虚空蔵求聞持法独唱
100日で100万回(日数は諸説あるようですけれども)虚空蔵求聞持法を唱えれば、あらゆる教典が理解できるようになり、類い希なる記憶と智慧とが得られるという修行法があるそうです。
求者ではなく愚者ですので当然のことながら修行を達成したことがありませんから、実際のところはわかりませんが、こういったことにつながるところがあるのではないかなあとおもいました…
- 記憶の宮殿(記憶の迷宮)へのアクセス方法を体得する
- 心身を整える呼吸法
- 鏡の前で「お前はだれだ」と問い、ゲシュタルト崩壊を誘引して自我を崩壊させる
などなど
いずれにしても、その鍛錬中やそれを体得したときというのは、自我を意識せず自己から離れている忘我の状態なのではないかとおもいます。
忘我状態の現れ方がひとそれぞれ異なり、他者から聖者や即身仏、物の怪や精神崩壊・精神錯乱状態とみられるのではないでしょうか。
他者は己の鏡とも言われますが、このような忘我の人がどのようにみえているかということもひとつの指針なのかもしれませんね。
わたしは痴呆の方をみますと、かわいそうといった悲哀や憐憫の情があまり湧いてこず、どこか羨望の念を抱いているところがあります。ただ生きられてうらやましいといった具合に。
痴呆の方と接する機会はすくないこととおもいますが、みなさんは痴呆の方に接するときなにをおもうでしょう?
もし10歳にも満たない頃の自分の子がある日、急にずーっと虚空蔵求聞持法を唱えだしたら、たとえそれが記憶力をあげるためだったとしても、「やめなさい」と言わずに見守ってあげられるでしょうか?
三日と待てず「お願いだからもうやめてください」と哀願してしまうかもしれませんね。