悩むところはそこではない!普段着でいこうよ文体は。
つづいて文体です。
これは普段お使いになられている言葉づかいでよいとおもいます。いや、その方がよろしいかとおもいます。
カジュアルな言葉の効用
フォーマルな肩肘張ったような言葉づかいでは窮屈で無理がたたり書くことが苦しくなってしまうおそれもありますし、読んでいる方に親近感のようなものを抱かせづらくする要因にもなるとおもわれます。
それにキャラをつくってちょっと背伸びをしたり格好つけようと小難しい言葉を多用したりなんかもあまりしない方がよろしいでしょう。
なぜなら、小難しい単語では検索にもかかりづらく、読者がその単語の意味を調べなければならなかったりして手間が増えてと、いいことなしです。
普段から小難しい言葉を使う方は「ブログで稼ごう」とおもうのなら、そこんトコロちょっと注意した方がよろしゅうございますよ。
失敗例
えっ?わたし?
わたしはだってぇ失敗の権威ですもの~。当然そんなこと気にも留めませんよっ。あったりまえじゃない。
こむらが返りそうなぐらい背伸びして格好つけて小難しい単語を調べて使ってキャラぶれぶれ。読者のことを考えず埒外においてひとり独走ですよぉ~。
難しい言葉の文化
難しい言葉を使うのは敬意を表したり感情の機微を表したりするためだったりします。
小雨という言葉がなかったらこの雨をなんとよんだらよいのでしょう?
そのうち「チョビ雨」やら「バリ雨」なんて言葉がつくられないともかぎりませんが、それでもこの小雨は表せない。
小雨が失われたままになってしまいます。
ユーザビリティを高めようと簡便な言葉だけを使うようになり、そのような風潮が大勢を占めてしまうと言葉が均質化していってしまうのではないでしょうか?
古文や小説といった文学もありますからこれは極端な話なんですけれども、ユーザビリティ信奉には「読者のため」を無意識の口実とした文化退潮工作といった面もあるのではないかと、ちょっとピリッと辛口的なそれっぽいことを言ってみました。
印象を残すための「名前」以外の手
「稼ぐ」ためには自分のブログの知名度をあげることが大切ですが、ブログ名でそれをするのは難易度が高く、しかもわたしは「それほど大事じゃないよ。ブログ名(たぶん)」とおもっておりますので…。
さりとて「名をあげねばならぬのよ、稼ぐには!」と、お考えの方がおられるでしょう。
そこで、ではでは他に方法はないものかと思案しておりましたら…思い至りました。
でもそれは名を挙げる方法ではなかったのですけれどもね。
「別になんだっていい。いったいそれはなにか?」と申しますと、「ひとの印象に残る方法」でございます。
具体的には、口癖や独自のかけ声のようなものをつくってみるということです。
なんどでも…
きっと誰しももっていることでしょう…
「キーン」といえば……「アラレちゃん」
「ドーン!!!!」といえば……「喪黒福造」
というように、特段意味のない言葉でも何度も目にする耳にすることで脳内リンクが張られて印象が強く刻まれるということが。
そしてそれはなにかの折にも、またなにもなくてもふいに思い起こされ、「あれってどうだっけ?」と気になったりすることが。
1度でも…
以前見たと思ったのですが、わたしのなかでは「ぷーん」といえば「まつだりさこさん」なのですが、調べても出てこないんですよねぇ。あれは見間違えだったのかなぁ?他の方のページと混線して覚えちゃったのかな?
まあいいや。
いずれにしろ絵なりアイコンなり言葉なりがキャラクターと合っていると(受け手が勝手に)感じると、たった1度のことでも印象に残るということがあります。
それはそうちょうど…
「アムロ、行きまーす!」
「立て!立つんだジョー!!」
のように。
印象に残れば親近感がわいて応援しようという気にさせられるじゃない?世間一般には。
わたしは"応援"というものが苦手だからそういうことないからわからないけれど、心優しいあなたはもっているでしょ?応援心?
ウソとムチも使いよう「饒舌技巧曲」
「ブログで稼いで生活する」ことを"ブログ飯"というそうですね。そんなこともさきほど知ったぐらい下も上も調べておりません。"ブログ飯"の関連本の一冊も読まず、ただ一週間前ふいに思い立って書いている割にここのところ筆がはやく饒舌だとおもいませんか?
嘘のてんこ盛り
ひとは日に平均200~300ものウソをつくとも言われております。
だとすると一言も口をきかずここでしか話さないことの多いわたしはどうなってしまうのでしょう?(なんの意味もないことですが話の展開上→)この200~300というのを単語数や文章数に換算して集計してみますと、わたしの言うことはほぼすべてウソ。
もうこうなると、あれ?「あ」ってこんな字だっけ?「あ」ってなんだっけ?
というレベルにまで達してしまうのではないかと危ぶまれるほど嘘のてんこ盛りになってしまっていますね。
塩を振りすぎたおむすびではなく、塩に振りかけたご飯粒。
あるいは、ご飯の少ない丼ではなく、具のないご飯だけのそれじゃあ丼じゃなくってただのご飯じゃない?と、それすらも超えてご飯も入っていない空の丼。「丼」には違いないけれど中身がない。といったところでしょうか。
嘘の効用
嘘下戸
一つ嘘をつくとその嘘を隠蔽し話のつじつまが合うようにさらにいくつもの嘘をつくことになります。ですから正直に生きなさいと一般的には教育されますが…転じて、「長い文が書けないの」とお嘆きの方おられましたら、それを利用して、施された教育にすこし抗ってみて、試みにうそついてみてはいかがですか?
嘘上戸
いまのわたしのようにあっかんべぇ~したら五枚舌ぐらいにはなっていそうなほど、嘘をつき疲れるぐらい饒舌になってらくらく長い文が書けるかもしれませんよ?
信用と引き替えに…。
無知の効用
よくわかりもしない分野についてこれほどまでに(多)虚(少)実ないまぜに短期間のうちに書き進めてこられたのは嘘の効用ばかりではないとおもいます。まさに"よく知りもしない"からという面もあったとおもいます。
へたに知っていたら(私の場合は)心の奥底のさらに底にある"誠実さ"がジャマをして「これは不確かなことだから言わないでおこう」「こんなことは当たり前すぎるからこんなこと言ったら恥ずかしい」と、書きはじめてもすぐに消し、また書きはじめても調べて不安になってまたまた消すの繰り返しで、結局なにも書けなかったとおもいます。
アメとムチ
ときどきは自分に甘いウソとムチを使って書いてもいいのではないでしょうか?
という自己弁護です。
インフルエンザのことを流感とも申しますが、ウソウイルスに感染して嘘だ嘘だと自覚しながら書く文からは、なぜか醸し出されるソウル感。(リュウカンとソウルカンと…いつも以上にキビシすぎたね)
そういえば…
以前、日本の科捜研かどこかに所属されている方で心拍やインピーダンスなどをモニターする“ウソ発見器“より精度が高いと説明されていた、瞳孔の散大・収縮をモニターする“ホント発見器“を作成されていた方がいらっしゃったと記憶しているのですが、その後ホント発見器完成したのでしょうか?もう運用されているのでしょうか?
本シリーズ構成
エピローグ:「稼げるブログ」の失敗王者あらわる!?
第1話【 ブログ名 】:それほど大事じゃないよ。ブログ名(たぶん)。
第2話【記事タイトル】:ブログで稼ぐために必要なことはたった1つだけ!…なのかもしれない
第3話【 記事内容 】:これも大事だよね!稼げるブログには…なにを書いたらいいの?記事内容!!
第4話【 記事構成 】:書き方1つで見やすさ激変!?アクセス数伸びるかも?「いい記事」と見せかけ方
モノローグ①:稼ぐブログはなぜこうなってるの?お宝ブログに共通点発見!?…できてません。
モノローグ②:三角な遊び心。四角な安定感。
第5話【 文 体 】:ブログ飯の言葉づかいはムリなくムダなく自然体…に、ちょっと盛り?
第6話【 まとめ 】:稼げるブログと稼げぬブログを比較してわかったこと?【まとめ】
エピローグ:アクセス数で見る。これがわたしの失敗実績!
あなたがブログ初心者であるのなら、こちらもいかが?