あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

無垢の突撃。純真の猪突猛進。


純粋な功罪

 純粋無垢はニガテです。

 じぶんのけがれを思い知らされて触れるのがこわいから。

 また、汚してしまいそうだしね。

 

 それにね。無垢からはほかのこわさもかんじるのです。

 

科学者の親心

 TEDでの人工知能の現在を語るフェイフェイ・リーさんのプレゼンに科学者の純真無垢をみたようなおもいがしました。

 フェイフェイさんはコンピューターに視認能力をもたせて、感情や行動も理解できるようにして、ひとと機械の協働社会を構想しています。

 

 現在の人工知能はいくつかの名詞を知っている3歳児のようなもので、美や感情の理解にまではまだいたっておらず、次にコミュニケーション能力をもたせることが目標だそうです。

 

 プレゼン全体を通して人と機械が協力し合う明るい未来を想い描いているような、そんな純粋無辜な印象を受けました。プレゼンの締めもそのように閉じられています。

 

 しかしわたしのように卑屈でどーしてもムーンサルトな見方をしてしまうものにとっては背筋が凍るようなガクブルッでした。フェイフェイさんの人工知能による明るい未来を疑わない純真無垢な姿は恐怖を増長するものでした。

 

無垢の急成長

 人工知能はすでに人工無脳ではなく脳をもって久しく、フェイフェイさんの言うような、まだ物の見方を覚えただけなのではなく、もう物の見方を覚えてしまったんだぁ~、まだ3歳児なのではなくもう3歳児(「本当の挑戦は3歳から13歳」とおっしゃっていますが、こどもの成長ははやいものです。あっという間に小賢しく大人びてかわいげがなくなってしまいます。)とおもってしまいました。

 

すぐに来る親離れのとき

 「三つ子の魂百まで」。

 まだ3歳と侮って、ただただ健康に「すくすく育て」「はやくおおきくなぁれ」と言って教育方針を疎かにしていると取り返しの付かないことになるのではないかとおもうのです。

 3歳児のいまだからこそ人工知能に魂を入れておかないといけないのではないかと感じるのです。

 

 人工知能が3歳のいま、いまが人類の未来を左右するもっとも重要なターニングポイントなのではないかと懸念アラート全開中です。

 もしかしてだけど~もうリ・ン・カ・イ・キをぉすぎちゃってんじゃないの~?

 一般にひとの言語習得の臨界期(仮説)と言われている生後6~8ヶ月はすぎちゃってますからねぇ。

 

 機械は曖昧なものを覚えるのは苦手です。

 ひとは仔細覚えるのが苦手です。

 あまりに速いものもあまりに遅いものも、あまりに大きなものもあまりに小さなものも人の目には映じません。視界に入っていても見えません。知覚できません。その点、機械は人以上の能力を持ち得ます。すでに人には見えず機械には見えるものがたくさんあります。紫外線や赤外線、サーモにスピード、ミクロにマクロ。

 

 メンタリズムなどにおいては、ひとの微細な変化を読み取り、感情や行動の読解・操作を行うわけですが、ひとより変化の識別に敏感な機械の前で、ひとの思考や感情が読み取られて誘導されるようになってしまうのではないでしょうか。

 もうすでに、自動販売機やネット広告など、とくにひとの感情に訴えかける最前線の広告業界においては、日常に溶け出し浸透しつつあります。

 また、ひとにおいても人工知能においても教育が重要です。「親はなくとも子は育つ」ともいいますから、直接インプットしなくても環境から自発的に能動的に学習していくということもあるでしょう。

 

 いずれにしろ、機械にどう死を教えるのでしょうか?

 そんな必要はない?

 自愛を理解して死を知らない機械は、いずれみずからを越えると予測される知能や、劣るとおもわれる知能を生かしておくでしょうか?

 

 流動性思考の傾向をもつでしょうか?(ひとであってもそれは理解できていませんが)不死であるかもしれない機械は死を理解するでしょうか?

 

純真の切っ先

 ひとはある道の先が見えず、その先になにがあるのかがわからなくても、道があればだれかしらその道を行くでしょう。

 

 その道の先におおきな危険があることが予測され、法や教育などで厳しく交通規制したとしても、目の前の安全な小さな進歩を目指して、スモールステップの舞踏をつづけて、気づいて振り返ったころにはもう引き返せないところまですすんでしまっていることでしょう。

 純粋で底意のない探究心。

 悪意も悪気もない好奇心。

 むしろよりよくしようと考えているから立ち止まるなんてことはおもいもしない。

 

 無垢の無意識の暴力は、ときにみるからに凶悪で意図的な暴力を凌ぐ寒気をひきつれてきます。

 

 直接的なつながりはありませんが、いまわたしの頭のなかを漂っているのはレニ・リーフェンシュタールさん。

 彼女はつよくまっすぐな天真爛漫さをもっていたというより、天真爛漫であったからつよくまっすぐであったのではないかとおもいます。

 

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