あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

禁書には冷静な目が必要。だれが禁じてるの?

マキャヴェリズムは危険思想か?

 後世よびならわされるマキャヴェリズムは冷酷なのかもしれませんが、マキャヴェリさんの主張はそれほど冷酷なものではありません。

 一部焦点をあわせれば冷淡なところもありますが、歴史や時代考証を経たもので、抑圧的な暴力を推奨するものではなく、より安寧秩序を維持するためにはなにが必要かを説いた現実的な統治を考える上でたいへん有意義な書となっております。

 

焚書としたのはだれ?そしてなぜ?

 『ディスコルシ(ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考)』や『君主論』などの著書に非道のレッテルを貼り焚書としたのもまた、そのたいへんな有意義さによるところが大だったのではないでしょうか。数ページだけ燃え残った本

 

 為政者、とくに教会は民衆が統治論を修め、民衆が統治について考え、民衆のなかから現治世を脅かすような統治に長けた先導者が現れることをおそれたのではないでしょうか。

 

 発禁となるもののおおくは(広く)神・教会・国の冒涜かモラルに反すると(教会が)おもわれるものです。

 禁じる主体を考慮しなければなりません。

 なにがそれを禁じているのかを読み解く必要があるとおもいます。

 

発禁にするための声

 マキャヴェリさんの著書のなかにフォルトゥーナ(フォルトナ)・運命のように、神の領分の事柄についての記述が多少ございますが、それでも神学ではありません。

 神を疑っているわけでもありませんし、天文学のように当時の教会の思い描いていた神の世界の原理に疑義を挟むものでもありません。

 すると発禁のための大儀を神学に求めることはできません。

 

 以前書きましたが「為政者は法に訴えられないときには道徳に訴えます」から、マキャヴェリさんの著書を発禁とするための大儀を非道徳的ととられる記述だけを抽出して悪魔の書に仕立て直して反対尋問を封じるかのように怒声でもって喧伝したのではないかとみています。

マキャヴェリズム再考

 まだ平和ではないこの現実世界。安保で揺れる日本にはスイスのスタンスや傭兵軍と自国軍、大国や小国とどのようにつきあっていくのか、またどのような外交交渉が必要か、政体と為政者の関わりや為政者の評価基準などなど…マキャヴェリさんに漂う不穏なイメージに囚われずマキャヴェリさんから学ぶところはまだまだまだまだ多いのではないかとおもいます。

 もう500年もたつというのに、ひとの(平和協調社会)建設事業の歩みは如何に遅いことか…比して、ひとの破壊工作は如何な疾風か…。

君主論

新訳 君主論

  • 作者: ニッコロマキアヴェリ,Machiavelli,池田廉
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2002/04/25
 

 

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