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あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

切っても切れない関係


撞着癒着循環

トートロジーの魔

確率の哲学的試論

確率の哲学的試論

  • 作者: ラプラス,内井惣七
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1997/11/17
 

 

 格差不可避で搾取機能を伏在させた現代のようなエグい資本主義、悪辣なシステムとしたのは信用創造やアンチエイジングマネーといった仕組みを導入した、または採用させた一部の銀行家や世界支配を目論む秘密結社の陰謀なぁのだぁあああ!

 

 …と、主張される方もありますが、貨幣にさまざまな特徴を付与して人類を支配する道具に使っているとして、道具による支配を目論んでその道具に頼り依存すると思考がその道具を中心として展開されるようになり、ますます依存度が高まり、気づけばその道具なしには方策を考えられない、それどころかその道具がなかったらといった思考すらない、その道具のない世界を想像できず、想像しようとも思わないようになったとしたら、そのときその道具の使用者は道具の使用されている被使用者のごときものになっていないでしょうか。

 

伸びるタコの如く

 ミイラ取りがミイラにみたいな、サルなどの高等動物において道具の使用により意識が延長するように、大脳とともに各足に神経脳をもつタコのように(←これはちょっとちがうか。道具(知識)の使用によりわたしの意識が延長された(海)産物のようです)。

 

 切っても切っても動きまわり、使えば使うほど拡がる感覚地図・イメージマップ。

 主客曖昧。常に反転。コロコロコロコロ入れ替わり伸縮する。

 また出たな!妖怪トートロジー!!

 グオォォオン!!ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 (出たな!というより飽きもせずまた出したな!というのがより正確なのでしょうが…)

道具と人間 - アダムとイブの林檎

「心の内」を計測する - 科学技術振興機構

「身体イメージの認知神経生物学」 - 京都大学大学院情報学研究科

 

タコ - Wikipedia

妖蛸

妖蛸

  • 作者: 田中貢太郎
  • 発売日: 2012/10/04
  • メディア: Kindle版
 

 

 こんなにタコ推しなのに、タコを食すのはあまり得意ではありません。

 家でつくるときは蛸なしのたこ焼きです。

 

(民間)円環信仰

 資本主義は人類のためのシステムではなく、システム(資本主義)のためのシステムなのではないでしょうか。

 

 現代の資本主義が(実際に陰謀渦巻くシステムなのかもしれませんが)陰謀論に見えてしまうのは、システムが自身を保守保全しようとしたり、自己増殖したりする性格、この人格的な特徴、人格化(神格化?)したシステムをとらえていわれていることもあるのではないかとおもわれます。

 

ひととシステムの相転移

 人類と資本主義との共生関係において、人類の益虫(?)であったシステムが転倒し、システムの腸内細菌となり果てたかのような人類。

 それでも人類は(寄生)主で(は)あるはず!だって腸内細菌・人類がいなくなればシステムは消滅しますが、益虫・資本主義がなくなっても人類は存続しうるのですから。

 信者がいなければ宗教は、神は、システムは息絶えます。

 

すべて神話のなかのできごと。今も神話のつづき。

 推し{メン(ダコ)}の流れで再び推してしまいますが、浅見克彦さんの『所有と物象化』(とくに(2)の方)などを読んでいますと、経済というのは目の前で展開している宗教、現像される神話であり、資本主義もまた現象する神話、人類はシステムの召名の前で篤い信仰心をもつものなのではないかとかんじます。

 

 宗教対立は戦争や革命の火種となり、あまたの災厄を呼び込みました。

 産業の革命であっても後に不満の革命を召喚しますが、経済が宗教であるのなら、あらゆる戦争や革命は宗教対立、あるいは信仰の衝突なのではないのかな?

 カトリックとプロテスタント、社会主義と資本主義、ツチ族とフツ族、あなたとわたし…。

 

信仰信仰

 ラスキさんは法に、マッキーヴァーさんは神話に政治的権威を見出しており、この話の流れではわたしがマッキーヴァーさんに肩入れすると憶測されるかもしれませんが、さにあらず。ラスキさんのおっしゃられることにも、マッキーヴァーさんとちょうど同じくらい信をおいております。

 どちらかが間違っているというわけでも、どちらかだけが合っているということもないのだとおもいます。

 

 法も神話も対立も信仰。

 また時間や場所によっても変わるでしょうし、どちらも間違っていたり、並存しているからどちらも合っていたり、どちらかに決めなきゃならないというわけでもないでしょうし。

 兌換から不換へと変わったとき抜本的に根本のなにかが変わってしまったでしょ?そんなことがあるのですから。

 

人間もトートロジーでできている

 他者や道具、言葉や教育や環境といった外によって自己の輪郭が定まってきます。

 そうして確立された自我が外を認識・拒絶し、ときに外へも拡張・侵食することでますます存在定立していく自己撞着の産物。

 この自我のうちのいくつかは普遍をめぐりぐるぐる思考を廻らせて、自己の円環の内に思考の円環をもち、(承認と和解なんかもくり返し)その他にもたくさんの円環を包摂・創造・展開させて、いたるところに円環を巡りめぐらせ渦巻いて、普遍の円環運動を続ける円環をなします。

 

 「情けは人の為ならず」は自分にも恩恵が廻ってくるということですが、他者が自己ならもっと直裁に感じられるでしょう。

 また、カントさんの「他者を手段としてのみならず目的として扱いなさい」ということも。

 

 この運動を止むことのない苛烈な闘争とみるのなら、テロスのテロルも首肯できるかもしれませんが、テロルのテロスは過激にすぎて、また運動の停止を暗示するようで受け入れられないでしょう。

 

悪にカブク

 現実的には思慮深く控え目で道徳心に篤く優しいひとよりもあつかましいひとの方が生存に適しているとおもいます。

 ストレスをため込まないでしょうしね。

 すると、仮に人類が性善(説的)であったとしても、世代を重ねると性悪(説的)に傾くのではないかとおもいます。

 

 たとえば先物取引。米相場を安定させて物価を安定させるという目的から、政府・幕府ではない商人・岡本三郎右衛門常安(初代)淀屋辰五郎さんの主導のもとおこなわれましたが、ほどなく保険や投機が目的となりましたし、ダイナマイトや生化学技術が兵器として転用されていますしね。

撞着一位

 人類の未来を倫理や道徳に求めるのは現実味の低い潔癖にすぎる感傷的な絵空事か、牧歌的でふわふわとしたおそまつな抽象論の音を響かせます。

 

 若い頃のわたしが聞いてもきれいごとにしか聞こえていないと確信しています。

 とくに結論だけを聞くとその純度が高まり、いっそう胡散臭く感じたことでしょう。

 しかしそこはトートロジー。空想でもユートピアでもそれしかないんですよねぇ。信じることしか。

 

 これも一が召喚すること。一から発して複雑さを増してもただ一をめぐっているだけ。ただそれだけのこと。

 

 先日トートロジーの話が終わったかと思えばまたくり返してる自己言及の輪舞。

 飛躍させても転倒させても進化・深化させても止揚しても、こればっかりは仕様がない。

 止揚もめぐって振り出しに戻るウロボロス。

 信じることだけが保証であることを信じることだけが保証であることを……

 これだから信じられないのよねぇ~。

 

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