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あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

人生と仕事のバランス

社会 社会-労働

命を削るworklife。命を長らえるlifework。

 アーレントさんは人間の活動力には3つあると分析しました。

 これと似たようにワーク(仕事)にも3つあると分析する見方があるそうです。

  • ライスワーク(rice work):食べるための仕事
  • ライクワーク(like work):好きな仕事
  • ライフワーク(life work):生涯をかけた仕事

 

ワーク・ライフ・バランス(work-life balance)

 ワークライフは仕事をすることが前提で、仕事を軸に据えた上で仕事以外のやるべきこととしたいこととのバランスを取りましょうという考えです。

ワーク・ライフ・バランスとは何か - 『日本の人事部』

 

 わたしにはライスワークで満たされた現代において言われるworklifeという言葉が、workがlifeに先立ちworkを前提としたもので、命を削る度合いを示しているように見えてしまうのです。

 あっちでもこっちでもあやしい仕事、あやうい不正が多いというのに、work偏重のwork信奉でいいの?

 

 仕事に埋め尽くされるworkだけのlife。

 生きるためのrice workではlikeもlifeも二の次。

 生きるための仕事だったはずなのに、そのlifeがないがしろにされて蚊帳の外のworklife。

 

延命することもあるwork

 分業化が推し進められて先鋭化し、男は仕事、女は家事という意識の固定化がながらくなされていたあとに、今度はライフワークを見つけましょうと言われておいそれとみつけられるひとは少ないことでしょう。

 worklifeな仕事一筋だった方が定年後、なにもすることなく無気力になり老け込んでいったという話を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

 ひとの寿命が延びたのは衣食住や医療の充実によるものですが、その他にも「することが増えたから」とおっしゃる方もいます。そうであれば、つまり慢性的な暇を解消できないような方には適度なworkは命綱となるのでしょう。

 

worklife後の風景

 定年を迎え趣味のひとつももたない旦那は一日中家の中でごろごろごろごろ。

 朝になれば「母さん飯」。

 昼になれば「母さん飯」。

 日が暮れたころやっと口を開いたかとおもったら「母さん飯」。

 

 他に言うことはないのか!(食べる前に醤油をかけるな!)

 そもそもお前の母親ではない!

 あんたがいなけりゃ日に三度も作ったり食べたり洗ったりしなくてすむというのに。誰が日に三度たべなきゃいけないって決めたよ!そんなもんは勝手でしょ。2・3食ぬいたところで死にゃ~しない。むしろその方がその出っ張った腹が引っ込むというものでしょう。

 

 定年まで働きづめでゆっくりしたいというのはいいですけれども、仕事をしなくなったらすることがない。

 こういったところがこれまでの労働社会というものがいかにひとを教育・洗脳してきたのか、ただただ稼ぐことを善として然であると思わせてきたことかとおもわれます。

 

 これではまるではたらかなければ価値がない、することがない、はたらくだけの人生をよしとしているみたいじゃない?

 

ライフワーク・バランス(lifework balance)

 退屈を克服するlifework。暇を駆逐するlifework。

 

 なんでも思い通りになる世界では、ひとはほどなくしてなにも望まなくなり無気力となるそうです。

 これが真であるとすると、ひとはなにもすることがなければlifeを削ってしまうのでしょう。

 ですからlifeworkは生きる意味になり、lifeに価値を与てくれるという側面があるのだとおもいます。現に「これがわたしのライフワークだ」と嬉々として語られる方にお会いしたことがあるのではないでしょうか?

 

 lifeworkを見つけそれに従事できるというのは幸運なことなのかもしれません。でもあまりにも強い使命感をもってlifeworkに取り組み没頭すると、workに追われてlifeを削ってしまいます。このような方もご存じなのではないでしょうか?

 

 しかしたとえライフワークに命を奪われたとしても、そのような方々はとても満足そうです。

 一方で、ライフワークに命を奪われた方々は悲壮感に満たされています。

 

workとlifeのシーソーゲーム

 lifeとworkが併置されて、workの比重ってそんに重かったかしら?と思ってしまうアンバランスなシーソー。

 

 いつの時代にも働かなくとも生きてこられた人がいたわけですから、絶対の真理ということでもないのですけれども、これほどまでに機械化が進み労働や産業から人が追い出されるようになる前は「生きること」は「働くこと」と言っても差し支えないようなところがありました。

 それがもうあと数年もすれば機械に置き換わり失われる職業が増え、「ひとの仕事」について再考が迫られるようになってきますとどうでしょう?workの比重の重さに疑問を抱きませんか?

 

 なぜ働かなければ生きられない仕組みのままにしておかなければならないのですか?

 それでもまだ働くのですか?それでもまだ働かせるのですか?