あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

お金とフィンテックと色とその他いろいろのごった煮。

いろいろ色経済

フィンテック窯

 モバイル決済や仮想・暗号通貨などFinaceとTecnologyをあわせたFinTechが広まっています。そのうちフィンテックの関わらないものがなくなるでしょう。

 

 株の自動売買ソフトというものがピンからキリまでありますが、利益を出すソフトは往々にして高額です。

 しかしこのようなソフト、このような機会・機械の価格はこれから下がっていき、だれもが利用できるようになっていくようなのです。

 銘柄の選定から売買まですべて人工知能がおこない、それを多くの人が利用するようになるとどんなことが起きるでしょう?

 

均質人工トレード

 人工知能にも各種ありますからその挙動はまちまちでしょうけれども、合理的な判断をするのなら、おのずと行動は決まってくるのではないかとおもいます。

 

 極端なことを言いますが、「売りだ」とおもったタイミングが同時だとすると、実際に売るタイミングも同時になるのではないかとおもいます。

 反対に「買いだ」とおもったら実際に買うタイミングも同時になるでしょう。

 ミリ秒でも違いがあればいいですが、ナノ秒すら違わない同時であったならおそろしい乱高下。

 

 さらに同時ですから売り注文はまだしも買い注文が発行済株式数を超え、発行可能株式数をも超えてしまったらどうなるのでしょう?(こっち方面に暗いのでよくわからないのですけれども…)

 

 こういった機械的な問題は事前にクリアできていたとしても、これまた極端な設定ですが、みんなしてソフトを利用してうまいこと利益をあげられるようになったなら、利益ってなんなんでしょう?

 利益が差異と意味とを失っていませんか?

 

 これは人工知能によって生産のすべてがオートメーション化されて人間の出る幕がないといったような仮想世界でも発せられるかもしれない問いだとおもいます。

 人工知能による生産面の代替もフィンテックの圏域に含まれるとしたら、同じ問いが発せられるのも当然のことなのですけれどもね。

 

 さらには、フィンテックで硬貨や紙幣といった物理的な貨幣に接する機会がなくなっていきます。おそらく純粋に数字だけの存在へと昇華することでしょう。

 

釜開き

 フィンテックという登り窯にくべられた硬貨や紙幣が焼尽し、後には仮想通貨のような数字が焼成されるのではないでしょうか?それもそれほど遠くない将来。

 お金は古代からある穴窯なので高温状態を数日維持しなければならず、今は大量のお金を育てて、切り出して、投入して窯の温度を上げて、温度が下がらないように不眠不休で監視しなければならない時期なのかもしれませんね。

 

 ないと思われていたBIも「なくはない」というぐらいにはなったとおもいますし、そのうち自由貨幣も「なくはない」ぐらいになるのかもしれませんね。

 それを飛び越してお金のない社会になるのかもしれませんが、すくなくともわたしの存命中はないのでしょうねえ。

 

資源分配圧としてはたらくお金の効果

 お金には交換手段・価値尺度・価値貯蔵といった機能があります。

 ここにリエターさんは投機と支配の道具という機能も見出しており、「あぁ、付け加えてもいいんだぁ」ということで、わたしはここに「分配圧」を付け加えてしまおうとおもいます。

 

分配ツールに分配機能も付加

 お金・価値は所有権と密接に関わり大変にややこしいものです。

 ここまでお金がそのうちなくなるのではないかという悲観的というのか無頓着というのか脳天気というのか…そんな戯言ばかりでしたが、お金がなくなると所有権も曖昧になるのではないか?

 いやいやそこはどうにかこうにか奇跡的に理想的にうまいことおさめられたとして、それでもやっかいなことが起きるとおもうのです。

 それは資源の配分。

 

 お金がなければ欲する人が欲するだけ取り放題になってしまわないかな?

 そんな状態が今おきていないのは硬貨の効果がいくぶんかはたらいているからなのではないかとおもうのです。

 

新規か珍奇か分配圧機能

 「それはあなた交換手段の守備範囲ですよ~」とおっしゃるかもしれませんが、(お金を内包した資本についての言及ではありますが)「財産・所有は盗奪」「所有の起源は収奪か徴収のどちらかである」とおっしゃるプルードンさんや「略奪の蓄積」と言われるハーヴェイさんのような方々もおられることですし、なんといっても目新しいことを言ってみたいので、交換手段とは異なる機能だとさせていただいて新奇さを装わせてください。

office-ebara - おおいに論争を - ハーヴェイ著『新自由主義』を読む(下)

 

 持てるものは無尽蔵に消費・浪費してよいということではありませんが、こうして可処分者の選考圧・分配圧として機能してきた面があるとおもいます。

 

 「分配圧」を加えてもよいものかどうかは、ちゃんとした人のちゃんとした検証が必要ですが、いかがなものでしょうか?

 ただでさえお金にはさまざまな機能が付与されて複雑怪奇な道具にされてしまっているのですから、そこへさらに機能を追加して煩雑さを増すような暴挙にすぎないという敗色濃厚の考えですけれどもね。

 

お金色 ~色づく人と毒づく人~

 手垢にまみれても色はつかないお金と数字。

 だけど色づいた人に色づけられてしまうこともある。

 お金に色はなくてもお金が色をつけることがあります。

 

妖しく光るお金色

 億万長者が妬まれ憎まれるのはお金が妬まれ憎まれるから。

 なので億万長者はその形代にされているだけなのではないかとおもうときがあります。

 お金持ち全員がそうだということはないですし、イースタリンの逆説ということもあるのですが、なかなか「金持ち欲持ち」色を払拭できない。

かたしろ【形代】の意味 - goo国語辞書

「サイエンス道の辺」(2010年3月)

 

 金利操作や投資によって生産物の価値が変化することがあります。

 これまで以上に懸命に働いてもタイミングによっては収入が下がることもあれば、これまで以上に怠けてもタイミングがあえば収入が上がることもあります。水洗トイレのレバーをひねるがごとく、個人の努力を軽く一蹴してしまうようなところがあります。技術で勝っていても経営で劣れば逆転されてしまうことがざらにありますからね。

 

 破壊をともなったり出所の不明なお金もあり、色のないお金でなく、貢献などにより収入があがる色のついた新たな基準・道具が21世紀の秘密道具のなかにはあるのかな?


「(みんなして声に出してみるけれど)だれもお金のない国を見たことがない」

 

見てはいけないけれど見なくては見えない色

 ひとを色眼鏡で見ることは固く戒められます。

 しかし透明に見てしまっては見ていないも同然ですから、人になにかを見なければならないでしょう。

 

 十人十色。ひとそれぞれ色があります。

 でもそれでは波長の違いや受信者の色の好き嫌いがあって、十人十色の色眼鏡をかけることになりますでしょう?

 

 半眼。見るともなく見て、見ないともなく見る。

 禅問答のようですが、ひと色(←肌色というわけではなく)で説破で…でいかがでしょうか?

 

 仏教では「空」というのでしょうけれども、それでは輪郭・人形(ひとがた)も失われてしまいますから…。十人十色。十人人色。

(↑リポーターは那須晃行さん推しです。)

 

人色脱色

 ミルグラム実験も、また、ゲリラが少年兵を殺戮マシーンに仕立て上げるときに標的の射撃訓練をくり返すのも、命令に従う悪の凡庸を利用し、習慣づけ、人からひと色を抜いて透明にする、あるいは物化させる過程でしょう。

 

 労働力が少量高価で国内労働需要は期待できないとなれば、目線は即、国外へと向けられるでしょう。このとき外国人労働力は(外国人労働者とも見られず)安価な労働力としてひと色が脱色されて見られていないでしょうか?

 

 ノルウェーの犯罪学者ニルス・クリスティさんは、ナチスがノルウェーに侵攻してきたとき、自分と同じノルウェーの人がなぜ捕虜を殺害したのかということに疑問をもち、またそれを調べていくと捕虜を殺害しなかった人もいて、どのような人が殺害し、どのような人が殺害しなかったのかを調べました。

 すると捕虜とたわいのない会話を交わしたかどうか、つまり捕虜を自分とおなじひととして見ていたかどうかという点が分水嶺だったということをつきとめました。

鬼蜘蛛おばさんの疑問箱:ニルス・クリスティの言葉

[カラパイア] 囚人たちの楽園?いたれりつくせりのノルウェーのハルデン刑務所

 

 ひとの目からひと色を奪ってしまうことが人を人に対して残忍にさせてしまいます。

 生物にたいしてもそうでしょう。犬や猫と見ずにうちの子、自分とおなじ生きものと見ているから慈しむのでしょう。

 

 (オーラということではなく、)命色見えていますか?

ロバート・f・ケネディの演説 | takahirosuzuki.com

GDP信仰からの脱却6〜現在のGDPの構成 - 金貸しは、国家を相手に金を貸す

GDP信仰からの脱却8〜GDPに代わる指標開発の動き - 金貸しは、国家を相手に金を貸す

 

今今いまいま忌々しい。

 ひとは案外容易に適応し馴化します。

 

 幼児は多言語の発音を聞き分けられますが、臨界期を超えると機能の整理・取捨がすすみ、母語でない言語の発音が聞きとりづらくなります。

 

 またスポーツ上級者はいろいろなことを考えているのではなく、自然と体が動くようになっていき、むしろ頭を使わなくなっていきます。

Don't think. Feel!(考えるな、感じろ)

の境地に近づいていくということでしょうか?

 

 いずれにしろひとは成長・発展していく過程で脳を活性化させなくともすむようになっていくという面があります。

 

今は未来より重要か?今と未来に位階はあるか?

 長時間労働なども寄与しているとおもいますが、オートメーション化の進展やフィンテックの普及で考えなくなっていく人が現れるのではないかとおもいます。

 

 ブログ閲覧逍遥中、そのまま引用すると支障を来すおそれがありますので改変しますが

現在のことより未来の話を重視するなんて本末転倒

といった言葉に出会いました。

 以下この方が未来を軽視しているわけではなく、またそのように考えておっしゃっているわけでもなく、ただわたしが字面だけを捕まえて思ったことを言っているだけだということを念頭に置いておいてほしいのですが、今・実学・実生活・現実的…そういったものに追われて(現実直視の思考ははたらいていても)未来に関しては思考鈍重になっているのが現代社会の傾向なのではないかと感じました。

 

 シェールガスの採掘方法が開発され(シェール革命)原油価格が下落しています。

 価格が下がれば買いやすくなり消費量が増えるでしょう。

 供給過剰で価格が下がっているわけですからあまり変わらないのかもしれませんけれども、化石エネルギーと一括してみますと、消費量は増加するでしょう。

 

 でもいいの?地球環境ではなく値段に左右されていて?

 

 (原油価格は先物ですから「今」とはちょっとだけ言いづらいですけれども、「今行われている取引」ということで)今の偏重・未来の楽天視は刹那的で将来世代への配慮に欠けるところがあるとおもうのです。

 それでいて「自分の子どもや孫に美しい地球を残したい」などと演説うたれましたら「なにをのたまうか!」となるでしょう?これでは後難逃れがたし。

 

今を突破する光

 人口に膾炙されていますが、忙しいは心を亡くすと書きますでしょう。

 今によって時間を奪い思考を妨げるというのは、今では為政者には格好の謀略になっているようです。

 

 日々の今を捌くことで手一杯。未来や普遍は後回し後回しでついにターンはまわってこず。理想の社会を描いていないからやってもこない。気づいたらまあそれに近いものだと思われる(というのは想ってこなかったから感覚や予測でしかないのです)ものになっているから、まあまあいいかの受け身。今を能動的に引き受けてきたのに。

 

 個人であればそれでよいのかもしれませんが、公で考えますと首肯しかねるところがあります。

 目標を定めてそこへ向かう日々というのであればわかりますが、目標なく日々を懸命にというだけでは道をそれても気づけないでしょう?追っているのか追われているのかもわかりませんし。

世界の果ての通学路

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  • 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
  • 発売日: 2015/01/23
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 今を見つめる視界を曇らせて一筋であってもまばゆい未来への希望。

 それは忌々しい今を突破するひとつの方法なのではないかとおもいます。

 

 今ばかり凝視していたのでは希望がみつけられず、未来ばかりみつめていたら足下おぼつかないですからバランスが大事という有り体のことをさらっと言いたかっただけなのですが、「本末転倒」とまで言い切られて、「今・ここ」の一しかないという基本姿勢は変わっていないのですが、自分で身内の悪口をいうぶんにはいいのですが、他人が身内の悪口をいうとカチンときたり、他人があまりに自分の身内をよく言うと貶めたくなる心持ちに似た、なにかそういった意識がはたらいて、大人げなくムキになってしまいました。失礼致しました。

 

 未来に現在はないけれど、現在は未来の途中。

来生たかお ベスト PBB-16

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  • アーティスト: 来生たかお
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  • メディア: CD
 

 

真空の中でひとりまわる独楽

 なにかに触発されておもったことをほんの二言三言話してみようと書きだすのですが、触発に触覚が接触して食指の一人歩き。気づけば熱せられたふくらし粉が二章三章と水増しされて、さらに水増しされた水とリチウムが反応して四章五章と膨らんでしまいました。

 ふくらし粉もリチウムも入れた覚えはないのになあ。

たくさんの木のコマの中に赤いコマ1つ

 

 しかもその内容がいつもいっつもいつまで~も同内容の言い換えとおぼしきものばかり。

 なんの抵抗も外力も得ず、惰性の慣性で一つ所を延々まわるイノベーションなき運動。

 回る回る。「あちし!回る!!」ですわ。

 

これでおしまい。

 「本末転倒」という言葉に反応してしまったという話だけのつもりが無節操に際限なく広がってしまい、前章が締めのつもりだったのですがさらに触手がのびてしまいましたが、本章が締めです。なにがあってもこの章で締めます。

 

 すっと話せばいいのにわざわざ歌うミュージカルが苦手なのですが、それとは知らずに『ポカホンタス』をみました。

 

  • 先住者を野蛮人とみなして蛮行をはたらく開明人。なにを切り開き、なにに明るいのか。
  • 命令に無批判に従ってしまう悪の凡庸さ。
  • 思い込みで対話は不可能であり無意味であると決めつけて武器を手にすることは、どこか労を惜しみ考え行動することをめんどうくさがっているところがあるのではないか?
  • 億劫がって対話をしないのは果たして若者なのか?
  • 老いては子に従え。若者の言葉にもっと真摯に耳を傾けなければならないのではないか?今、若者がなにを主張しているのかわかりませんが、年長者が突拍子もないと鼻にも掛けないような構想が、実はブレイクスルーの決定打で本質を穿つ唯一のものなのかもしれない。

 

 と、いろいろなことが想起されました。

 

 この記事をあらかた書き終えたところで見たのですが、ここまで書いてきたことがすべて『ポカホンタス』で描かれているようで、すこし焦燥感漂いました。

 

 当初は前回記事と混じり合った1万字を超えるごった煮を超えたごたごた煮だったのですが、さすがに長すぎまとまりなすぎなので、入れ替え組み換えつなぎあわせて分割してみました。

 それでも5千字を超え、なおかつまだまだまとまりきらない長文にお付き合い頂きまことにありがとうございました。

ポカホンタス

ポカホンタス

  • アーティスト: アラン・メンケン,スティーヴン・シュワルツ
  • 出版社/メーカー: ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
  • 発売日: 2004/07/09
  • メディア: DVD