一瞬の輝き
生涯に長いも短いもあるの?
涯には水際、岸、行き着く果て、限りという意味がありますが、端(点)を示す涯と長短という語が齟齬をきたしているようにおもうのですが…。
語法上だけでなく単にそうおもうところがあります。
生涯は時間軸・時間尺で測れるの?
世界が丸ごと振動してストップモーションがかかったり、巻き戻しや早送りが起こったとしても、わたしたちにはそれを知ることも感じることも証明することもできません。
それを認識する主体や知覚できる個体はありません。
なんてったって世界丸ごとですから。
時間でさえそれに従うでしょ?
因果関係が崩壊するだとか、時間の矢が逆行するだとかいわれますが、それは意味をもちこんでいるからでしょ?
別に崩壊しようが逆行しようが構わないでしょ?
わたしたちをテレビ越しに見ている神さまがいたとして、神さまがビデオを巻き戻したところでわたしたち俳優にはそれを知ることができないのですから。
意味には世界の運行や時間の流れをどうこうするほどの力はありません。
Time or Space?
現代人が大正15年・昭和元年に行けるとしたら、それは時間経過の異なるパラレルワールド、あるいはワームホール間の移動によるものでしょう。
つまりタイムトラベルというよりはスペーストラベルなのだとおもいます。
で、あれば、父親殺しのパラドクスはおきません。
タイムトラベルが可能だという考えは時間を空間化あるいは数直線化してみてませんか?
時間は往々にして「時間空間」というような捉え方をされていませんか?
時間と空間とは切り離せないでしょ?
また、どちらかであるというあり方もしないでしょ?……するの?
多世界解釈はシステムとして巨大すぎやしませんか?
言語学者のマルチネさんのいうような経済性の原理みたいなものがはたらいてるの?
切り離せないTime and Space!
速度は時間と空間をもとにした相対的なもの。
基準を定めることが相対を生じます。
相対なくして基準なし!
基準なくして相対なし!!
次元というものも相対的であるとおもうのですが…だとすると何次元だという議論は…どうなんでしょう?
時の旅人は流れと共にありますが、時間の旅人は流れを超越している感があります。
時間は時-間。
時と時の結びつき。
あるいは時と間の結びつき。
可算無限は時間とは独立しています。
可能無限は時間に依存しています。
すべてが静止すると時間が止まるの?
時間が止まるからすべてが静止するの?
時間=世界?
時間=エネルギー?
一瞬までの距離
力 … 媒介なしに力そのものを見ることはできません。わたしたちはいまだかつて力そのものを見たことはありません。その現前を見てきただけ。
時 … 「今ここ」は前時間的。時と時の間にあるのが時。
前時間性 … 前時間的であることは前変化的。「今ここ」は生滅しない不動の動者。
不変は永遠に停止しつづける。…ということではなくて、永遠の厚みを持った停止という一状態。
一瞬のとまどい。
一瞬のためらい。
一瞬は意外に永く、知られている以上に多くのことを教えてくれます。