あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

なんども見たいデジャ・ブに恋して

哲子の恋はデジャ・ブの部屋

 以前放送されたEテレ『哲子の部屋』で、『恋はデジャ・ブ』という映画が取りあげられていました。

 あらすじなどははしょるとして、要はタイムループ(タイムリープ)ものです。

哲子の部屋 ?: 哲学って、考えるって何?

哲子の部屋 ?: 哲学って、考えるって何?

  • 作者: NHK『哲子の部屋』制作班,國分功一郎
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2015/05/01
  • メディア: 単行本
 

 

 番組では、この映画で、同じ一日をくり返す主人公フィル・コナーズが街角に立つホームレスの男性の前を通過するとき、このわずかな間なのだけれど、その接し方が毎回ちがっていると指摘していました。

 「映画を観ているひとは細かいところまで見ているものだなぁ」と感心してしまいました。

 

 このときの番組の哲学的テーマは「自由意思」や「習慣」というものについてだったとおもうのですが、記憶があやふやで定かではありませんが、おもしろかったということもあり、普段ラブストーリーは見ないのですが『恋はデジャ・ブ』気になり、一度みてみたいなとおもいました。

 

繰り返し流れるマンネリのデジャ・ブ

 1993年制作と、やや古い映画ですからそのうちテレビで再放送されるだろうと待っていたのですが、なかなかやらない。いや、正確には一度テレビ欄にのっていたことがあったとおもうのですが、そのときはHDDの空き容量が残り僅かであったり、「やっぱりラブストーリーは…」と倦厭してしまい、次の機会にしようと敬遠してしまいました。

 

 するとどうでしょう。2度目がやってこない。

 『風の谷のナウシカ』は何度も何度もくり返されるというのに…。

 ビル・マーレイ主演のやや古い映画『ゴーストバスターズ』もときどき放送されるというのに…『恋はデジャ・ブ』はやってこない。

 

 NHKのBSの映画枠は連日ウエスタンばかり。

 NHK編成が極度に西部劇好き!…というわけではなくって、著作権や放映権といったしがらみがあって「古い映画=西部劇」ということなのだとは察せられますが、それでもねぇ…。

 

誤解されたミスtakeのデジャ・ブ

 そしてある日、もうこうなったらレンタルで借りてこようとおもいたち、TSUTAYAへとGO!

 

 洋画ドラマの棚の『恋はデジャ・ブ』の頭文字「コ」の辺りを探せど…見つからず。

 

 店員さんに尋ねるて店内のタッチ画面の検索機械で調べていただいたら店内に在庫あり、「ドラマ」「コメディ」の棚にあるとのことで案内していただきました。

 

 はじめさきほどわたしも眺めていた「ドラマ」の棚に行けどもやはりない。

 では「コメディ」?

と、「コメディ」の棚の「コ」のところを探すと、わずか10枚ばかりのDVDのうちの1つに『恋はデジャ・ブ』がありました。

 

 これは『恋はデジャ・ブ』視聴後の感想になりますが、「たしかにコメディといわれればコメディ…かな。でもドラマ要素の方がつよいでしょう。だからドラマの棚に置かない?」。

 

 また、いま、本エントリを書くにあたり『恋はデジャ・ブ』で検索してみたところ、Wikiに

もともとはロマンティックコメディとしてマーケティングされたが、後に「人間の幸福は自分の中をいくら追求しても求められるのではなく、他人の幸福によって得られる」といった宗教的哲学的な面から本作が語られることが多くなった。

との「たしかにね」と納得できるものから

映画評論家町山智浩は、監督・脚本のハロルド・ライミスがDVDのコメンタリーでニーチェに影響されたと語っていることにふれ、この作品はニーチェの永劫回帰思想をたったの100分で表現しきっていると言ってもよいのではないだろうか、と賛辞を呈した。

との永劫回帰ではないのに永劫回帰だと誤解しているのではないかとおもわれる言い過ぎな意見までみられました。

恋はデジャ・ブ - Wikipedia

 

TSUTAYAのセルフレジに初挑戦 - 信用しきれないナイトメアなデジャ・ブ

 『恋はデジャ・ブ』みつかったことですし、借りようとおもいレジに向かうと、なにやらレジ脇に張り紙が。

 どうやらセルフレジだとちょっとだけお安く借りられるそうな。

 

「あぁ~それでさっきから人々は列をなしてピッピッしてたわけね」と、「セルフレジ」と「人々の行動」とがわたしの頭の中でつながったところで、「じゃああたしも」とセルフレジに挑戦。

 

 どぎまぎもたついて他の人から「あ~、あのひとはじめてなんだぁ~」とか「こいつおっせぇなぁ~はやくしろよー」とかおもわれないように、さも使い慣れているかのように、まわりには自然に、内心では正面の写真入りの説明文を素早く必至に読み取って、水面上は優雅で水面下では慌ただしい白鳥のごとく振る舞ってみせ…たかったのですが、最初のTカードを通すところでつまずく。

 なんどカードを通してみても画面に「登録が必要」みたいな表示が出てきて先へと進めない。

 

 「えっ?セルフレジ使うにはそれ用の登録が必要なの?めんどくさっ!」とおもいつつ仕方がないので横の有人レジへ。

 

 するとなんのことはない「セルフレジ利用登録」のようなものがあるわけではなくって、単にTカードの有効期限が切れていたというだけのことでした。

 なのでカード更新料を払い(←TSUTAYAへはあまり行かないものですから、なんだか行くと毎回更新料を払っている気がする…)、いざセルフレジへとふたたび向かい、無事、借りることができました。

 

 Tカードの有効期限が切れていないのであれば、セルフレジ簡単ですから、まだ利用されたことのない方や認知はしているけどれもまだ警戒されている方はお試しになられてみてもよいかとおもいますよ。

 

 ただ…返却についてもそうなのですが、あまりにもひと(店員さん)とのコンタクト・接触・関わることがないものですから「ほんとうにこれでいいの?」と、借りるときにはお金を払っていない、返すときには返したことになっていないことになっていて、後々請求されることがあるのではないかと不安が残ります。

 

からっとドライに表現されたデジャ・ブ

『恋はデジャ・ブ』では、タイムループものでありがちな、同じ日がくり返されるということに対する主人公の絶望感のようなものや、タイムループという希有な状況の荘厳さ、特異な現象の重厚感のようなものがねちっこく執拗に強調されるというようなところがなく、もうこの同じ日をなんど過ごしてきたのだろうか、おそらく何百、何千回、何万回か目の2月2日を生きているのだろうなぁということを、その町にいる"初対面"であるはずのひとたちの情報を言い当てたり、秒単位で人々の行動を"予知"するなどして、さらっとドライに表現しているところにとても好感がもてます。

 

印象的なデジャ・ブ

 主人公フィルは、なんども繰り返される同じ毎日にいよいよ絶望し、さまざまな方法で幾度も自殺を試みるも、目が覚めるといつもの朝。

 生きることも、死ぬことさえもできない。(←こういったところもくどくどしく"説明"していないところがいい。)

 この場面も印象的ではありますが、なかでもわたしには印象的だったのは、フィルとホームレスの男性とが関わる場面。

 

自らのあずかり知らぬところで毎日死に続けるデジャ・ブ

 『哲子の部屋』を見ていなければ主人公のホームレスの男性への接し方が毎回かわっているというわずかな違いには気づかなかったとおもいます。

 

 この場面、"映画の見方(のようなもの)"といったことも印象的ですが、ここではなくって、もう少し後に描かれるフィルが"その日"はホームレスの老人の命日であることを知り、手を尽くして"その日"を生かそうと奔走するのだけれど運命は変えられず、老人は毎日この日に亡くなってしまうという場面です。

 

 タイムループものではとかく主人公の"生"、「同じ毎日を生きる(苦悩)」に目が行きがちですが、タイムループする主人公のその脇で、毎日その日に死んでしまう人がいる、「同じ毎日に死に続ける」ひとがいるのだということに気づかされたこと、またこれまでにそのことに気が付かなかった(自分の)"無頓着さ"に気づかされて、たいへん印象的でした。

 

 これは余談ですが、先に「この映画は永劫回帰思想を表現している」という意見があるということについて触れましたが、それは主人公のフィルを指しての言説ではなくって、このホームレスの老人を指しての言及であるのであればまだわからなくはないなぁ~とおもいました。

 

 というのは、同じ毎日が繰り返されるにしても、そのことを認知・体験できて異なる毎日を生きられて肯定できるということと、そのことを認知・体験できなくとも(同じ毎日が繰り返されているのかもしれないとして)その生を肯定できるということとは異質なものですからね。

 

もう一度見たいデジャ・ブ

 物語の最後に一気呵成に複線を回収する映画や『名探偵ポワロ』や『刑事フォイル』などのドラマも好きですが、まったく複線を回収しないというわけではないのでしょうけれども、そのことを放置したままに終わる、フィルの老人への接し方(施しの拒否の仕方)など、気づくひとは気づくという細かい設定の表現された映画やドラマも好きで、もう一度みたいとおもわされます。

 

 『恋はデジャ・ブ』は考えることが好きな理屈っぽいひとも、また反対に考えさせられると疲れっちゃうからイヤだというライトな物語、濃厚でないラブストーリー、軽すぎず重すぎずなコメディをお望みの方も楽しめる全方位・全対応なよい映画だとおもいました。

恋はデジャ・ブ (字幕版)

恋はデジャ・ブ (字幕版)

  • メディア: Amazonビデオ
 

 

 今このリンクを張っておもったのは… TSUTAYAに行かなくてもAmazonビデオにすればよかったなあ… ということ。

 その方が移動いらずでDVDを探す手間も省けてラクだったというのに…あ~いやだいやだ、事後に気づくこの頭の回転の遅さ。

 そしてなんども繰り返すこの手の失敗。デジャ・ブ~。

辛口で情報量の豊富なお得な雑誌LDK

 喫茶店にいきました。

 ランチをたべました。

 

 ふだん雑誌をみることはなく、こんなとき、つまりは外へ出てなにかを待っているとぐらいしか雑誌を手にすることはありません。

 それで今日、お店に置かれていてお食事が運ばれてくるまでの手持ちぶさたのおともにと何気なく手にした雑誌、それがLDK。

 

 感想は…「なんだこの情報量は!」…です。

 

 今日みたのは2017年7月号(5月27日発売)。

 この号の特集は『LDKがテストしてわかったベスト収納で解決!「収納劇的ビフォーアフター」ほか』ですが、収納についての記事はビフォ→アフター写真のどちらもモノが多くてパッと見ちがいがわかりづらく、紙面に写真や文字がぎゅうぎゅうにつまっていて「スッキリ」感がなくってなんだか…でしたが、ほかの「日焼け止めベストランキング」や「消臭グッズ THE TEST 2017」、「最強のマスカラ見つけました」などは項目ごとに星の数とその総合評価をあらわすA・B・Cの三段階評価となっていて見やすくてよかったです。

 

 雑誌の商品比較やランキングなんかではメーカーに気を使い差し障りがないようにいいところだけを喧伝して、悪いことは言わないか、言ってもほんのちょっとだけ、それとわからないような書き方をしてはぐらかしているのが常なのですが、LDKではダメなところは露骨にダメ!と言ってしまう。

 

 一緒にランチしたひとが読んでいたのは地元の飲食店特集の雑誌。ついつい確認しちゃったその雑誌の値段が800円。対してLDKは630円。これだけの情報量で630円。どれだけ体をはって手間暇かけているのか630円。「テストする女性誌」おそるべしっ!

 

 ランチにケーキセット、加えてもう1つケーキをいただいたので創刊4周年特別付録「シャンプーABC判定カタログ100」のまだ開けられていない袋とじを開けてもいいよねっ?との自己判断のもと、お店の方の了承も得ず開封。

 

 この特集ではその商品、そのシャンプーで効果を宣伝していること、たとえば「サラサラ」や「スカルプ」など、ほんとのところどうなのか、実際に使用して試してテストして部門ごとにABC判定しています。

 

 5つほどに分けられた「サラサラ」や「スカルプ」などの部門のなかでもわたしがもっと気になる、もっとも気にしている部門が「ボリュームアップ」に効果のあるシャンプーはなんなのか?!というところでした。

 ながらくすこし気にしていた髪のボリューム。

 「年だから仕方ないよね」と目を背けている髪のぺちゃんこ感。

 それに効きそうなシャンプー、シャンプーですこしでも改善できるならいいよねぇ~。

 

 この特集のいいところは「高い」商品で固めていないところ!

 高額商品並べ立てられても「そりゃあ高いからねぇー」としかなりませんものねぇ?それが量販店でも売られているものも同じ土俵で評価されていて高くてもC判定のものがあり、安くてもA判定のものがあり、と、とても良心的というのか好感がもてる。

 

 根っから疑り深いので「そういう宣伝戦略か」とも思いつつも、ついつい帰りがけによったスーパーで袋とじにしているほどですから商品名などには触れませんがA判定だったシャンプーと消臭スプレーを買ってしまいました。

 

 「テストされた商品評価に対してテスト・評価してやろう」という気はありませんが、はてさて効果のほどはどうでしょうね?これから試してみます。

LDK (エル・ディー・ケー) 2017年7月号 [雑誌]

LDK (エル・ディー・ケー) 2017年7月号 [雑誌]

 

 

 『今なら年間購読を申し込むと「12冊+1冊」で1冊分お得!』

というようなことが雑誌の最後の方のページに書かれていました。

 ただしこのキャンペーンの申し込み期限は6月27日まで(だったとおもう…。)

 お得なキャンペーン期間もうすぎちゃったね。

ワルツなメイプル超合金

 2017年6月1日(木)放送『アメトーーク!「○○じゃない方芸人 2017」』で『メイプル超合金』がネタおわりに「ブパパ ブパパ ブパパ~」と言って終わるということを知って、この「ブパパ」のリズム/フレーズどこかで聞いたことあるなぁ~…とおもって「ブパパ」について調べてみました。

 

 すると「ブパパ」はザ・ドリフターズのコントのオチのときに流れる曲を参考にしたのだ!…という情報もありましたが、どうやらそうではなく、特に意識して生まれたものではないようです。

(ドリフのそれは「ブパパ ブパパ ブパパ~」ではなくって「ブパパ ブッパパパッパ ブッパパパッパ ブッパッパ」ですものねぇ。)

ドリフのオチの音(話が終わって舞台がかたづけられるときの音)の題名が解る... - Yahoo!知恵袋

 

 仮にドリフのそれを参考にしたものであったとしても、なんか違う。わたしのイメージした「ブパパ」はドリフのそれではない。

 

…と思っていたところ、不意にラジオのクラシック番組から流れてきた曲。

 

「これっ!これだよ。」

 

 曲終わりに司会の方が「お送りしたのはメンデルスゾーン…」とか言っていたから、てっきりメンデルスゾーンの作曲したものだとおもって検索してみたら…違ったわ。メンデルスゾーンじゃない。

 あのとき、きっと聞き漏らした「メンデルスゾーン…」の「…」の部分で紹介されていた他の作曲者の名前の方が目的とする人物だったのでしょう。

 

 そして「誰だ?誰だ!だれだ、ダレダ」とさらに探ってみてやっと発見。

 「ヨハン・シュトラウス(2世)の『美しく青きドナウ(op.314)』」だったわ。

 

 というよりワルツだわ。

 

 シュトラウスに限らずフレデリック・ショパンにしてもフベンティーノ・ローサスにしても「ブパパ」が使われているブパパなワルツが多い。

 ワルツはブパパで溢れてる。

 ブパパはワルツでできている。

 

 ということで、「ブパパ」は「ワルツ」、「メイプル超ワルツ」なのでした。ヨハン ・ シュトラウス, ウィーン, シティ パーク, 市立公園ウィーン