あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

貨幣

 過剰な競争や進歩は、過剰な結果を招きます。これまでのおよそ46億年の地球の歴史のなかで、生物種の大量絶滅期が5度ありました。これらの原因は火山活動や隕石の衝突など、いずれも天災でした。そして、地球はすでに6度目の大量絶滅期に突入しているといわれています。その原因は人間活動による人災です。

 

 これから人の居住地は陸から海や空、地下や水中、さらにはサイバー空間や宇宙にまで拡張されます。人類の最大の問題は人口です。人口増加による資源の減少と欲の増加。人間活動のなかでも特に影響が大きいのは人口です。資源が無限でリサイクルできるのであれば、人口問題は解消され、過剰生産は問題ではなくなると考えているのでしょう。人口問題を資源問題に還元して考え、資源問題の解消をもって人口問題の解決をはかっているように見受けられます。人の数だけ欲が生まれます。リサイクルであっても熱は発生します。人類は凶暴な資本主義を鎮める方途をとらずに問題を先送りし続けるのかもしれません。人の居住地の進展に資本主義も随伴しますが、これを意志しているのは、果たして人意でしょうか。資本がそれを望み、人が資本に動かされているのかもしれません。人は遺伝子ばかりか資本のビークルになって久しいのかもしれません。

 

 現代では、お金を借りれば利息がつくのが当然だと思われていますが、その常識に反した減価する自由貨幣があります。現在も地域通貨・LETS・補完通貨として運用されている地域があります。減価しない貨幣についてはじめて明文化し、それが問題であることを喝破したのはシルビオ・ゲゼルでした。

 

 ゲゼルの目指した経済システムの先に貨幣のない世界を構想する方もおられます。カネのない世界の到来を想う考えに共通しているのは、そのような世界は人の倫理観によってもたらされるということです。環境が破壊され資源が枯渇し、社会システムの変革がおきた先に、意識改革がおき、非貨幣経済が維持されるというものですが、技術革新により生命維持のための労働が必要とされなくなり、それによって交換頻度が減退し、カネが必要とされなくなる、という、倫理観との関わりが薄い経過の方が現実的な過程だと思われます。

 

 アンチ・エイジング・マネーの血が流れる資本主義のもつ凶暴性の原資は無限にあります。不換で複利を含み減価しない貨幣には有限性がなく、無限増殖します。

 

 ベーシックインカム(BI)に反対する声のに、BIは計画経済のように労働意欲を削ぎ、経済破綻するというものがあります。しかし、個人の労働意欲や個人の堕落は社会問題にはなりません。多くの人が堕落して働かなくなることが社会問題です。逆説的に言えば、社会がまわるのであれば個人の堕落は個別の問題であって、社会問題ではないのです。労働意欲の低下が社会問題となるのは、生産性の低下により生存が維持できなかったり、国力や国富が低下して外圧に抵抗できなくなったりするからです。BIは国内問題にとどまらず、対外関係を加味する必要がります。技術革新により、現在では全員が働かなくとも生きていけるだけの生産力を得ました。技術がなかった過去においては考えられないことです。だれも働かなくても社会がまわり、それが支配の構図を形成しないのであれば問題にはなりません。堕落が問題なのは社会が回らなくなるからです。

 

 貧困打開策のひとつの試案として、BIとデジタル・エイジング・マネー(減価する電子マネー:DAM)をあわせたシステムを設計してはいかかでしょうか。BIは一律給付なので、タンス預金をしている人たちは、さらに貨幣を退蔵するでしょう。そこで、新たに供給する貨幣をDAMにすることで、減価時の手間が導入の障害とはならず、流動性の問題にも配慮しながらカネの退蔵を防ぐことができます。

 

 システム移行の足がかりとして、まずは生活保護費をDAMで支給してはどうでしょうか。地域通貨の最初の課題は協賛店の確保ですが、最初の一店、それも大企業が加われば二店目以降はそれにひきずられて増えていくでしょう。生活保護の支給なので、はじめは食料品などを扱っているスーパーや地域の食料品店など、生活必需品を取りそろえている店に限定します。住居費の支払いに使えるように不動産事業所を加えるてもよいでしょう。なにはなくとも食と住をおさえて生存を守ります。

 

 協賛店の限定と確保の次は設備運営資金ですが、設備を揃える企業を協賛店にむかえ、そこに地域通貨を振り出せば、事前に資金を用意する必要はありません。同様に、運営についても、毎月減価貨幣の減価分を支給すればよいのです。それでも資金に不安があるのなら、協賛店から設備の初期費用、あるいは管理運営費という名目で、導入時に限り徴収してもよいでしょう。地域通貨は消費が協賛店などに限定されて、域内の需要が上がりますので、地域の理解がすすむほどに地方再生にもつながります。

 

 DAMが12カ月まわり満期となったら、日本銀行券や政府発行硬貨などと両替できるようにします。その際、両替費として両替額の5%ほどを徴収してもよいでしょう。DAMはデジタルデータなので、両替しない場合は無償で新たな12カ月DAMとして更新します。デジタル技術のなかったころの減価貨幣では12カ月後に回収し、現金との交換が必要でしたが、DAMであれば選択できます。DAMの流通が常態化すれば、DAMより流動性の低い現金との交換が減退するでしょうから、交換のために多額の現金を用意し保管する必要がなくなっていきます。

 

 カネの流れを追えることがDAMの利点のひとつです。データ閲覧権限をもつ管理者の自制心とプライバシーの問題はありますが、公共事業をDAMにより決済すれば、資金の流れが透明になりますし、生活保護費をDAMで支給すれば、不適切な利用を防ぐことができます。

 

 DAMを迅速かつ確実に定着させる即効・特効薬は、地域通貨を発行する地方自治体の公務員や職員の給与の何割かをDAMで支給することです。島根県海士町では、町長をはじめ職員の給与が削減されましたが、DAMは給与の削減ではなく通貨の異同であるので、それに比べれば、いくぶん抵抗感は小さいと思います。当の公務員からは自由の制限であるだとか不便であるといった反対の声が挙がるでしょうが、地域通貨を発行するときには、ある程度の協力者、つまり地域通貨を受け入れる地域の企業や商店があるわけですから、その地域内において不便であることはないはずです。それでも協賛店が少なく不便であるというのであれば、協力者を増やして使える商店を増やせばよいだけのことです。地域通貨の発行母体を、その公務員の所属する自治体とすれば、地域通貨の普及と使用可能範囲の拡大を公務員みずからが自発的に画策するようになるでしょう。地方のために活動するのが公務ですし、地域通貨の発行元である地方自治体に勤める公務員が協力者を増やす努力を惜しみ反対するというのは公務に適わないと思います。

 

 域内で広く流通させようと画策するのなら、はじめは20%ほどの付加価値をつけてDAMを現金と交換してもよいでしょう。生活保護を受けている人だけでなく、住民もDAMを使うようになれば、DAMを使用するスティグマや抵抗感、他者の眼差しなどの問題がなくなります。

 

 地域通貨が全国規模で普及した際には、政府が自由貨幣を発行し、公務員給与の半分をそれで支給すればよいでしょう。公務員給与は原則現金支給と法で定められていますが、現在は振込が主流となっていますし、現金は一般的には強制通用力をもつ日本銀行券や政府発行の補助貨幣のことを指しますが、通貨の他に小切手や株式配当額領収書など、すぐに通貨に換えられる通貨代用証券も含まれるという捉え方もありますので、自由貨幣もそれに含まれると解釈できないことはなく、現金の解釈次第では法にも触れません。現行法の法解釈だけでは支障があるのであれば、法改正を検討しまい。自由貨幣が十二分に浸透した頃には、米や小判が手形や証券での支給にかわったように、いつの間にか移行しているでしょう。

 

 DAMの運用上、最大の要諦は管理・運営です。フリーライダーやカネの保蔵・滞留の防止、不正の予防と対応策などが必要となります。bitcoinは流通過程を鎖のように延長し、その記録を全員で保持していくブロックチェーンにより不正を防ぐ、歴史・流通過程に価値を保証させる、いわば、貨幣の来歴が価値を担保あるいは高めるシステムですが、管理が杜撰だと、Mt. Goxのように破綻し、それがひとつの取引所における問題であっても、風評によりシステム全体の欠陥かのように思われてしまいます。消えた年金問題もそうですが、これらは人災であってシステムに問題があったわけではありません。不安であれば預金通帳のように印字して備えるという手もあります。

 

 自由貨幣が通貨の大勢を占めるほどに滲透し、信用創造の異様さを際立たせ、その思想が駆逐される日がくるといいのですが。

 

 BIの財源については、手続きの簡便化と、それに伴う公務員の削減、関連保障費の改廃、増税などにより十分賄えるという意見もありますが、社会保障費や自己負担額の増加などにより、賄うどころか今よりも悲惨な未来になるという意見もあります。

 

 BIでインフレに傾き、自由貨幣で貸出金利が上がるでしょう。自由貨幣を導入しても、その分、金利が上乗せされるだけなのかもしれません。多くの人が現行のプラス利子に疑義をもたないように、BIによって利息が上がることに疑問を抱かないかもしれません。導入時に金利を規制する必要があるのかもしれませんが、その必要性を理解する人は少なく、政治は有力者に握られて、このシステムが格差の促進剤としてしかはたらかないこともありえます。

 

 貨幣に寿命を与えることで蓄財を防ぐことができますが、寿命を与えることで消費欲求を刺激し、散財の強迫観念を植え付けかねません。すると、自由貨幣は環境破壊の抑止にはならないのかもしれません。

 

 プラス利子社会では、利息分が価格に上乗せされています。プラス利子社会でなくとも、原材料費や人件費の他に、広告宣伝費やブランド・ロイヤルティ(royalty)などが含まれていて、競争や過剰に導く要因があります。現代の過剰競争社会は、プラス利子を母体とする信用創造機能が元凶なのでしょうが、これだけを断罪することはできないでしょう。

 

 安定の前提は他のすべても安定していることです。自然は流動的なので安定は非現実的です。安寧をもたらすかにみえたシステムも、運用する人の思念によって、災禍を招くシステムへと変様します。

 

 貨幣が人に牙をむくのではありません。貨幣に不老不死の特質を与えた人の欲が、姿を変えて現前しているのです。

 自由貨幣やベーシックインカムは、利子や信用創造で過剰を呼びこむ資本主義に、友愛を組み込むことができるのかもしれません。

 システムが災厄を招くのではなく、人心がシステムの性格を決めます。貨幣に原罪を与え、人の庇護者とするのもまた、人心です。