あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

男が理解できない女の理屈。女が求めているのはただ話し合うこと。


怒りの性差

 男は怒ると近づきます。

 「やんのかコラーッ。こっちこんかいっ!表出ろや!」とメンチ切ったり胸ぐら掴んだり、「表出ろ」と言うのも遠ざけるためではなく、やはり近づくため。周りにできるだけ迷惑かけずに相手を手の届く距離に招くため。

 

 女は怒ると遠のきます。

 「やめて。こっちこないで。こないでって言ってるでしょ!出てって。あなたが出ていかないならわたしが出ていくわ」と手近なものを投げつけたり悲鳴をあげたり、相手が視界に入らないように立ち退かせたり、相手を視界に入れないようにみずからがその場から離れるのは遠ざかるため。

 

怒りのにおいの距離

 男性からはその能力が失われているようですが、女性にはフェロモンを感得する能力が残っているようで、遺伝的に自分とは遠いDNAをもつ男性をにおいの嗜好において弁別できるようです。

 ですから女性が怒ったときには、このにおい、(一時的なものだとしても)敵対するにおいを斥けるためにその場を離れるのではないかと考える方もおられたかとおもいます。

 五感の中で嗅覚だけは大脳新皮質を経由せず大脳辺縁系に直接つながるものですし、あながち見当外れということもなさそうですが、どうなのでしょうね?

 

 みながみなそのようなアクションをおこすとは限りませんし、心と体の関係など「男」と「女」をきっちりわけることが必ずしも適切ではないということが認知されてきた昨今において、このような性差の傾向をつよく主張することは妥当することではありませんが、男女の怒りにおいてこのような傾向があるのではないかという個人の所感によるお話です。

 

怒り爆発前

 この知識をもって相手の怒りに対処するのは危険です。

 というのは、怒りの表出一歩手前では、男女の怒りに対する傾向が逆転しているとわたしにはおもわれるからです。

 つまり、怒りの表出前では「男は遠のき。女は近づく。」傾向があるようにおもわれるからです。

 「男は厄介事から逃れるために。女は収拾を図るために。」

 

怒りの場面

 「おれの思っていること、考えていること、言いたいことは全部言った。だからあとはお前が決めればいい」などと言い捨てて(だってそうでしょ?たいていこのとき席を立ちながら、もう踵を返しながら言うのですもの)その場を立ち去ろうとする男に向かって「待って!まだ話し合いの途中でしょ?はなしは終わってないのよ。そこに座って…ちょっとどこ行くの。もどって来なさいよ。逃げるの?」の「逃げるの」という言葉にひっかかりながらもその言葉と話し合いの場に連れ戻そうとする女の手を振り切り男は出ていく。

 

 そればかりか、なかにはこのとき「逃げるの?」という言葉を「臆病者」という意味に受け取って女に手を挙げ、その後はやはり出ていってしまう男性もおり、それでも殴られた頬に手をあてがいながらもなおも男の手を、服の裾を、ズボンをつかみ追いすがる女もあるわけですが、いずれにしても怒りの表出時とは異なる、男女ともに交錯した行動傾向がみられるというのがわたしの観察日誌です。決して体験談ではございません。

 

互いに同じ方を向く怒り

 男女ともに憤怒時の行動ベクトルが真逆なわけですが、それが同時に表出しないのであれば、ベクトルは同じ方向を向いておりますので、同時に表出してしまったときに比べればより修復は容易なものとなりましょう。

 

 同性同士であれば片方は近づこうとしますがもう片方は退きますから衝突は避けられます。よい和解案・妥協案が提出され採択されやすいことでしょう。

 

デッキにある椅子に足を組んで座っているジーンズをはいた2人の人の足 男性が怒り女性がその手前の場合、男は近づき女もその場にあるので、話し合いによる決着が望めます。

 ただし怒りに任せていない女性主導でないとうまくいかないでしょうけれどもね。と申しますのも、男性主導で話合われた場合、怒り心頭の男性が求めているのは女性が折れることでしょう?だから女性が大人になって受け入れてあげないといけないのです。女性が折れてはいても、これも女性主導でしょ?

 

 女性が怒り男性がその手前の場合、男女ともに離れようとしますから、そのまま喧嘩別れということもありましょうが、一旦はなれたことで熱が冷めて話し合いの場を設けることができ、関係修復が図れることでしょう。

 ただし今度は反対に、女性より冷静であろう男性主導でないとうまくいかないでしょうね。女性主導で話合われた場合、怒り心頭の女性が求めているのは話を聞いてもらうことでしょう?だから男性が大人になって解決策の模索に急かずに、とにかく話を聞いてあげないといけないのです。女性が求めているのは男性に折れてもらうことではなく、話をきいてもらうこと。男性が聞き手・受け身な立ち位置におかれてはいても、これも男性主導でしょ?

 

 男女間の喧嘩において、憤怒のタイミングが異なる場合、より冷静な方が折れてあげるというのが懸命な選択のようです。

 しかし「どちらがより冷静であるか」を巡って「お前の方が冷静なんだからお前が折れろよ!」と、このことも争いの種としかねないところが男女間のやっかいなところです。

 

視線で変わる関係

 文化や生まれ育った環境にもよるでしょうが、日本のようにあまり視線をぶつけるということが好まれない文化圏では、対面に座り視線を合わせることは緊張関係を生むようです。

 対して隣で横並びに座り同じ方を向くと、おそらく距離も縮まり視界に入るものも、またその見え方も似通るので思考や嗜好が近づき、良好な関係を築き維持できるのではないでしょうか?

冷めつつある夫婦愛を出逢った頃に戻す、こんな方法があった

 

互いにそっぽを向いた怒り

 では問題の怒りの表出が互いに重なってしまった場合。

 はじめはそうではなかったのに相手の怒りに焚きつけられてそこへ至ってしまったという場合も含みますが、このとき、男性同士では、その手前では遠巻きに観察して衝突を回避しようとつとめてはいたことでしょうが、事ここに至っては退路が断たれ、退路を断ち、どちらかが倒れるか周囲に止められるかするまで突き進み、当事者ではほぼ収拾がつけられなくなっていることでしょう。

 

 衝突の後も男性同士ですので、互いになかなか近づこうとしない。

 一定の距離を保ったままですからわだかまりがなかなか消えない。

 殴り合いにまで発展してしまったときには決裂を辞さない覚悟だったでしょうから、片方が折れなければ、まあ長引きやすいったらありゃしない。

 これが子ども同士のケンカだったならまだしも、大人同士では打ちのめされた方が折れでもしなけりゃ腹の虫が治まらず、訴訟にまで発展しかねない。

 

 女性同士では気にしていないそぶりでとーっても気にしているので、なにかしら相手に自分の意思を伝えようとしたり態度で示しますので、決裂するにしても仲直りするにしても男性ほどにはこじらせないように感じます。

 仲直りと申しましてもそれはたいてい外見上のもので、表面的な衝突回避の状態を保っておけるという意味での仲直りのことです。

 また、決裂した後もずっと根に持ったままの状態を“こじらせる“というのなら、男性以上にこじれた関係を維持し続けるのですけれどもね。

 

 当事者間の意思の伝え方は罵詈雑言の応酬で激しいものとなりやすいですが、思いを吐き出した後はよくもわるくも腹蔵なく相手に考えが伝わりますので、互いに相手との距離感を掴みやすくなって衝突がおきづらくなります。外見上は。

 

 男女の諍いにおいては、斥けようとする女に詰め寄る男の構図となります。ですから、火への油の注入がなかなかたたれず、そのために互いの熱が冷めず、時間とともに重症化していきます。

 

 男女の諍いにおいて鍵を握っているのは男の姿勢です。

 詰め寄る男に女も詰め寄ったところで罵りあいにしかなりません。それならといって女が再び距離を置こうとしても男はまた詰め寄ってくるだけ。

 詰め寄る男からはじめから女が必至に逃れようとしていたとしても、男は女のそれを上回る必至さでもって詰め寄るだけですから事態は悪化する一方。ジャン・オノレ・フラゴナールの「ぶらんこ」

 

 怒りで遠ざかる女に怒りで詰め寄る男が気持ちを抑え、さらに詰め寄ることをほんのしばらくやめるだけで、女はこの事態を友達なりなんなりに相談し話す時間をもつことができますから、そうして女の熱が下がり、事態はどちらの方向に進展するかまでは予測できませんが、それでもいずれにしても建設的な動きを取り戻します。

 ですから男女の諍いにおいて鍵を握っているのは女ではなく、男の姿勢なのです。

 

男女の視線のすれ違い

 男は引きずり女の方がさっぱりしたものです。

 女は「なし」となれば「なし」。もう次を見ています。

 男は「あるかもしれない」。まだ夢を見ています。

 

 わたしは女の目は常に今より先をみつめているとおもっています。

 男の目は常に今より後をみつめているとおもっています。

 見ている先が異なるので話が噛み合いづらいのでしょう。

 

 たとえば女はこれから先について話し合いたいのですが、男はあのときの原因を探り、あの問題を解消したがります。

 男はそれを探ってこの先の衝突を避けたいと思っているのでしょうが、女はすぎたことの検証に重きをおきません。それをしてどうなる?とおもっています。まったくおなじ事象というものは起きないわけですからね。

 

目的のすれ違い

 男女の喧嘩をおさめるのに往々にして有効な手段は、男性が女性に合わせること。

 女に媚びろというわけではありません。合わせた方がうまくいくことの方が圧倒的に多いとおもいますよ~ということです。

 

 これは「女の意見に従え!」ということでも「男が折れろ!」ということでもないのです。時間を、呼吸を“合わせて”ということです。

 より正確に言えば、“合わせる”というよりも“合って”ほしいのです。女の話に合わせるというよりも女の話に合ってということです。つまり…

 

 女の言う話し合いに目的はないのです。話合うことが目的だから。

 

 だというのに男ときたら話し合いに目的求めて、それがないとなったら話しも聞かずに出ていく。

 

話し合いは話し合い

 「自分は思っていることをすべて言った」と言ってひとりで問題を解決しようとするなんて…二人の問題をひとりの問題にするなんて……ひとりで解決できると思うなんて………思い上がるにもほどがあるっ!

 それまでずーっとだまってたくせに自分が言いたいこと言ったら去り際に吐き捨てて行ってしまうなんて、そんなのズルイでしょ?逃げてるでしょ?

 

 「話があるなら聞くよ」と言ってその場にとどまったとしても、後でもできる検証を今しようとしますし、取り戻せない過去に固執する。こちらが「話合おう」と言っているのに話合おうとせずただ黙って話の出だしだけ聞いて「話はそれだけなら行くぞ」と出ていく。

 

 だ・か・らぁ~そうじゃないんだって言ってるでしょぉはじめから。

 わたしがずーっと言っているのは「話合おう」ってことだけじゃない。

 

 「話し合い」は「話し合い」以上でも以下でもなく「話し合い」なの!

 「出ていけ・出ていく」というのならそれも構わないけれど、その前にせめて話を聞いていけっ!

 

 女は話を聞いてもらうだけでも、その話が支離滅裂で結論のないものであったとしても、聞いてもらうだけで納得するってことが、それだけで話を聞いてもらえたと感じて満足することもあるというのに、それでもあなたは行くというのね?

 

と、まあこのような経過を辿りおおくのカップルは別れていくのです。

 

見当違いの認識

 あなたが大切にしているものはなに?

 それって下らないわね。捨ててしまいなさいよ。

 

と、言われたらどう思う?どう感じる?これが今あなたがしていること。

 

 男女のすれ違いの決定的なところは目的のすれ違い。男の見当違い。

 男の目には無意味な「ただの話し合い」と映ろうとも、女が求めているのはその「ただの話し合い」。

 

 どうせ「ただの」馴れ合いという程度の認識なんでしょ?それならなぜそのしょせん「ただのはなし」に付き合えないというの?「ただの」と思っているのなら、その「ただのはなし」ぐらいにはつきあえるでしょ?なにがむずかしいことある?拡声器で怒鳴る女性

 

 あなたには演劇かお遊戯のようにしか映らないかもしれないけれど、それがわたしにはどれだけ重要なのかまだわからない?

 あなたはひとの大切にしていることを嘲っているの。それがどれだけ失礼なことかまだわからないの?

 

 だからもうあなたとは暮らせないというのに?

 

 と、こうなる前に男性の方々はやく理解しましょうね~!


ぶらんこに座り手をつなぐ老夫婦の後ろ姿

 だから男が女の話に“合い”なさい、対峙しなさいって言っているの。

 

 聞く耳持たない男に用はない。

 聞く耳持って。なんなら聞くだけの耳でいいから。手遅れになる前に。

 

 ここのところが理解できないのなら、いつまでたっても話し合いは離し合いという結末しか語り尽くせないですよ~だっ。