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あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

色の見える本

芸術 芸術-本

 最初にして最後の唯一色が見えた本がドストエフスキーさんの『罪と罰』です。

 始終灰色

 最初はスウェットなんかでよくみる灰色

 雨の夜は真っ暗な灰色

 闇が浸潤して黒くなってるなずなのに想像の中の家や月や街灯のたよりなく暗い明かりに見える基調の灰色

 最後はあまりにも色が鮮明に広がっていたものだから、なんで色が見えるの?とおもったレモン色の溶け込んだ曇天の灰色

 カクテルグラスにささった(梶井さんの)檸檬のような一服の救いを漂わせるんだけど、それを否定するように、すぐにかき消す排気ガスまじりの都会の空気のようなすこしからだにまとわりつく灰色

 こんなに鮮明に色がみえるなら、しかもそれが一度きりしかないやってこない感覚なら、せめてピンクとかブルーとか、もっと気持ちのいい色であってほしかったなぁー。

梶井基次郎の「檸檬」

檸檬 (280円文庫)

  • 作者: 梶井基次郎
  • 出版社/メーカー: 角川春樹事務所
  • 発売日: 2011/04/15
 

 

 こんな読み方はできないのかなぁ?ラスコーリニコフさんは思想に取り憑かれてはいないし、まわりが評価するほど自分の論文を評価も信用もしていないの。はじめから「いいわけはない」と思っていて、それでもどうにもならない現状、殺人に至るにおよびのっぴきならない自分の思想を試金石にして賭けにでる。

 自分が大人物なら罪に問われず、小人物なら罰せられる。

 でも、はなから「いいわきゃない」と思ってるから、ことがうまく運びそうになるほど、それがなにかはわからないけれど「なにかが違う」という心情に満たされていく。

 

 また一般にいわれているほどにはラスコーリニコフさんにとっての老婆殺しは大きなウエイトを占めていないのではないかと思うのです。

 だってさ、これ殺人事件なのにさ、序盤しか殺されたおばあさんの存在感ないじゃない?おばあさんの存在感があまりにも後退して殺人事件一般に取り込まれてなぁい?序盤以降最後まで、おばあさんは影になって殺人事件の衣を着せられている感じ。おばあさんがみえないの。

 

 総じて私のラスコーリニコフさんの印象は…、「それらしい自分の言い訳に賭けたありふれた人」

 ……という感じに読んだ覚えがあります。何十年も前に。

罪と罰〈上〉

罪と罰〈上〉

 

 

 原文で読んだらこんな解釈は一切できないのかもしれませんがロシア語読めないし、今再び読み返そうという気はさらさらおきませんので、こんなヘンテコな読み方をするヘンテコなひとが世の中にはいるんだねぇとおもっていただければいいかな。

 

 この小説の最大の成功ポイントは、なんといっても普遍的にかっこいい『罪と罰』というタイトルだと思う…。

 

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