あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

「やさしい言葉」につっかかってみる


伝わる言葉が伝わらない

 たくさんの句を知っているわけではありませんけれども、むしろまったく知らないのですけれども、それでもめぐりめぐってやっぱり「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」が好きなのです。

 

 そうすることになんの意味もありませんし、それでは歌ではなくなってしまうのですけれども、この句を誰にでも伝わるようなやさしい言い方をいたしますと「蝉の声しか聞こえない」となるでしょう。

 

 ついでにももう1句。

 「古池や蛙飛び込む水の音」は「カエルが古いお池に飛び込んだ音が聞こえるほど静かだよ」となるでしょう。

 

 情緒がない。

 なんでもかんでも「やさしく言いましょう」「相手に伝わるように言わなくちゃ意味がない」「相手の立場に立って」とひとに合わせてやさしい言葉ばかり使っていたのでは失われるものが多すぎるのではないかとおもうのです。

 

むずかしい言葉なんてない?

 そもそもむずかしい言葉というのはなんなんでしょう?

 そもそもむずかしい言葉なんてものはないとおもうのです。意味のない言葉はぬきにして。

 「難しい」というのは「なにをいっているのかわかりにくいこと」という意味で同じ1つのことを表す2つの言葉ですが、話者の伝えたいニュアンスが異なりますし、なによりも単語の方が便利で使い勝手がよいでしょう?

 この意味でむずかしい言葉は本来「難しい」のではなく「簡単」「便利」な言葉なのだとおもいます。

 

メフィストの詭弁。ソフィストの自己弁護。

 それにこれってただ知っているか知らないかってだけのことでしょ?

 ただそれだけのことをなぜ不知・無知に合わせなければならないの?

 それがユーザビリティ?

 やさしい言葉のやさしさは誰がためのやさしさ?

 無知・不案内の弁解ではないかい?

 甘やかしではないかい?

という言い訳でもって今日もややこしい言い回しをして読みづらい駄文をつづる自分を自己弁護。