伸び縮みする選択物
- アーティスト: Queen
- 出版社/メーカー: Hollywood Records
- 発売日: 1995/11/14
- メディア: CD
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ある日、特異な選択、たとえば不妊症のため人工授精するだとか、肉親への臓器提供移植手術をするなど、そういったことを自分のためであっても、自分のためではなく人のためであったとしても、それをすることが自国の法では認められていない場合、自国に相当愛着も愛国心もあったとしても自国を出なければならないことがあるでしょう。
昔は情報が少なく他国のことを知りようがなかったのですが、現代では一般の人でも簡単かつ膨大な情報が手に入り、選択肢が増えました。
そして情報により世界が小さくなり、思考上での国同士のボーダレス化もすすみ、国というものの認識がかわり、国という固着した意識が薄れて流動的になっていっているとおもいます。
そうなると、これから人々は自らの好みにあった法や文化を選択し、国を渡り歩けるようになり、渡り歩くようになるのかもしれない。
そのとき「国」は選択肢の一つとなる……のかな?
選択用漂白剤
「外国人参政権賛成はグローバル世界実現の第一歩→寛容さの象徴→平和への行程」とも考えられるとおもうのですが、グローバル世界には均一化を促す一面があり、なによりも国がなくなるということは1つの文化がなくなり、言葉がなくなり、思想が消えることであり、1つの歴史を失うことです。
多様性が失われて、もしかしたら他の文化や歴史を許さない非寛容に進むかもしれません。
そうでなくとも1つの文化や歴史が消えて多様性が1つなくなること自体、非寛容の現れなのではないかと…。
選択困難
選択肢があまりに多いと、ひとは選択できなくなります。
すると選択肢の多さに由来する悩みというものもあるとおもうのです。
選択肢がないというのは選択肢が思いつかないというわけではなく、どれも同程度の強度のドングリの背比べで選択できなくなっている、選択できないが選択肢がないへと転化してしまっているということもあるとおもうのです。
そしてひとは国境を自由に越えられるのに、文化・法・国家・自由・選択肢を選び取れない選択ボヘミアンになっちゃうかも…。
道徳の根拠は(より好ましいとおもわれるものを)選ぶしかないのか?
道徳も知識も嗜好品…?