不変で普遍なものを求めて
「倫理観が問われる」は、その社会の常識・慣習に適うか否かを問うこと。
「倫理学が問われる」は、倫理とはなにか、倫理は学たり得るか、倫理に普遍はあるかといったように、倫理そのものを問うこと。
普遍探し
シミュレーションによって生物の進化は一意ではなく多様であることが解明されましたが、であるのなら、現代の貨幣や価値や交換といったものも、法も倫理も道徳も多様であったと考えられるのではないでしょうか。
しかしそれでも、いずれの世界であっても適う法や倫理や道徳があるのではないでしょうか?
生命といってしまうと射程が広すぎてしまいますので、知的生命体と限定させていただきますが、わたしたちのような炭素由来生物でも二体問題で四苦八苦するような知性でもない、硫黄や窒素由来生物や三体どころか多体問題ですら難なく解いてしまうような生物(宇宙人?)であっても、いかなる状況・状態であっても数学や物理学のように普遍に妥当し隈無く響くものがあるのではないでしょうか?
そのあらわれが人権思想であり倫理学なのではないかとおもいます。
普遍学
学の学たる由縁は時間や場所を越えても不変普遍なものの確立あるいは探求にあるのではないでしょうか。
ある社会、ある地域、ある世界。時間や場所を超えても適う共通項の企及が倫理学なのではないでしょうか。
またそのようなものがあるのかどうかを希求する営為、それを確立しうると信じるからこそ学として成立し定立しているのではないでしょうか。
カントさんの声
ここにも響いてくるカントさんの声「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法原理に適うように行為せよ」。
カントさんのことですから「それはこれだぁ!」と(安易に)明言してはくれないでしょうけれど、「それを求め続けよ!」「お互い相手の立場に立ってみたりして話合い、妥当しうるものを確立して平和な世界を目指しましょう」みたいなことはおっしゃっていただけるのではないでしょうか。
カントさんの射程は広い。
パロール人間
日々の習慣である会食には人が集まり、散歩は近所の人たちの時計代わりとされ、講義は定評のあるものだったそうですから、カントさんはその難解な著書からくる厳格でかたっ苦しく面白みのないとおもわれているイメージとは裏腹に、人当たりのよい気さくな人柄で、話し上手だったのだとおもいます。
おそらくパロールなひとで、その考えを読むのではなく聞ければもっとわかりよかったのではないかとおもっています。
だってあれ読んだら聴講生を惹きつけられたとは想像できませんもの。
これまた難解で定番定評のあるヘーゲルさんもパロールなひとだったのではないかとおもいます。
パロールな星月夜に
「Der bestirnte Himmel über mir, und das moralische Gesetz in mir(我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つの畏敬の念を抱いてやまない)」
「Es ist gut(これでよい)」
Immanuelさんへ満月のクリスマスの夜に。