あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

情報の固定資産税

 学習塾や予備校では合格実績として高い合格率を掲げて目をひきますが、その合格者の在籍期間やその学校を受験した受験生の数や不合格となってしまったひとなど、そのような数字は表には出てきませんよね。

 名門進学校のつける成績5と一般的公立校のつける成績5は同じ5でも違う5だと思うのですが、その辺どうしているのでしょう?何割掛けとかあるのかな?

 受験校の推薦枠は定員に対して何人だとか何%だとか示されてはいても「学力に秀でた者」とか「スポーツにおいてめざましい成果をあげた者」とか、その要件が曖昧で、そっちのさじ加減じゃないの?ということが多いものです。

 

 インサイダー(とまではいかないまでもそれに近いグレー)な有益な情報を握っていたら、その情報を表には出しませんよね?そもそもインサイダーを防止する有効な手段なんてないでしょう。立件難しすぎますもの。

 革新的なアイデアをおもいついても容易には表には出しませんよね?利益を得るまでは。

 そうです。多くの人にとって有益な情報であってもそれを握って隠しておくことで利益が得られるのであれば、誰もその情報を表には出しません。

 

 「情報は価値を生む」だとか「情報は資産」だとか言われますが、情報が富をもたらす、またそうではなくとも財であるというのなら、「情報の保有資産税」とか「情報の独占資産税」みたいなものを設けたら?

 今は情報を握っていると利益を得るけれど、反対に情報を独占したままにしようとするのなら課税対象となってコストになりますよーってね。

 

 "特許などで権利を保護"って、たいてい要は金でしょ?名誉賞にしたら?

 そんなことしたら研究開発費が〜後発組がなんのリスクもとることなく利鞘だけをとってゆく〜インセンティブはたらかず人はたらかず〜技術開発鈍化する〜…か?

 規制しないと先発のちゃんとした企業や事業が割りを食うというんじゃあそもそも根本・根幹の仕組みがおかしいのではないかなぁ?

 

 ところで、そのとき情報は動産扱いになるのか?それとも不動産の対象となるのかな?どちらなんでしょうね。どちらでもない別枠?

 

…以上、おもってもいない思いつきの軽口でした。

 だから「その情報はだれが管理してどのように規制するのか?」とか言われても知らないよー「あまりにも現実離れしすぎていてくだらない」とか言われてもその通りだよー。

本気なら本気の行動をする

 これは「贈られた言葉」。

 その中身の説明は一切なかったものの、ほんとうに嫌だったらそれが突飛であってもそれなりの行動をし、ほんとうに好きならそれが極端でも行動に移しているはず。そうでなければ、そうでもしなければ人に気づいてはもらえない。それだけのことをしてなんとかやっと人に伝わる…かもしれないという具合なのだから。と、解釈しました。

 

 この言葉を頂いてからなにかが変わったかというと…別に変わらず。それほどおもうこともないですし。

 

 そうして意を決して行動を起こせば何事も好転するっ!…ということはないっ。

 「本気」かどうかは別にして、単純に試行回数が増えればうまくいくことも増えるというだけ。成功と失敗の相対数をみればあまり変わっていないか、あるいはやや成功割合が増しているかもしれないけれど、成功と失敗を絶対数でみてしまうと、失敗のあまりの多さに心をくじかれ、成功のあまりの少なさに立ち直れず絶望してしまうかもしれない。

 

 言葉は蜃気楼。

 時に実態を歪めて錯覚させ、失敗の道を歩ませ、実態を見誤らせるから成功へと続く道を歩ませることにもなる。失敗して崖から転落することもあるでしょう。一歩踏み出して成功することもわずかながらにあるでしょう。どちらも蜃気楼に背中を押されるということは同じかな?

 蜃気楼は温度差の大きいところで発生しやすいから、だから言葉の蜃気楼が発生したところでは衝突が生じやすいのでしょうね。あなたと人との温度差が激しいからね。

 

 名言や語録というのは、言った本人よりも聞いた誰かの方がよく覚えていて、またよりよく実践しているもの。

 だけど効果は言った本人を超えないもの。

 新規性や先進性がもはやなくなり、後追いということもあるのでしょうね。

 でもやはりそれ以上に、結局は運なんだろうねぇ。同じことをしてもうまくいくタイミングとうまくいかないタイミングがあるし、そのひと個人には最適解であっても他の人には最悪回の最終回になってしまうこともありますからね。

 

 天才と狂人は紙一重などといいますが、名言と迷言にもそれほどの隔たりはないのではないかとおもいます。心に刺さるかどうかは"それを言っているのは誰か"というところに多分に負っているような気がします。

 

 ということで、名言も迷言も半分聞き流すぐらいでちょうどいいのではないかなかぁ?

 これを敷延して、ひとの話しは半分だけ聞くようにするのがちょうどよい!のだとおもう。

 真面目なひとは全部"ちゃんと"聞こうとして、ほんとうに全部聞いちゃうでしょう?なかには言ってもないことまで"ちゃんと聞いちゃう"ひともいるでしょう?それじゃあ疲れちゃうよ。ひとの話しは半分以上は聞くもんじゃない。終業時間のように5時(定時)過ぎたら耳塞いじゃいなぁ。「聞く耳の残業も禁ず」…なんてね。

 

 ほらっ!もう5時だよ。みなさん耳を塞いではやくお家へ帰りましょう。

 本気になれば帰ることもできる!変えることもできるっ!

 

 而してこれは名言か?おそらく多分に迷言よ!

 

 じゃあね~バイバ~イ。

読解問題がわかる!【詳説】国語解法:答えに導く言葉の見つけ方

 「国語の勉強ってなにをしたらいいの?」

 

…というひとが多いのではないかとおもいます。

 

 日本人ですし「読み書きそろばん」(今は「読み書き計算」?)できるし、特に何もしなくても(小中学校では)テストで8割ぐらいは採れてたし…というひとがね。

 そしてそういうひとほど急に「国語」を見失いやすかったりしてね。

 

 「お〜い国語ぉ〜。国語やぁ〜。国語はどこだぁ〜っ。」

 

 そしてこのときはじめて気づくのです。

 「あれっ?そもそもわたし、国語知っていたっけっ?」ってね。

 

 「国語」で求められているのは、先にも出てきた「読み書き」のことです。

 より正確に言い表すなら、「読み」と「書き」のことです。

 

 「でもぉ〜わたし読み書きできるしっ」…と思っていては、そう思い込んでいるうちはことさら国語の勉強をしようとはなりませんから、まずは「読めていない」ことに気づいていただき、これまで「読んでこなかった」ことを知っていただこうとおもいます。また加えて「読んでいない」ために「書けない」ということも知っていただこうとおもいます。

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