あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

世の中は悪くなるようにできて…いる?

Devil's Spiral

赤いカーテンの前で示すように軽く挙げた右手の先を見るように右上を向くさまざまな宝飾品を身につけた妖艶な女性のバストショット写真

 以前、ピーターの法則やディルバートの法則にすこしふれ、各階級は無能で覆い尽くされるというようなことを書きました。

 どうやら世の中が悪くなるようにできているのは、そこに人格が投影されているからなのではないかとおもいます。

 

 悪くなっているといっても下降の一途を辿るということではなく、技術力や生産力などの開発により生活しやすく安全で豊かにはなりますが、その成長具合が順調に向上していくわけではなく、なんというのか…悪性で満たされるといいましょうか、向上が阻害されるようになるということです。

 このような特徴も似ているところがあるのではないかとおもいます。

 

下降モデルあれこれ

満天芸術点

 Windows10のシャットダウン、ワンアクション増えました。

 許した覚えはないのに作業途中に勝手に更新のための再起動はじまりやがります。

 

 スポンサーがつかなければ開発も運営もできません。

 薬は存在していても保険適用外であまりに高額なため望む治療を受けられません。

 フィギュアスケートのような美を競う場を、美を損なうバナーで取り囲んでいます。広告で仕切られたリンクでスケートをする女性

 

 なんと芸術的なまでに醜いグローバル投機金融資本主義社会。

 これも人格の延長のなせるわざか?厚かましさと浅ましさの温床。

 これは集団としての人間の本性?逃れられないさが?

 

改革ではない!ただ切迫!

 やっとこさっとこ賃金が上がりだし、労基署が動き出し、労働環境改善に向かいだしてはきたものの、それは団塊の世代が一斉退出&少子化で労働供給力激減、こうでもしなけりゃ人員確保できないから雇用確保のためのベースアップ。

 雇用者のための雇用確保ではなく、事業者のための雇用確保。

 

 おそらく事業者も事業継続のためにそうせざるを得ないという切迫した状況に追いつめられているというだけなのでしょうから、事業者のための雇用確保でもなく、日々の生活に追いつめられての雇用確保。このシステムを保護するための雇用確保。

 

いよいよ来るスーパー競争社会

 田舎だからって足もと見ていたのか、同じチェーン店で隣やその隣町の系列店と比較してもここだけは今までいっっさい安売りやサービス向上なんて考えてもいなかったようなスーパーがいよいよ動き出したようです。

こちらを向く鶏

 

 たまご1パック168円ではなく68円!?常連ほど二度見したんじゃないかしら?

 

 それも近くに(といっても田舎なので3kmほどあるんですけどね。買い物難民はまだいないですが一本道を入ると信号機がひとつもない地区があり、携帯電話が圏外になるところがあるというていどの田舎です。この地域特有の感覚のようなのですが、ここに住む人の「ちょっといったところ」はちょっとではないみたいなんです。なのでたとえば「コンビニどこにある?」と聞かれて「ちょっといったところ」と答え、「じゃあちょっと行ってくるよ」と言って出ていった人が帰ってくるとたいてい怒ります。「どこがちょっとだよ!」と。)業績の上がっている他企業のスーパーが開店するから。

 

 競争恐るべし!動かぬ山を動かしたぁ~。これであそこも多少はまともになるかな?

 競争によってサービスが向上していいものがより安く買えるわぁ。こうして競争は社会を改善していくのね。

 …ほんとうに?たしかにそういう面はありますけれども…。どうせまたそのうちただの価格競争に収斂していくんでしょう?

 

さらに落ち込むスパイラル

曲がった工夫?

 『土曜ニュースまるわかり!』の「なぜ捨てる!?食品廃棄の裏事情」の回で、業界内で「ハムは水もの」と呼ばれていることを知りました。

 

 消費者は安いものを求めますので、企業としては安いものを提供するためにコストを圧縮。

 圧縮方法は(許容範囲での)水増し混ぜもの大量生産。

 

 それはよくいえば企業努力であり工夫。

 

 ある種“まがいもの”、やや劣るものを市場から排除していくためには、また、そのような流れをつくるためには、消費者がよく調べ選別することであったり、不買運動をするなり、なにかしらのアクションが必要となります。

 

 それはたしかに正論。

 ただ、低所得世帯にそれ求める?

 

貧者がゾンビを養い、ゾンビが貧者を救う相互扶助?

 高所得者であれば(高所得者のなかにも節約家はおりますし、ケチだからお金持ちだと言われることもあり(ケチかどうかはわかりませんが、お金が人を嫌なヤツにする?そうですし…)、一概には言えませんが)いいものを選ぶことができるでしょう。

あふれるほどの荷物を背負子に入れて歩いて行くサンダルの人

 

 低所得者では安いものにしか手が出ないわけですし、そのようなひとが常に一定数あるのであれば安売りを全面に打ち出す企業はながく生き残ります。

 そればかりか低所得者層が多いほどに息は長くなります。

 

 評価ではなく価格が価値指標の第一等ではいつまでも劣る物は市場に居座り続けます。

 …で、あるのなら、単純に評価を価値指標、信用、取引の道具の第一等に昇格させればいいのでしょう(といっても、今の貨幣もはじまりはそうだったのだけれど変わってきてしまったのだから、またリセットしたところで何年か後には元通りになってしまっているのかもしませんけれども…)。

 

 赤の女王の手から逃れられないのかな?

 

懸命と富裕の嗜好性

 人社会の階層と収入という富・価値・お金は概ね対応し、価格帯として物の階層として反映されているようなイメージ。

 

 低価格の物は低所得者しか求めないというわけではありませんけれども、職業別の嗜好というものがあるようですし、志向性があるのではないかと考えます。

データえっせい: 職業別の趣味・娯楽のタイプ分け

 

 こうしてわたしの偏執が行き着く先はいつもおなじ。

 やっぱりまた言ってしまいますが、懸命さをお金や時間ではからなければならない理由がわからない。

 

時勢の沼に沈み込む

 ときの経済政策によって円安傾向示したり、円高傾向示したりで、同じ仕事も価値・価格が変動します。

 

 消費者物価指数に連動した変動給与性だったり、相対評価ではなく絶対評価で個人のそのときどきの勤勉さによってつど給与が変わるような評価の仕方であればまだしも、そうでなければ懸命にはたらく真面目な人が表では「いいひと」裏では「お人好し」と称されること請け合う世相となるでしょう。というよりなっているでしょう?

 

承認評価の沼

 AIの暴走を防止する方法として分散型のブロックチェーン技術を利用した評価による仕組みというものがありますが、評価信用取引というのも一考なのかな?と、思います。

 

 でも…それではきつい承認社会、過剰な承認欲求に駆り立てるものになってしまうのかな?

 それに…評価・承認では危うさ満載。

 

 善悪ではなく多数決が優位ですから評価・承認を評価・承認するものが必要となりそうで、さらにその評価・承認を評価・承認する……。

 

直近の目に目を奪われて…

 英米からの借換期日が近づくなか、金本位制に移行して国際信用を高めて交渉を円滑に進めたいと考えていた日本政府。

 おりしも世界恐慌にあい、それどころではない。

 

 経済立て直しのため金本位制離脱で円安誘導も見越して(?)綿織物の大量輸出による外貨獲得、景気回復策を案じた高橋是清さん。

 見事に策があたり景気が上向いてきましたが、その成果が目にみえてあらわれる直前、大陸進出による景気回復策を信奉する軍部の暴走、満州事変の戦果に大衆の目は奪われ、大衆の評価によって景気回復の最大の功労者はすり替えられてしまいました。

 

美の世界にも濁流

才覚を抑えこむ大衆文化

 アマデウスの父・レオポルト・モーツァルトは生前、息子に「おまえは難しい曲を書きたがる。聴衆に受け入れられる、大衆に向けた曲を書くように常に心がけなさい」というようなことを言っていたそうです。

 

 「ひとのため、ひとに受け入れられるように」という態度は大切なのかもしれませんが、今は理解されなくとも、ただ時代が追いついていないというだけでよいものの誕生を阻むというのも、これまた「無能におちつき無能に留める」作用を発揮しているのではないでしょうか?

 

 なぜ能力ある者が能力なき者に合わせて不遇を強いられなければならないのか?五姓田義松しかり。あるていどは仕方のないところもあるのかもしれませんが、いつまでそれを時代と幸運に仮託させておくのでしょう?右手に杖を持ち左手で頬杖をつくオスカー・ワイルド

 

 ただ…あまり豊かになりすぎると痛みの芸術は縮小するのでしょうね。

 あるいは消滅してしまうか、あるいは濃縮されてしまうかな?

 

お金が贖えないばかりか損なう価値

 『開運!なんでも鑑定団』に絵画を水に1日浸し油彩はタワシでこすって汚れを落とし、床の間がないからといって掛け軸を切り額装する還暦過ぎぐらいの方が出演されていましたが、なんということを、なんと愚かなことを…。

 

 これは「自分の物であるからいいだろう」という心情がわずかにでもあるからこその暴挙でしょう。

 実際はそうですよ、所有権があり可処分権があり自由ですよ。

 でもねぇ…だからといってそれがいいということではないでしょう?

 許されているという意識はそこにはほぼなし。

 無知の見識と金額の基準から人類の叡智を損ない価値を人為的に摩滅し、あわせて倫理の頽廃にも荷担しているかもしれないなんてことは露ほどにも思い至らないのでしょうね。

 

2次元の異次元創造力

話の都合にあう未来より、都合のつかない現実を描いてほしかった

 ポイントがまだ残っておりましたので評価の高かった戸田誠二さんの『スキエンティア』を読んでみました…が、わたしにはあまり響きませんでした。

 全篇「がんばって働こう」ということが書かれておりその点が…。

 

 生活のため、認められるため、それがなんのためであってもいいですが、なにかのために今、一生懸命働く。それはとてもすばらしいことです。

 

 でもね…今に追われてその仕事の内容を問わない・問えないことには問題があるでしょう?

 製造会社も卸もスーパーも大量廃棄が発生していることを知っていながらやめない・やめられない・とまらない。

お金とフィンテックと色とその他いろいろのごった煮。 - 雨はいつもわたしのみかた。

カルビー かっぱえびせん

カルビー かっぱえびせん 90g×12 袋

  • 出版社/メーカー: カルビー
 

 シンギュラリティという考えが広く知れ渡ったのはここ数年のことで、それよりもほんのすこし前に書かれたものですから仕方のないところもありますが、描かれている世界の技術力と労働形態のアンバランスに終始違和感がありました。

 

オブジェクト指向の2次元進出

 マンガなりアニメなり、その物語をある程度追っていこうかどうしようかの判断は第1話の冒頭、その世界観の説明で決めることが多いです。

 絵や話の展開がちょっとぉ…とおもっても、設定や考えにひっかかるところがあれば見るようにしています。

 

オブジェクトの端はいつも今

 そうして最近追っているのが『ヘヴィーオブジェクト』。

 オブジェクト(強力で巨大な搭乗型兵器)の機動性や爆風の影響の小ささ、主人公の強運など話全体の流れにつっこみどころは多いですが、“慈善事業を資本主義社会における経済テロととらえる国“があったり、“言語の一元化をはかる言語帝国主義的な考え“をもつ集団が登場したりと、ひっかかりのたくさんある話だとおもいます。

言語帝国主義 - Wikipedia

 

『ヘヴィーオブジェクト』にも…

「おれたちなんのために戦ってるんだ」

「少なくとも正義や平和のためじゃねぇな おれは貴族の家を継いでてめぇはオブジェクトの設計士になる 今までと変わらねぇよ インディゴプラズマは敵とわかったんだぁ ならせいぜい踏み台にさせてもらおうぜ」

「君たちは他人の思惑など関係なくただ必死で目の前の味方を助けてきたんだろうな これまでも」

という今々しいところがありますけれどね。

 

 見せないところに実体が潜む

 活字なら言葉をつくすことができますが、映像(映画やマンガやアニメなど)でメッセージを伝えようとおもうとどうしても(活字に比べて説明調になって流れを妨げないように)言葉を凝縮しなければならないところがあるかとおもいます。

 

 『浦沢直樹の漫勉』を見ていますと、これほどまでに絵にメッセージを込めていたのですね。と、これまでの映像に対する姿勢をすこし反省するとともに見直す契機となりました。

 

 短いギャグもながさをもっている?

 近ごろはこれまでにも増して瞬発力はあっても持続力のない笑い「ギャグ」の隆盛を感じておりましたが、そう短絡的に見てはいけないのではないかと『世界一受けたい授業』の赤塚不二夫さんの

常識人でないとギャグは生み出せないんだよ

という言葉や、娘さんの赤塚りえ子さんの

常識が分かるからこそ常識のどこを壊せばギャグになるかっていうのをすごく分かってまして、だからこう意図的に壊すってことをしていました。

という言葉を聞いて思い直しました。

 

 思い直したというのは、はじめは落語のように時代とともに本筋が大きく変わるということのすくない、瞬発力はなくとも持続力のある笑いがやや低迷しているのは、情報量や伝達速度の速い世相、笑いさえも刹那的なものが好まれているのだとしか考えておりませんでしたので…。ここでまた反省。

 

 でもギャグは(ほぼ)受け付けません。

Mの書 - あめみか 

 

幻想が夢をみせ、夢が実体をみせる?

 芸能界・芸能人の方々はみずからの職を「夢を売る商売」と称されますが、それが「当たればデカイ」ということを意味している場合と、「現実逃避」「現実にはありえないような世界も見せる」ということを意味している場合とがあるとおもいます。

 いずれにしてもそれは「夢を売る商売」というより「幻想を売る商売」なのではないかと思います。「夢」ではきれいすぎるとわたしは感じてしまうものですから。

 

 「夢を売る商売だから現実を見せない」ではなく、『漫勉』の試みのように、見えづらい実体をもうすこし開示してもいいのではないかと感じます。

 

 読んだことがないのでわからないのですが、『バクマン。』も普段見えない・見せない実体を描いたものなのではないかと推察いたします。

 

 ギャグを売りとする芸人さんそのひと本人の実体でなくともいいですが、芸人さんの普段見えない・見せない実体を知ればギャグの見方もかわるのかな?

 

締めのご挨拶

 「世の中は悪くなるようにできて…いる?」ということで書き進めてまいりましたが、出口政策がありませんでしたのでご覧のように入口出口ちぐはぐの収拾のつかない駄弁となってしまいました。

 

 話が紆余曲折し長くなってしまいましたのでいくつかの記事に分ければよいのですが、そんなめんどうでわずらわしいことはしたくはありませ…編集手腕はもちあわせておりませんし、「世の中は悪くなるようにできて…いる?」ようなので、このあたりで失礼させていただきます。

 

 おあとがおわるいようで。