あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

可処分オーダー

カネ/はてしない物語

 わたしたちはなぜお金を払うのでしょう?

 なぜお金持ちになりたいとおもうのでしょう?

 本来はなんの役にもたたない紙くずなのに…

 

支払局面

 現在は買う時にお金がかかることはもちろんのこと、捨てる時にもお金がかかることがあります。まぁそれでもモノを買うときにお金を払うのが本流ですよね。

 

 わたしたちはモノを得るときにお金を払います。

 お金を払うのは得るため、交換するため。

 

 これは物々交換の慣習の延長で、そうしてこれまでやってきたので疑問をもたれないほど自然なことになっています。

 でもお金を払わなきゃダメ?

 

 物々交換の前は集団で平等に分け合っていたとおもいます。

 現在でもアマゾンの奥地などで原始的な狩猟採集生活を送る少数民族がありますが、お金はなく食べ物などは採集に参加したかどうかに関わらず分配されています。

 このことをおもうとモノを得るのにお金は必須ではないということがわかります。

 

不自然の摂理

 ホッブスさんもロックさんもルソーさんも人間の自然状態をおもいましたが、自然・モノの自然状態みたいなものをフィクションででも想い描いたことがあったでしょうか?

 

 モノは自然にかえり還流・循環します。

 ひとが掘り起こして手を加えたもののなかには金や銀、石油や石炭、天然ガスのように自然には還らないものがおおくあります。

 ひとは自然においては特異で希少で不思議にも不自然にもおもわれる腐敗しない恒久な貴金属や硬貨に価値を付与して貯め込むようになりました。

 そして滞留させて不自然をおこしています。私有とそれを支える労働を盾に。

 

お金の塔

 消費者を育てるといって喚起するのは需要創出。

 消費教育はモノの活用法を教えることではないの?

 

 経済はいつしか金融工学・ファイナンスという技術的なものが本流となり、その別称に堕している感が強くありませんか?

 

 お金(アンチエイジングマネー)という言語が認知科学でいうところの外国語副作用のように認知リソースを食って幻惑(減惑?)させて本質を取りこぼしているような…そんななか一部のひとがバベルの塔を建造しているような…

 

道から外れた道具をツールボックスにもどす

 お金中心の発想では資源が蔑ろにされるのは当然のこと。

 でもそれをやむを得ない犠牲と呼ぶのは欺瞞ではないでしょうか?

 資源が減ったわけではないのに紙くずのお金が減って困窮するのは仕組みがおかしいからではないでしょうか?

 このお金の仕組みのなかでおこなわれる経済政策は対症療法や予防医学の域を出ず根治治療になることはありません。

 

 お金中心の経済学を人・共同体・資源を中心としたオイコノミクスへ回帰あるいは昇華しなければならないのではないでしょうか?

 

混ぜ隠された正当性

 ライオネル・ロビンズさんは『経済学の本質と意義』において経済学を「様々な用途を持つ希少性のある資源と目的との間の関係としての人間行動を研究する科学」と定義しました(だから経済学は「科学」として扱われないということもありますが…)。

 

 前回みてきましたように資源を腐らせずに利用する「よい労働」によって所有は正当性を得るのではないかとおもいます。

 これまで「よい労働」と「わるい労働」とは分けては考えてこられず、労働の一言のもとに一括りにされてきました。

 それが意図的であったかどうかはわかりませんが、これ幸いと「わるい労働」による蓄財も、それが資源を腐らせ利用しない正当性を失った所有であっても正当化してきたようにおもわれます。

 そして「アルカディアにおいてでさえも」死神は存在しているというのに、不老不死となり増殖するようになったお金が凶暴性を発揮するようになったのではないかとおもいます。

 

シロウトの暴動

 「お金を稼ぐ大切さ」が説かれますが、なんのためにお金を稼ぐのかが忘れられてお金が第一義になっています。

 そうして生きるために多少のわるい労働もしかたないものとみなされてしまっています。

 

 その仕事によってお金を得るひとのことをプロと呼びますが、ここでもやっぱりお金中心。

 プロはその道に明るいということで本来お金は関係ないでしょ?

 

 はっきり見えちゃうから余白がなくて想像しづらいことがあるとおもいます。

 反対に、その道に暗く見えないからこそ想像しやすいことがあるとおもいます。それがシロウトのよいところ。

 

 ということで、これからこの素人の功罪を(頼りない)盾に、トマス・モアさんを素通りしたゴムパッチンで弾け飛ぶゆーとぴあなトンデモ貨幣システムを放言してみようとおもいます。

モモ

モモ

 

 

Romantic迷妄が止まらない

 租税は権利であり寄付であり贈与でした(『憲法の基本原理からみる納税の義務 - 自由意志による贈り物からの仮説 -』参考)。

 

 私有財産の正当性は「他人にも十分なだけ同様な質の物が残されている限り」(27節12~13行)「腐らせずに利用できる範囲内」(31節7~9行)のもので(p.59)(『ジョン・ロックの私有財産論 - その批判的再構成の試み』参考)、それは「よい労働」によるものでした。

 

 ですから、よきひとの「よさ」というのは資源を腐らせず利用し人類に貢献するひとのことだとみなしたい心情は自然なことなのではないかとおもいますが、清廉潔白な理想主義のお利口さんに過ぎますかねぇ?

 

水流を留める不老の粘性

 資源が十分にあるということとそれが行き渡るということは別のこと。

 万人が公平に資源を利用できるようにしたいものですが、どうも「資源を利用せず腐らせるわるい所有」が多くて滞留してしまっているようです。

 道を示す有益な澪も多すぎれば水路を塞ぐダムとなるでしょう。そして留まった水は腐ります。

 

 現代社会で水をせき止め格差を生むわるい私有の代表格がアンチエイジングマネーなのではないかとおもいます。

 これまでにそう考えた多くの有志の方々が立ち上がってこられたとおもいますが、ことごとく破れてゆきました。

 どうもこのアンチエイジングマネーシステムの牙城は崩れそうにありません。

 

 それではどうしたらいいのでしょう…以下そんなときに降って湧いた妄想でございます。

 

使用可能な資源量(自由裁量枠)が所得を規定する

 交換の前に私有があるわけですが、私有の前に労働があって自然・共有財・資源との交渉があります。

 

 人対人の交換のときにお金が支払われますが人対自然、人対共有財との交換のときにはお金が支払われていませんよね?このときにお金を払ってもいいんじゃないのかなぁと…。

 

 可処分資源が可処分所得をオーダーするプロトコル。

 

 これなら私有財産成立の付帯条件や範囲条件をクリアしつつ、租税を本来の権利、寄与や贈与に還流させられるのではないかなぁと……。

 

可処分プロトコル発動!?

廃棄するための労働と所得

 「よい労働」と「わるい労働」の仕分けは難しいとおもいますが、可処分資源量や廃棄量から勘案し仕分ければ、多少は客観的な基準をもったものとならないでしょうか?

 

 デリバティブ(金融派生商品)も市場も先物もオプションも投資もギャンブルも地代も不動産も欲も競争も否定せず、天職をまっとうすることを損なわず、「働かざるもの食うべからず」とならず、アンチエイジングマネー社会でも機能する規制方法の1つとして、物を得るために稼ぐのではなく、物を捨てるために稼ぐ、お金の使い方・交換局面をモノを得るときではなく手放すときに変える、という仕組み。

 

 これは廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃棄物処理法)や排出取引を極端に推し進めたようなもので、資源を採取・購入・利用するときは無償あるいは安価にし、モノを浪費・廃棄・排出するときにお金を払うというものです。

 交換ということにはかわりありませんが、モノとお金の交換局面の本流がこれまでとはかわっています。

 逆過程というほど逆ではありませんが、得るときに支払うのではなく捨てるときに支払うという、支払いフェーズをかえたものです。

 

現代に至りできること

 これはモノに溢れた社会であるからこそできそうなことで、モノが少ない社会では衝突が頻発するでしょう。

 これだけ人類が繁栄してきた現代であるからこそできそうなことで、現代社会に合った、現代社会のための仕組みかもしれません。

 

 現在、残念ながら主権者に通貨発行権はないのですが、このシステムであれば通貨発行権には触れず、通貨の使用・適用方法を変えるだけで事足りるのではないかとおもいます。

 

 お金は物が少ないときは一種のライセンスとしてはたらき、物が多すぎるときは無駄を制限するようにはたらくというように、貨幣供給量・流通量によって金融政策が異なるように、お金を払うという行為が局面・社会情勢・資源状況によって変えることはなしではないのではないかとおもいました。

 

得る権利と捨てる権利

 得ることが権利ではなく捨てることが権利であり贅沢なのではないでしょうか?

 資産家ほど大量に得られることにかわりはありません。

 ただ資産家ほど大量に捨てられる権利が付与されるようになります。

 これまでのように資源の浪費・蕩尽が贅沢であり豊かさの目安であるという考えを否定しませんし、ミニマリストの豊かさも肯定するものだとおもいます。

 

 所有は一時、共有財を私有、自然物を預かるということではダメなのかな?

 その使用料・権利料としてお金を払う。

 私有財産は自由に捨てられますが、それが資源を浪費するのであれば所有の正当性を失うから捨てるときにお金を払う。

 そうすると、お金を払うということが奢侈税や贈与の霊のお祓い(お支払い)・供養料といった行為として機能させられるのではないかとおもいます。

 破壊・破戒権行使のための借金・支払い。返済のための人類への貢献ということにならないですかねぇ?

 

 また私的所有は資源の一時預かりのようなものだから所有物に対しても課税します。

 だから物持ちほど高額納税者。資源に対する奢侈税みたいな。

 所得と資源(モノ)保有量と廃棄量なんかを申告するようにします。

 これまでは贅沢するためには稼いでお金を貯めてからの後取りだったのが、贅沢した後に清算する先取りになります。先に得た後に還元していきます。

 

消費の正順

 わたしは消費税という言葉の響きに違和感がありました。

 だってまだ消費してないじゃない。消費予定税・消費前税じゃないの?(間接税で納められるときには消費されているだろうということはわかりますけれどね。でもねぇ…)廃棄するときに納めるのが消費しましたよ税・消費後税・消費税なんじゃないかなぁとおもうのです。

 

 消費税のマイナンバーでの還付(購入したモノの履歴が管理されうる)がありなら、資源の所有量に応じた課税制度の構築も困難ではないでしょ?おそらく。

 

 得ることは容易でも捨てることが難しくなれば予弁法的といいましょうかbackwardといいましょうか、資源を還す・廃棄するという最終段階から現在に引き寄せて考えなければなりませんから、資源を計画的かつ大切に利用するようになるのではないでしょうか。

 こうして足るを知るようになるのではないでしょうか。これが消費者教育なのではないかと思うのです。

 

カネ流れの交通誘導

 必要なものを必要なだけ製造販売すればいいのですから、販促などいりもしない無駄なものをつくらず、キャンペーンなんかも打たなくてよくなりそうですし、食べていけなくなることがないから必要以上に働かなくてすむでしょう。

 お金を生むためという、目的が不細工な仕事やブラック企業なんかも減ると思うのです。

 

 ギャンブルは効用を高めるのでしょうし否定されませんから残るとはおもいますが、そういったものによる分不相応な収入、対価として見合わない役員報酬のようなものはなくなるでしょう。

 残ったとしてもお金がひとに与える効用が低下しているとおもいます。

 

 不必要にお金を死蔵しようとはしなくなるでしょうから現行通り利子があろうと信用創造しようとお金がまわるのではないでしょうか?

 金融政策・管理は依然必要だとおもいますが、今より気持ちよく通貨発行権や流通管理をおまかせできるのではないかとおもいます。

 

可処分プロトコルの問題点と利点

 捨てるときにお金を払うのですから蓄え以上のものは捨てられません。

 するとゴミ屋敷が増えるでしょう。

 しかしその場合、所有の正当性を失うので強制退去・処分、行政代執行がなされます。

 財産を失っても購入時にお金はかからないので生きられないということはなく生存権を侵害しないのではないかとおもわれます。

 

 またゴミ屋敷は資源の浪費という観点からも公共の福祉に反しますし、すでに私有の正当性を失っていますので財産権の侵害にもあたらないのではないでしょうか。(このあたりがトリッキーになりそうですが…)

 

 このような貨幣システムであれば、お金持ちは強運ということもあったでしょうが、人類への貢献度が高く、人類繁栄に寄与したひとなのだと、少なくともアンチエイジングマネー社会のお金持ちよりは確かなことと言えるのではないでしょうか。(アンチエイジングマネー社会における資産家のなかには「わるい労働」によってお金持ちとなったひとが大勢いらっしゃるようですから、個人資産の多さを人類への貢献度のバロメーターだと誇れるひとは少ないのではないかとおもいます。)

 

罪と罰の可処分焼却炉

 お金の絡んだ事件がおおいとおもいますので、お金の価値というか効用というかインセンティブがいまとは変わり、個人による凶悪犯罪が減るのではないかと淡い期待。

 殺人は莫大な負債を負うことにして捨てる自由を制限し(でも購入時に費用はかからないから生きていけるの)、生涯かけて人類に寄与し続けて負債を返済する人生にします。

 そうすると罪人であっても活かせるでしょ?

 罪人の特異な考えも活かせます。生かして活かす。

 

発動好機を逃さない

 ほっておいても3Dプリンターなどの普及でこれから各種産業の事業規模は縮小していくことでしょう。

 そうすると大企業でなければならない理由が少なくなっていくとおもいます。

 

 富を蓄える目的の中には効用を高めたり、支配するためということもあるでしょうが、人類に寄与する事業ではあるのだけれど、大規模な事業となるので大枚が必要だという高潔で有志なものもあるでしょう。そのような事業はすぐに実行できる方がいい。

 この貨幣システムなら仕掛かりがはやくなるのではないでしょうか。

 大きな事業でも、また小さなおもいつきもすぐに挑戦できて、イノベーションを阻害するどころかより促すこととおもいます。

 よきことをなすに遅きにすぎず。悪しきことを正すに遅きにすぎない。

 

 怪我や病気、生活に困窮していたりして困っているのにお金が必要な社会は変じゃない?困っているひとをより困らせるなんて。

 

プラスをおう

 潤沢な可処分資源を必要とする事業なんかの場合には、これまでのように投資や株式、法人という仕組みがうまく機能するのではないでしょうか。

 事業計画はより慎重に時間をかけて検討できますし、施行段階でも構造計算ちょろまかしたりデータ改ざんする必要がなくなるでしょう。

 

 もし事業が立ちゆかなくなって破綻・倒産する場合、つまり廃棄したくてもその支払い能力を超過した場合には自己破産して事業をたたんで清算し0からスタート。

 負債を負ったままでもいいけれど、それでも生きられます。

 破産申請してもしなくても抱え込んだ資源を有効利用して負債(資源)を償却していってもいいですしね。

 

 アンチエイジングマネー社会における負債は欠乏。

 負うというぐらいだから増えそうなものなのに足りない状態。

 負うのは責任と呼ばれる罪。

 負は負うではなくマイナス。

 

 可処分オーダーマネー社会における負債は超過。

 負うというように得た資源を利用しきれなければ蓄積する過剰な状態。

 負うものは目に見えるモノ。

 負はマイナスではなくプラス。

 

小さな政府。大きな政府。可処分な政府。

 金融業や保険業などは事業規模を縮小していくのではないでしょうか。

 信用格付けが真に「よい」企業であることを示す指標となって信用が高まるのではないかとおもいます。

 

 武士の世ではないですが、稼いでいるひとが冷視されやすい風潮は、その稼ぎが「よい労働」によるものか「わるい労働」によるものかの判別がつきづらいからではないでしょうか?

 そこが明確になれば稼ぎ頭が素直に尊敬の対象と目されるようになるのではないかとおもいます。

 

 生活ゴミや定量のゴミは厚生費あるいは福祉費として国費・国庫から一律給付または全額拠出するようにします。

 国家の主立ったお仕事がゴミ処理と公共投資となり税目少なくなりませんかねぇ?

 これだと政治家になりたがるひとが減りそうだけど、そのぶん志の高い政治家が増えそうな気がする。

 

 税金も国が公共物なんかを捨てるために徴収されて、捨てるために拠出されることが主な使途となるでしょう。

 現代社会においては核廃棄物の廃棄料がもっとも高額なものとなるでしょうね。

 核保有に賛成な方はたくさん納税してくださいね。

C-C-B

C-C-B シングル&アルバム・ベスト 曲数多くてすいません!!

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虚妄芸術は爆発だ

 家事や仕事の機械化やAI技術の進展、それに加えて可処分オーダーマネー社会のように、はたらかなくとも生きていけるような制度をとれば、はじめのうちは働かないひとが増えるでしょう。

 でもすぐに気づくこととおもいます。負債がモノ・ゴミとして目に見えて蓄積されていくのですから。

 またそんな社会のなかで巨万の富を築き大金持ちになったとしても使い切れない貨幣に押しつぶされて苦しいだけだということに。

 

 勤勉な人が多いと思われる日本ではうまくいくかもしれませんが、テレビなんかで東南アジアの貧困国で勤労意欲の低いひとたちの光景をみせつけられると…しくみがかわればかわるのかな?と、そんなときTEDでのリカルド・セムラーさんのプレゼンを見ていたら、なんとかなるんじゃないかなぁと漠然とですがかんじました。(リカルド・セムラー: (ほぼ)ルールなしで会社を経営する方法 (TED) - Yahoo!ニュース

 

 シミュレーションや(社会)実験を行うときは慎重によくよく検討した初期値や条件を選ぶ必要があるでしょう。

 実験の設計次第でポジティブ、ネガティブどちらの結果も引き出せるでしょうから。

 

なにごとも国際協調が鍵!

 ある国が廃棄権超過した場合、いかなる手段によって制限・規制すればいいのでしょう?

 こんな貨幣システムが世界規模に広がったら戦争が不経済とならないかなぁ?

 戦争は資源を大量浪費するから、そのために国家は貨幣を死蔵しないとも限りませんねぇ。

 人間社会の災厄の種。ときに争いの火種。ときに戦争の長期化をもたらすのが資源やお金に関わるもの。資源やお金じたいが悪いわけではないのだけれど…。

 

 生きるためなら食べ物をつくればいいのだけれどそうもいかないのがお金のひねた性格や近代化しなければ滅ぼされてしまう隣国との関係・国際情勢。

 

 いつもネックとなるのは他。

 政治では他国との関係。

 対話を必要としないから協力するよりいがみあったほうが短絡的で短期的には容易なのでしょうね。

 

はじめはリスクあとにはリターン

 お金のない世界がもし到来するとしたら(多分に懐疑的ですけれど)、その前段階はこんな購入時にお金を払うのではなく廃棄時にお金を払う社会なのかもしれませんねっ。

 

 こんな激烈な意識改革か世代の刷新を必要とする180°のシステムの高速ターンでは転覆・落水して潰えてしまうでしょう。

 しかし危険なバイオレンスモンキーと呼ばれていたモンキーターンは今では一般化していますでしょ?

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか

 

 

ロマンティック妄想あげるよ

 これまで多くの解釈や曲解を付されてきた言葉にまた新たな誤植を加えさせていただくことをお許し頂きたいとおもいます。

 

『マタイによる福音書』(マタイによる福音書(口語訳) - Wikisource

  • こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。5章3節
  • 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。5章4節
  • 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。5章5節
  • 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。5章6節
  • しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。5章39節
  • あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。5章40節
  • 求める者には与え、借りようとする者を断るな。5章42節
  • 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。7章7節
  • あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。7章9節
  • 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。7章10節
  • おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。13章12節
  • すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるし(お金・私有)を求める。しかし、預言者ヨナのしるし(負債)のほかには、なんのしるし(私有・所有)も与えられないであろう。12章39節(ヨナのしるし | 紫の衣)[※( )内勝手に加えた言葉です。すみません。]

 

『使徒行伝』(使徒行伝(口語訳) - Wikisource

  • 「受けるよりは与える方が、さいわいである」20章35節

 

 悪人にはどんどんあげちゃう。

 もらうこと・得ること・所有することが負債だから悪人にはどしどしあげて返しきれない負債を負わせるの。

 もらうことが罪のようにはたらいて、ここに贈与の霊きわまれり!

しょこたん☆かばー~アニソンに恋をして。

しょこたん☆かばー~アニソンに恋をして。~(DVD付)

 

 

世にも似ている物語

 数日の内に1億円だったか大金を使い切ることができたら大金をあげ、使い切れなかったらそのお金を負担するというような物語。

 主人公はギャンブルや投資などでなんとか1億円を使いきろうとするのですが、はじめのうちは調子よく負けられるのですが、結局はなにをやっても増えていってしまう。

 期日が迫り焦ってお金を捨てても戻ってきて、寄付しようとしてもすぐには受け取ってもらえず、そうして…というような物語を何十年か前にテレビで見た記憶があります。

 この物語、なにか共通するところがあるような気がして、ふと思い返されました。

 

世にも奇妙な言葉

 「ふと思い返す」という表現は妙な表現で、今まですっかり忘れていて、忘れていたことさえ忘れていたのに、関係のありそうな話題について考えているとどこからともなくやってくる。

 その話自体に意思はなく、わたし自身も思い返そうと意思したわけでもないのに共通項の多いとおもわれる話・記憶が自ら駆け足で過去からやってくる。

 この妙な感覚を表す表現があるでしょうか?

 

夢見の限界

 「よい労働」を人類に貢献する「寄与労働」、「わるい労働」を資源を損ない人権を侵害する「棄損労働」と、しゃっちょこばった呼称にしてみたり、可処分所得が可処分資源量を決める経済モデルを数式で示したり定式化すれば「 」も、カッコうもつくでしょうが、寝ている間に見る夢のようなもの。目覚めて思い返せばレム睡眠中に見る細切れ映画のつぎはぎ物語。

 

 わたしのおもいつきの妄想世界なのに、その世界がどのような世界であるのかを描ききれるほどの想像力はなく、愚にも付かない幻想世界。

 これじゃあ整合性も脈略もなくとりとめのない妄想がいつまでも続いてそれこそわるい労働。

 

 なので、妄言はここまでに致しとうござりまする。

大河ドラマ 武田信玄

大河ドラマ 武田信玄 完全版 第壱集 DVD-BOX 全7枚セット

  • 出版社/メーカー: NHKエンタープライズ
  • 発売日: 2014
 

 

 わたくしごときの妄想におつきあいいただきまことにありがとうございました。

 ところで…

 

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