自浄作用のない組織はキライです。
日本の犯罪件数は減少傾向にあるようですが、自損行為は犯罪ではありませんが、こちらも傷害事件に含めたとしたらどうでしょうねぇ?
メディアの発展もありますが、犯罪の高度化により巧妙となり、認知・検挙が難しくなっていて犯罪件数に反映されづらくなっているということもあるでしょう?
正義のだまし討ち?
交通反則が予算計上されているのなら着手数も操作されているのではないかとの疑念が残ります。
ストーカー被害をうったえてもなかなか動いてもらえませんでしたでしょう?
今はどうなのか存じませんが、運転免許更新の際にそれが任意であることを告げず同じ窓口で交通安全協会の寄付金を入れた合計額を言ってみたり、交通教本が日本一の発行部数を誇っていたりと、新人警察官に正しさを説く一方でこれじゃあ感情引き裂かれることでしょう。
人員のすくないなか退職者や処分者、自殺者などが増えて負担が大きくなっていくばかり。
材料の偏った公平な裁判?
捜査権をもつ警察や検察官の捜査を主として係争される現在の裁判において、情報が公平に裁判官や弁護士に明らかとされない可能性の残る仕組みは公平性に欠けます。
情報や証拠の隠蔽もしくは捏造があった場合には関係者が罰せられるはずなのに、その証拠も検討・検証できないおかしさ。
再審や冤罪決定時には捜査関係者や証拠認定者の責任を徹底追求されなければならないはずでしょうに、実名報道あまり目にしない。
管理社会から監視社会へ
不道徳が横行し慣行となってしまっているとしたら、捜査過程の全面録画もいたしかたないのかな…そうでなくとも街中いたるところに死角なく増えていく監視カメラを目にすると、自然とそういう流れになっていくのねぇと感じます。
証拠物が多すぎて裁判たいへんそう。
組織内部のいじめや腐敗、業務内容や人員配置の見直し、こういったことの検証と改善のためにも必要なことなのかもしれません。
ざんねんながら、人為だけではよくならないのでしょうねぇ…。
市民(受刑者?)を監視する警察官・刑務官を監視するパノプティコン?シビュラシステム?
Politics and Theories: 自由と管理―パノプティコンと現代社会
こっちはあっち。あっちはこっち。
公立・効率無視のだれかのための正義?
現場の方々ではなく、また警察官に限らず、役人のラッダイトによるベースアップ戦略と世論形成を行っているのではないかと疑義をいだくことがあります。
無駄をつくり残しておくことで資金と人員とを投入し、利益を得るために意図的な怠惰の挙に出ているのではないかと…。
裁量権をもつお役人さんと富裕者ほど所得というか金銭の流れを調べられることを嫌がるのではないかとおもいます。履歴から無駄の創造と放置が明るみに出そうですから。
公務員擁護
お志高く公務に準じる管理職の方や現場の方々はほんとうにたいへんだとおもいます。
公務員に対して「税金で食ってるんだろうがぁ!」と、罵声を浴びせておられる方がときどきおられますが、たしかに、なにかを生産するというわけではなく、より円滑な市民生活のためのサービス業といったところですし、給与は税金で賄われてはいますが、だからといってあなたの納めている納税額ではおよそこの組織、この仕組みを維持できないでしょう?
公務は国民の納める税の集積によって運営されています。
それをそのほとんどを自らが賄っているかのような言い方ではみずからの公共性の欠如を声高に宣言しているようなものではございませんか?