ウチとソト、日本と外国のように二項対立させてみているわけではありませんが、一般的に一昔前の日本文化は引き算、外国は足し算といわれていたとおもいます。
引いていった先に水墨画(とくに琳派など)や枯山水のような余白を湛えた流れがあるとおもいます。
余白に不安を覚え余白に耐えられないひとはおおいのではないかとおもいます。
白地のキャンパスに「これでもかこれでもか~っ」と、恨み節のように余白を侵略して、あまつさえ何度も何度も塗り重ねていることもあります。
その様はまるで棺の上の土塊。
家族がおおいから…収納がすくないから…といっては些細な隙間にさえ収納(棚)を押し込み据え付け余白を奪っていく。
ひとの生活の余白はお金で埋められて余裕がないのに、わずかに残されていた余裕でさえ隙間産業、仕事の創造、サービスなどと名付けられてパッケージされて売り物になって、またお金で埋められていく。
水墨画や屏風絵、琳派などの日本画をみならったような経済があってもいいのになぁー。
緊緩理論でいくと~これじゃぁ緊張一辺倒で緩和がなくて笑えないよー。オチがつかないから落ち付かないよー。
シンプルライフを公言しているひとが意外に物持ちで、なにがシンプルなのかわからない…。
ひとつのブランドに特化していますという意味でのシンプル?
ボリュームではなくバラエティーやバリューのこと?
だとしたらシャネラーやしまラーはシンプルライフなひとたち?
「金持ちケンカせず」と言いますが、いくらお金を持っていてもハイパーインフレだったら金持ちも喧嘩するでしょ?
ここでいう金持ちが持っているものの本源はお金ではなくて余裕のことでしょ。
みんな余裕がないからイライラして喧嘩しちゃう。
「争いをなくそぉー」と「余裕を広げよぉー」はイコールではなくても近いもの。
平和の実現の一歩手前、余裕の蔓延はじめましょっ。
これティッシュ配りのように手渡せたらいいのになぁ~。
受け取ってくれない見向きもしない無視して素通りするひともいるでしょうけど…。
こちらもいかが?