

 

秘密はなくとも…

 秘密を放棄し無意味にする。これを実現するためには暴力が必要となるでしょう。秘密を開示させる強制力。秘密を取り締まる捜査力。取り締まりを取り締まる監視力。従わない者を罰する拘束力。なにかしらの力、暴力をもってこれをなします。

 これも必要悪。ゆえにまだまだ未成熟。

 

 分配も公平公正のための規制のひとつとも言えますから、結局ひとは暴力からは逃れられないものなのかな?

 

 生まれた時にはすでに貨幣経済で、そこから抜け出せず、抜け出す自由はない。ということは(社会生活を送る上での)自由とは暴力の選択ということなのかな?

 どの暴力体制・暴力支配圏に属するかを選択することなのか?

 

こちらもいかが?