哲子の恋はデジャ・ブの部屋
以前放送されたEテレ『哲子の部屋』で、『恋はデジャ・ブ』という映画が取りあげられていました。
あらすじなどははしょるとして、要はタイムループ(タイムリープ)ものです。
番組では、この映画で、同じ一日をくり返す主人公フィル・コナーズが街角に立つホームレスの男性の前を通過するとき、このわずかな間なのだけれど、その接し方が毎回ちがっていると指摘していました。
「映画を観ているひとは細かいところまで見ているものだなぁ」と感心してしまいました。
このときの番組の哲学的テーマは「自由意思」や「習慣」というものについてだったとおもうのですが、記憶があやふやで定かではありませんが、おもしろかったということもあり、普段ラブストーリーは見ないのですが『恋はデジャ・ブ』気になり、一度みてみたいなとおもいました。
繰り返し流れるマンネリのデジャ・ブ
1993年制作と、やや古い映画ですからそのうちテレビで再放送されるだろうと待っていたのですが、なかなかやらない。いや、正確には一度テレビ欄にのっていたことがあったとおもうのですが、そのときはHDDの空き容量が残り僅かであったり、「やっぱりラブストーリーは…」と倦厭してしまい、次の機会にしようと敬遠してしまいました。
するとどうでしょう。2度目がやってこない。
『風の谷のナウシカ』は何度も何度もくり返されるというのに…。
ビル・マーレイ主演のやや古い映画『ゴーストバスターズ』もときどき放送されるというのに…『恋はデジャ・ブ』はやってこない。
NHKのBSの映画枠は連日ウエスタンばかり。
NHK編成が極度に西部劇好き!…というわけではなくって、著作権や放映権といったしがらみがあって「古い映画=西部劇」ということなのだとは察せられますが、それでもねぇ…。
誤解されたミスtakeのデジャ・ブ
そしてある日、もうこうなったらレンタルで借りてこようとおもいたち、TSUTAYAへとGO!
洋画ドラマの棚の『恋はデジャ・ブ』の頭文字「コ」の辺りを探せど…見つからず。
店員さんに尋ねるて店内のタッチ画面の検索機械で調べていただいたら店内に在庫あり、「ドラマ」「コメディ」の棚にあるとのことで案内していただきました。
はじめさきほどわたしも眺めていた「ドラマ」の棚に行けどもやはりない。
では「コメディ」?
と、「コメディ」の棚の「コ」のところを探すと、わずか10枚ばかりのDVDのうちの1つに『恋はデジャ・ブ』がありました。
これは『恋はデジャ・ブ』視聴後の感想になりますが、「たしかにコメディといわれればコメディ…かな。でもドラマ要素の方がつよいでしょう。だからドラマの棚に置かない?」。
また、いま、本エントリを書くにあたり『恋はデジャ・ブ』で検索してみたところ、Wikiに
もともとはロマンティックコメディとしてマーケティングされたが、後に「人間の幸福は自分の中をいくら追求しても求められるのではなく、他人の幸福によって得られる」といった宗教的哲学的な面から本作が語られることが多くなった。
との「たしかにね」と納得できるものから
映画評論家町山智浩は、監督・脚本のハロルド・ライミスがDVDのコメンタリーでニーチェに影響されたと語っていることにふれ、この作品はニーチェの永劫回帰思想をたったの100分で表現しきっていると言ってもよいのではないだろうか、と賛辞を呈した。
との永劫回帰ではないのに永劫回帰だと誤解しているのではないかとおもわれる言い過ぎな意見までみられました。
TSUTAYAのセルフレジに初挑戦 - 信用しきれないナイトメアなデジャ・ブ
『恋はデジャ・ブ』みつかったことですし、借りようとおもいレジに向かうと、なにやらレジ脇に張り紙が。
どうやらセルフレジだとちょっとだけお安く借りられるそうな。
「あぁ~それでさっきから人々は列をなしてピッピッしてたわけね」と、「セルフレジ」と「人々の行動」とがわたしの頭の中でつながったところで、「じゃああたしも」とセルフレジに挑戦。
どぎまぎもたついて他の人から「あ~、あのひとはじめてなんだぁ~」とか「こいつおっせぇなぁ~はやくしろよー」とかおもわれないように、さも使い慣れているかのように、まわりには自然に、内心では正面の写真入りの説明文を素早く必至に読み取って、水面上は優雅で水面下では慌ただしい白鳥のごとく振る舞ってみせ…たかったのですが、最初のTカードを通すところでつまずく。
なんどカードを通してみても画面に「登録が必要」みたいな表示が出てきて先へと進めない。
「えっ?セルフレジ使うにはそれ用の登録が必要なの?めんどくさっ!」とおもいつつ仕方がないので横の有人レジへ。
するとなんのことはない「セルフレジ利用登録」のようなものがあるわけではなくって、単にTカードの有効期限が切れていたというだけのことでした。
なのでカード更新料を払い(←TSUTAYAへはあまり行かないものですから、なんだか行くと毎回更新料を払っている気がする…)、いざセルフレジへとふたたび向かい、無事、借りることができました。
Tカードの有効期限が切れていないのであれば、セルフレジ簡単ですから、まだ利用されたことのない方や認知はしているけどれもまだ警戒されている方はお試しになられてみてもよいかとおもいますよ。
ただ…返却についてもそうなのですが、あまりにもひと(店員さん)とのコンタクト・接触・関わることがないものですから「ほんとうにこれでいいの?」と、借りるときにはお金を払っていない、返すときには返したことになっていないことになっていて、後々請求されることがあるのではないかと不安が残ります。
からっとドライに表現されたデジャ・ブ
『恋はデジャ・ブ』では、タイムループものでありがちな、同じ日がくり返されるということに対する主人公の絶望感のようなものや、タイムループという希有な状況の荘厳さ、特異な現象の重厚感のようなものがねちっこく執拗に強調されるというようなところがなく、もうこの同じ日をなんど過ごしてきたのだろうか、おそらく何百、何千回、何万回か目の2月2日を生きているのだろうなぁということを、その町にいる"初対面"であるはずのひとたちの情報を言い当てたり、秒単位で人々の行動を"予知"するなどして、さらっとドライに表現しているところにとても好感がもてます。
印象的なデジャ・ブ
主人公フィルは、なんども繰り返される同じ毎日にいよいよ絶望し、さまざまな方法で幾度も自殺を試みるも、目が覚めるといつもの朝。
生きることも、死ぬことさえもできない。(←こういったところもくどくどしく"説明"していないところがいい。)
この場面も印象的ではありますが、なかでもわたしには印象的だったのは、フィルとホームレスの男性とが関わる場面。
自らのあずかり知らぬところで毎日死に続けるデジャ・ブ
『哲子の部屋』を見ていなければ主人公のホームレスの男性への接し方が毎回かわっているというわずかな違いには気づかなかったとおもいます。
この場面、"映画の見方(のようなもの)"といったことも印象的ですが、ここではなくって、もう少し後に描かれるフィルが"その日"はホームレスの老人の命日であることを知り、手を尽くして"その日"を生かそうと奔走するのだけれど運命は変えられず、老人は毎日この日に亡くなってしまうという場面です。
タイムループものではとかく主人公の"生"、「同じ毎日を生きる(苦悩)」に目が行きがちですが、タイムループする主人公のその脇で、毎日その日に死んでしまう人がいる、「同じ毎日に死に続ける」ひとがいるのだということに気づかされたこと、またこれまでにそのことに気が付かなかった(自分の)"無頓着さ"に気づかされて、たいへん印象的でした。
これは余談ですが、先に「この映画は永劫回帰思想を表現している」という意見があるということについて触れましたが、それは主人公のフィルを指しての言説ではなくって、このホームレスの老人を指しての言及であるのであればまだわからなくはないなぁ~とおもいました。
というのは、同じ毎日が繰り返されるにしても、そのことを認知・体験できて異なる毎日を生きられて肯定できるということと、そのことを認知・体験できなくとも(同じ毎日が繰り返されているのかもしれないとして)その生を肯定できるということとは異質なものですからね。
もう一度見たいデジャ・ブ
物語の最後に一気呵成に複線を回収する映画や『名探偵ポワロ』や『刑事フォイル』などのドラマも好きですが、まったく複線を回収しないというわけではないのでしょうけれども、そのことを放置したままに終わる、フィルの老人への接し方(施しの拒否の仕方)など、気づくひとは気づくという細かい設定の表現された映画やドラマも好きで、もう一度みたいとおもわされます。
『恋はデジャ・ブ』は考えることが好きな理屈っぽいひとも、また反対に考えさせられると疲れっちゃうからイヤだというライトな物語、濃厚でないラブストーリー、軽すぎず重すぎずなコメディをお望みの方も楽しめる全方位・全対応なよい映画だとおもいました。
今このリンクを張っておもったのは… TSUTAYAに行かなくてもAmazonビデオにすればよかったなあ… ということ。
その方が移動いらずでDVDを探す手間も省けてラクだったというのに…あ~いやだいやだ、事後に気づくこの頭の回転の遅さ。
そしてなんども繰り返すこの手の失敗。デジャ・ブ~。