あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

発見のつらなった丁字路

芋々発見日

 先ほど(と言っても、もうこんな時間)、とろろ汁を食べに行ってきました。

 111番の席でした(←これはどうでもいい情報ですが)。

 田舎道、毎日のように自然薯を路肩にならべて売っておられる方がいるようなところだというのに、思い返せばこれまでまともにとろろ汁を食したことがないのではないか?ということで、お店で食すのはほぼはじめまして。おかげさまでお腹がすこしいい調子になった感じがしています。

 

 むかしはとろろを食べているそばから口がかゆくなってきたという記憶があるのですが、ぜんぜんかゆくないです。

 以下、そこで思ったことがつらつら連なります。

 

発見1 「とろろにはレモンが合う…かもしれない」

 レンコンと椎茸とむかごの真薯揚げもたのんだのですが、まずこの椎茸。

 椎茸の効きぐあいがすばらしい。椎茸が苦手な方も、もしかしたら認めてくれるかもしれません。

 

 さらにそこに添えられていた一片のレモン。このレモン、芳香がやや立ち、後味もやや長めに残りますがイヤじゃない。むしろあり。このレモンによってしんじょうが洋風のようにも感じられます。洋食店で出されても違和感ないのではないかとおもいました。かといって和を崩すこともない。和食としても洋食としてもいけます。

 

 香味豊かなレモンいますところにとろろ汁を向かえいれましたところ、TKG(たまごかけごはん)ほど甘くはない素朴な木訥とした甘味のある自然薯がほどよい酸味で味の輪郭線が引かれて表現の幅が広がりました。

 メロンに生ハム、酢豚にパイナップル。どちらもまだ受け入れられないのですが、とろろにレモン!は意外な発見…かもしれない。

 

 年末より長く尾を引く鼻風邪で鼻が効かなくなっていたのでそう感じたのかもしれませんが。

 

発見2 「意味深な書き置き…その後の二人は」

 お客さんが自由に書き置きできるノートが置いてありまして、そこに昨日の日付で、男と女の温度差、男女のすれ違い?これからどうなるの?と、物語が広がる言葉が残されていました。

 内容を書いてしまうのはよろしくないとおもいますので、書けないのが残念ですが、二行ではじまり、二行でおわる。

 言葉はこわい。

 

発見3 「これまでにない…白着色ってどう」

 そのお店には浮世絵が展示されているのですが、そのほとんどが高いところに飾ってあり、よく見えません。しかし北斎さんの『神奈川沖浪裏』は近距離でみることができ、そちらの遠景の黒のグラデーションにのこる摺り後を見ていておもったことです。

 

 前回の続きのようなことを言いますが、滝の流れを水墨画のように一定方向へのにじみやぼかしで表現してみてはどうかと放言してみたのですが、その方法として…

 

  • 滝裏の岩の凹凸を表すのに岩の突端だけ彫り残し、その点に色をのせて一定方向に摺る。うまくかすまないようならだいぶ危険ですが、版木か和紙のどちらかを霧吹きで吹いて水分を含ませておく。
  • あるいはあらかじめ滝に一定方向の薄墨のグラデーションをかけておき、その上にほどよい感じに白をのせてみるか、反対に、あらかじめ色をのせたくないところに白をのせておいて黒をのせる。
  • 滝を白の色味だけで表現する。日本の城といえば姫路城や熊本城などさまざま列挙されるでしょうが、日本の白といえば胡粉ではないでしょうか。ですがここではいろいろな白を使ってみる。ベビーパウダーとかね。

 

 着色だけでなく空摺り(はすでに見られますが)や雲母摺りもありますし。とろろ汁のなかにもさまざまな白があります。白が気になる…。

 

 こんなことはもうだれかが試しているとはおもいますが、無知を指摘されることも辞さず書き連ねてみました。

 

発見4 「疑問generator」

 ディオスは神、ゲニンは元素を表すラテン語で、Dioscorea Japonica(ディオスコレア・ジャポニカ)「神の小さな心臓」という学名をもつ自然薯にはDHEAを増やし、ホルモンバランスを整えるディオスゲニンという物質が多く含まれているそうです。

 これは発見というより疑問ですが、ゲニンgeninはgen-で「もと(元・素)」ってこと?

 

発見5 「下品好み」

 下品にも急須の蓋をあけてみました。しぶ~いの、にが~いのを好む者からするとあまりにもライトで、おそらく産地があのお茶とおなじだとおもわれましたので。

 するとあのお茶は決して不味いということではなく、その産地特有の風味で、ただわたしにはあわなかったというだけのことのようです。

 

 さっぱりとしていて甘味のある上品なお茶があわないみたいです。ペットボトルのお茶がおいしいとおもえないです。酸化防止剤の影響なのかわかりませんが、わたしには酸味がつよすぎて甘くてにがみがすくなく感じられます。

 

 おいしさの表現として「あまぁ~い」と言われることがありますが、甘さは正義なの?

 甘さにもいろいろありましょうに。

 甘いものすきですが外国製品のチョコの甘さは嫌いです。干し柿の甘さ苦手です。甘さを引き立てるための塩チョコ、塩ジャマです。

 

 急須の蓋をあけてみて茎や葉が鋭く切れていて、茎が多く葉が広がっていないところからすると、これはどうも手摘みではなくハサミっぽい。

 お茶にコストを割くことのは難しいとおもいますが、それだけがちょっと残念でした。

 

茶刈

 わたしがまだ幼かった頃、手空きの一族の者はかりだされてお茶を摘む。これが夏の風物詩でした。

 ハサミより手摘みの方が単価が高いのですが、それがいくらだったのかは聞いてもはぐらかされちゃいましたのでわかりません。

 また手摘みといっても一芯二葉を堅持して、一つ一つ摘むなんてそんないいお茶ではないので、ひとによって精度と丁寧さはまちまち。

 うちだけに限らずまわりの家の方々もそうで、摘みながら「あそこはまた荒いねぇ」「下刈り雑にするからまぁたでこぼこしてるよ」「早く摘まないから伸びて青くなってきてるよ。なんだ今年は摘まないだかなぁ?」な~んてわきあいあいとした陰でのかるい罵りあいをそこかしこでみせていました。

 

 そんなこんなでいくつものカゴ一杯に摘まれた茶葉を一度、うちに持ち帰り、ゴザの上に広げて枯葉や茎なんかを取り除き、それを数人の男衆がお茶工場へ運びます。

 各家のお茶がハサミか手摘みかは分けますが、重さを量った後はひとまとめ。こうなるとそこそこ丁寧に摘んでも関係なくなっちゃう。

夜明け前のまだ暗い茶畑

 

 いいお茶は別ですよ。品評会に出したり献呈するような特別なものは各家で仕上げます。

 うちではそっちは一切やってませんでした。今はどんな感じなのかまったくわかりませんけれどもね。

 

 以上、下品なひとの独り言でした。