幸不幸の狭間
幸福なひとは不幸を知っていて不幸にあわないひと。
不幸なひとは幸福を知っていて幸福にあわないひと。
なぜなら対比するもの、より良い、より悪いがわからなければそれを知りえないから。
失ってわかるものだから。
失う前にもっていなければならないから。
そうでなければ知りえないものだから。
「得られない」のと「奪われる」のではどちらが不幸?
「得られない」のは得られるであろう何ものかを知っている。
「奪われる」のは奪われた何ものかを知っている。
どちらも知っているという点で共通しており、同等の苦しみを伴う不幸?
だとすると、得られず奪われるのはより不幸かな?
それはどんな状態?
得る前に奪われることはできる?
命を奪われるというのはそういうこと?
よい習慣
よい人生とは何かを問う前に、よいとは何かを問わなくちゃね。
何事も定義が重要。ときには主語、それも省略された言葉を明らかにすることが。
仕掛けは上々あとは…といったところ。
では、よいとは何か?
よい社会から与えられた、よい社会が刷り込んだ習慣。
または個人の望むところの平和。
あるいは正義といったところで実情はない。
よいの対義語はわるいですが、よいとわるいがあるのではなく、よくもわるくもない。
ないものをいくら飾り立ててもないものはない。0を掛けるが如し。
よい人生
生きる意味を考えることも問うことも気づきさえもしない人生が最上。
気づいて問うて考えて意味をつくれた人生が次善。
最悪なのは気づいて問うて必要として考えたのに見つけられずつくれもしなかった人生には救いがない。
死に至る病は絶望。
絶望は意味をつくれず幻想を生きられず、幻想に遊べず真相と相対して、目を背けられずに闇のなかで孤立して無気力になって、空っぽのまま明日を疎むことが習慣となった死の中を生きて、生の中で死にむかう状態。
幸せとは「幸せとは何か」と問わないひとが得られるもの。
幸せとは何かと問えるひとは幸せにはなれないのかも?あぁ~おそろしやおそろしや…。
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