あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

不満の憤怒は革命の予感!?

まぬかれない革命の軛

ウジェーヌ・ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』

 

 革命という言葉が頻出しますがそれを煽るものでも賛同するものでもございません。

 過激なことは書かれておりませんが、内容の如何によらず「革命」という語自体に不快感や猜疑心をおもちの方はご注意くださいませ。

 

産業と革命の遷移

 人類はさまざまな革命を経てきました。

 革命にもさまざまありますが大変革であると総括できるでしょう。

 

 産業と革命との関わりを考えてみますと、人類が社会を形成した後、はじめて経験した革命は新石器革命ではなかったかとおもいます。

 

産業勃興の起源

 経済活動の適用範囲をどこまで広げるかにもよりますが、経済活動はこれよりも前から行われていたとしても、また、これを産業と言いうるかは微妙ですけれども…この革命の後に(第一次)産業が立ち上がったこととおもいます。

 この頃は大多数のひとが生活・生存に必須の農耕に従事していたことでしょう。

 もちろん農具や住居づくりに専念した第二次産業従事者にあたるようなひとや、呪術や部族統括などに専心した第三次産業従事者にあたるようなひともいたとはおもいますが、農耕と比べれば産業というほど確立したものではなく、また少数だったこととおもいます。

 

台頭する第二次産業。後退する第一次産業。

 人口増大や食料余剰、貨幣の使用などにより第二・第三次産業従事者にあたるひとたちが増えていったとはおもいますが、第二次産業の台頭を決定づけたのはやはり産業革命でしょう。

 技術も生産性も向上して農業技術もすすむと、農村に人員の余剰が生じ第一次産業従事者が第二次産業へと流入していき、産業従事者の割合が逆転します。

 

 第二次産業が発達しますと第一次産業従事者の割合はさらに減っていきます。

 第一次産業は人類の生存に欠かせないところではありますが、第二次産業に比べると割安で収入が安定せず、衰退していった(ルイスの転換点など)、とも言えますが、第一次産業が壊滅的なまでに衰退してはいないことから、農業技術の発展や大規模農業などによる生産効率の向上などによって、以前ほど人員を必要としなくなったということもあるでしょう(ルイスさんの想定以上に人的資本の流動性や技術革新水準が高かったのではないかとおもいます。近年の陸地での養殖、淡水・海水魚の同居を可能にした好適環境水、野菜の室内栽培や地下農業、TBS『夢の扉+』にて中古の冷蔵冷凍庫コンテナを用いた効率的で安定供給を実現する農業などをみたときにそんなことをおもいました)。

 

一・二を押し退ける第三次産業

不穏な雲が広がる夕焼け空の下の工業団地 工業化がますますすすむと国内市場が飽和し、外に市場を求めて二度の大戦を経験します。

 

 この頃に開発された通信技術が民間へもおりてきて急成長して、IT革命をむかえます。

 

 機械技術や金融工学の発展によりますます第一次産業従事者の割合は減っていき、さらにはライン生産やオートメーション化により、第二次産業従事者も以前ほどの人員を必要としなくなって減っていきます。

 こうして第三次産業が台頭しているのが現代です。

 

産業別就業者割合の遷移過程(憶測)

 新石器革命から産業革命のころまでの産業別就業者の割合を、第一次産業(は時系列からいっても、また人類の生存には欠かせないということもありますので)を土台として図示すると、△ピラミッド型となり、産業革命からIT革命のころまでを図示すると、□上に△をのっけたようなペン型となり、IT革命以降を図示すると▽逆三角形型となるでしょう。

 

 「なるでしょう」と言っておきながら早々、実際にはそれほどきれいな図は描けないことでしょう。と、付け加えさせていただきまして、そういうことにしておいてください。

 

頭数を補完する硬質な高質

 土台ほど人類の生存に関わる産業なのですが、不安になるほどの不安定な逆三角形を示してはいてもそれなりに安定した社会を築いて存続させられているということは、数ではない安定機構、裾野がすぼまっていてもその背に負うものを支えていられる硬度があるからなのだとおもいます。

 その強度は(材)質からくるもので、それは人頭ではなく数を補完する技術や仕組みといったものでしょう。

 

 第一次産業は就業者が減っていますが、それは衰退ではなく収斂という言い換えうる面ももっていることでしょう。

 生命を確保したら第二次産業で安全・効率化をすすめ第三次産業で余剰・豊かさの追求へと傾斜していきます。

 

不可避な不満と奴隷制?

 産業構造を変革する革命ではなく社会を変革するような革命もあるわけですが、このような革命はなぜ起きるのかといえば、それは不満があるからでしょう。

 国家や社会のしくみに不満の憤怒をもつひとがすくなければ暴動にとどまりすぐに鎮圧されてしまうだけです。

 それが革命へとつながるのは不満をもつひとが多いから。旗や棒を手に抗議する女性たちのシルエット

 

今も残る奴隷制

 ところで、有史(産業が興って)以来、奴隷に依らない、奴隷の支えなしの社会があったでしょうか?

 これまで文明社会と称しながら奴隷を手放すことはありませんでした。

 たしかに人権に関する世界宣言(世界人権宣言)は国際連合総会で採択され拘束力も徐々に強めてはきています。

 

 しかし一方で何度も人権侵害批難決議が国連で可決されている国がありますし、国際人権法に批准していない国もあります。

 批准国であっても奴隷と言われていた人たちよりも過酷な労働条件下にある実質奴隷労働者や、それを課す本性奴隷使役者なのではないかとおもわれるようなことが未だに続けられています。

 奴隷という言葉を使わないだけで、いまだ奴隷問題は進行中なのではないでしょうか?

 

革命は人間活動のあらわれか?

 民主主義国においては主権が国民にあり、政治の決定権が国民にあるのだから、革命は起きづらいと考えられています。

 

 たしかに、政治に民意が反映されていれば、いや、民意が反映されていなかったとしても国民の大多数が(かくすれば かくなるものと知りながら)やむにやまれぬ不満魂を抱かないのであれば、その通りでしょう。

 

 しかしどうでしょう?国会は民意を反映しているでしょうか?大多数の国民が満足とまではいかないにしても納得する政治が行われているでしょうか?

 

 多数決の他にはないとはおもいますが、個々の意見は多数決によって均され、誰からも等距離の意見の集積物となり、ズレが加算されていき誰もが不満を抱いてしまうものになってはいないでしょうか?

 

 すると政体に関係なく革命は人間活動に不可分のものなのではないかとおもわれてなりません(わたし革命志向家ではありません。むしろ「穏便に済ませましょうよぉ~」派です)。

 

隷従は不滅

 これからさらに技術が発展してほとんどのひとがはたらく必要がなくなるほど、むしろ人が手を出す方が非効率・非生産的で(特に伝統工芸をはじめとした手工業など、すべての産業からひとが必要なくなるとはおもいませんが)余興か戯れの類にしかならないほど機械化がすすんだとしたらどうでしょう?屋外の砂地に素足で鎖に繋がれた足の白黒写真

 

 どうでしょう?というのは、それでもその自動機械を設計・整備・開発・保全は必要だとおもいますし、ほとんどのひとがはたらかない中、誰がそれをするのでしょうか?

 

 そのひとが自発的ではなく使役によるものであれば、程度の差はあれど、奴隷状態におかれるのではないでしょうか?

 

 身体の売買、体の自由な処分権をもって奴隷と定義するのであれば、これを奴隷状態とはいえないとおもわれますが、選択肢がない、あるいはその幅が極めて狭いために間接的に奴隷状態にあるといいうるとおもうのです。

 

 それに…奴隷とはいわずに間接的に大多数の人を実質的に奴隷状態においているのが現代社会ではないでしょうか?

 

ひとは足りずとも争いは継続される不可解現象

 生存するにはもはや十二分で豊かさを求めるにしてもすでに過剰であるのに、それでもまだむりやりにでも仕事をつくって労働者を労働時間で拘束し、借金を重ねて資本増殖に荷担して外貨集めに躍起になって奴隷を手放さない仕組み。

 

 技術が進歩して生産力も向上しているのに紛争は絶えず、難民問題は解消されません。

 世界的に労働力が不足しているのであれば難民をもっと積極的に受け入れる国があり、難民の数は低く抑えられているはずではないでしょうか?

 紛争地域では労働力が減少しているのに争いを継続できるということは、労働市場の過剰をあらわすひとつの指標でもあるのではないかとおもうのです。

 

革命予報!?

 自動機械の保守整備さえも自動機械がするようになったとき、ひとはなにをして生きていくのでしょうか?

 それはそれで労働機械のような、ただただなんとなく生きているだけというような生存機械になってしまうひとも出てくるのかな?

 おそらくは自発的にさらなる技術開発やひとへの献身、創作活動や伝統工芸の継承といった活動に従事専念するようになるのではないでしょうか。

 そしてこのときになってやっと奴隷がいなくなるのではないかとおもいます。

 ん~とっても観念的で非現実的ぃ~。

 

次の革命の後に顕現する第四次産業?

 産業構造を変革する革命をIT革命まで経てきましたが、その次の(おそらく民主主義国での)革命は起きるでしょうか?

 起きたとしたら(それがどういったものかは想像できませんし、おそらくありはしないのですが)第四次産業を創建するものか、あるいは新石器革命前の産業以前・未然のような、でも革命を経てきた結果であるので産業已然?超越的産業?みたいななにかなのかもしれませんね。

 

 その第四次産業なるもので生計を立てているというような、それを生業としているひとはいないか少ないこととおもいますので、産業とはいえないのではないかとおもいます。

 この革命の後、奴隷がいなくなるので、解放革命、あるいは自由革命と名付けられるかもしれませんね。(←ないない。)

革命について

革命について

  • 作者: ハンナアレント,志水速雄
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1995/06
 

 

次の革命は、もうすでに確定している。

 IT革命はバーチャル・仮想的・擬似的なので2次元的、あるいは2.5次元的に時間や場所を越えることを可能とし、産業に大変革をもたらしました。

 

 ドローンや自動車ならぬ自車など、数年後には実現していそうなリアル・現実的・真性的なので3次元的あるいは3.5次元的(時間をちょっとだけ越えるということであったり、あるいは時間も1次元ではなく多次元であるという考えもあるようですので、なくはないのかと…)に時間や場所を越えることを可能とするような技術の進歩により、とくに物流はまた一段と飛躍し、産業に大変革をもたらすことでしょう。

 

 すると世界的に失業者が急増するだろうなぁ〜。

 ロジスティクスの変化でロジックも変わらざるを得ない状況に追い込まれます。

 

 追い込まれて窮地に立たされてから対策を練るのでは遅きに過ぎます。

 この大変革、この革命は(絶望的?それとも幸運?なことに)ほぼ確定している現実です。

 

 日本の少子化問題のようにその到来を認識していながらまたなにもしないままにその日を迎えることになるでしょう。

能ある鷹も 爪を剥がし 近い将来「消える職業、なくなる仕事」の傾向を知っておこう!

 

革命は目の前に

 この物流革命・ロジスティクス革命は産業構造を変革するもので「不満」による革命ではありませんが、これまでの革命を見てきても明らかなように、産業構造の変革が「不満」を蓄積させ、後に「不満」による革命へとつながります。

 

 革命なんて荒々しい過程を経ずともソフトランディングできるように、まずは怠惰の地位を向上しましょう!黒字のREVOLUTIONの中でEVOLが左右反転してピンク色でLOVEを表しているカリグラフィー

 労働時間を短くしましょう!!

 忙殺を殺しましょう!!!

 忙殺は悪だぁ!!!!

なんてね。