和の湯
茶の湯の心は気を使わずに気を配ることにあるのかもしれません。
気を使えば消耗して疲弊してしまうけれど、気を配ればめぐりめぐってもどってくるかもしれない。
詫茶やさび茶のこころは、侘しい、寂しいという「わび=質素」「さび=痕跡」ではなく「わび=調和」なのかもしれません。
調停茶
機能美と様式美と純粋に芸術的な美と、あらゆる美を統合したような茶の湯の空間は、細部まで、ときに恣意的に、時に考えられていないと思わせるほど自然・無思慮に構成されており、全てを統制して渾然一体となり、その一方で、それでも統制しきれず、それにはあらがえないような、時に逸脱さえ招くような時・自然があり、すべてで茶の湯をなしています。
そしてそのような空間には論理・規則・規律・崩壊・破壊・混沌・調和などとともに美・道徳・倫理をも含んでいます。
美しいものを分析的に見ると美しさは失われてしまいます。
集積された統合の集大成ですから。
感動するとなぜ鳥肌が立つのでしょう?
恐怖を感じているわけでもないのに。